第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.7 「人類の未来を示している第五福竜丸」

7、人類の未来を示している第五福竜丸

 第五福竜丸は、放射能に汚染されて焼津の港へ帰ったあと、東京に移され、文部省が買い上げ、東京水産大学の練習船に改造されました。そして長い間、遠洋漁業に従事(じゅうじ)しようという学生さんの訓練に使われることになりました。
 10年ほど使ったあと、この船はもう練習船としても使えなくなってしまった。そういうことで江東区の夢の島、今みなさんが腰をおろしている所に、この船はつながれることになりました。ゴミの中に、この大きな船を捨ててしまうことになりました。

 しかし、この近くで働いているいろいろな人たち。木場のいかだを運んでいる人たち。職人さん。また石川島播磨という工場の人たち。みなさんの辰巳小学校や扇橋小学校、南砂西小学校の人たち、学校の先生たち。区役所で働いている人たち。江東区の多くの人たちが、なんとかこの船を保存したいということで、富岡八幡宮に行って募金をしたり、そんな活動を毎日毎日やりました。

 江東区の深川に住んでいた島田轍之助さんというおじいさんが、この船が水に沈みそうになっていると聞き、毎日毎日通って、水をかい出して、この船を守ってくれました。私もその活動に参加しました。何回も船に通って水をかい出しました。
 どうしてそんなことをしたのでしょう。

 この船は、名前も「はやぶさ丸」という名前に変えられていましたけれども、「第五福竜丸」であるということが、みんなの調べによって分かりました。この船は沈みそうになっていましたけれども、私たちに「何とかしてほしい、ぼくの声を聞いてもらいたい。」そういうふうに言っているように聞こえたからであります。

 たくさんの人々の努力によって、今から25年前(1975年)、この船は展示館におかれることになりました。この船の母港は、いわば東京都夢の島にあるわけです。そしてこの船は、原爆や水爆のない未来をかけて、世界の人々に「核兵器をなくそう」「核兵器を廃絶しよう 」「使わせてはいけない」と呼びかけています。

 この第五福竜丸のできごとがあったとき、有名な宣言がひとつあったんです。それは「ラッセル=アインシュタイン宣言」というものです。哲学者・ラッセル、原子物理学者・アインシュタイン、日本の物理学者・湯川秀樹といった、ノーベル賞を受賞した科学者たちが署名しました。
『今、人類は、「ヒト」という自らの種族(しゅぞく)に終止符(しゅうしふ)を打たなければならないのか?
 それとも、原爆や水爆をなくし、戦争のない平和な未来を切り開いていくことができるのか?
 ふたつにひとつの時代に入ったのではないか。』
そういうことを呼びかけた宣言だったのです。

 この船は、そういう意味で、人類の未来を示している。そのことをみなさん、ぜひ考えていただきたい。そして、みなさんの「郷里の船」が世界に向かって、そのことを呼びかけている 。これをぜひ誇りに思っていただきたい。ぼくはそれだけをお願いしたい。 今日は、みなさんが来てくれてお話を聞いてくれたことを大変喜んでいます。

 どうもありがとうございました。

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.6 「沈めてよいか、第五福竜丸」

6、沈めてよいか、第五福竜丸

 ここに『沈めてよいか、第五福竜丸』という文章が書いてあります。これは朝日新聞の読者の投稿欄に載せられたものです。この投稿から、第五福竜丸を保存して平和のために役立てていこうという運動が活発になりました。


『沈めてよいか、第五福竜丸』  武藤 宏一

第五福竜丸。

それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。
決して忘れてはいけないあかし。
知らない人には、心から告げよう。
忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう。
今から14年前の3月1日。太平洋のビキニ環礁。
そこで何が起きたのかを。

そして沈痛(ちんつう)な気持ちで告げよう。
いま、このあかしがどこにあるかを。
東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。
それは白一色に塗(ぬ)りつぶされ、船名も変えられ、
廃船(はいせん)としての運命にたえている。
しかも、それは夢の島に隣接(りんせつ)した15号埋立地に
やがて沈められようとしている。
だれもがこのあかしを忘れかけている間に。

第五福竜丸。
もう一度、私たちはこの船の名を告げあおう。
そして忘れかけている私たちのあかしを取りもどそう。
原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。
いま、すぐに私たちは語り合おう。
このあかしを保存する方法について。
平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして。
        (朝日新聞 1968年3月10日 「声」欄より)

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.5 「大気の流れにも乗って広がった死の灰」

5、大気の流れにも乗って広がった死の灰

 そして、もっと細かい粉は海に落ちることなく、空に広がっていきました。それは大気の流れに乗って、5月中旬くらいに日本の上空に達しはじめました。そしてそれは、雨が降った時に、その雨にまじって強い放射能の雨となって、日本全体に降ってきたのであります。

 京都地方に降った雨の中からは、毎分8万数千カウントの高い放射線が計測されたこともありました。マグロは100カウントの放射能が測定されたものは捨てたといいますから、どれだけ高い放射能の雨が降ったかということがわかると思います。お茶の葉っぱや水道水や井戸水からも放射線が出ました。野菜や牛乳からも放射能が検出されました。

 この事件があった時に、私は小学校の4年生でしたが、帽子をかぶった上にレインコートをすっぽりかぶって、カサもさして学校に行かなくてはならなかったことを覚えています。そうしないと、髪の毛がぬける病気にかかってしまうからです。
日本の上空に水爆のチリが達し、放射能の雨が降ってしまった。これがビキニ事件のもうひとつの被害であります。

 4000kmもはなれた所で行われた実験でしたが、その影響が日本国民全体の生活や命をおびやかすことになってしまったのです。広島の原爆とちがって、広島の原爆以上に、今度はそれがもし兵器として使われたら、落とされた所だけの被害では終らないんだということを示してくれたわけですね。

 放射能をふくんだチリ、それは「死の灰」と名づけられましたが、それがいたる所にまき散らかされるのではないかと、風に乗って地球全体にまき散らかされるのではないかという、地球上のすべての人類の生存がおびやかされることになるかもしれない。これが第五福竜丸事件の持つ重要な意味だったのです。

 みなさん、放射能は目でも見えませんし、耳でも聞こえませんし、口でも味わえませんし臭いもしません。この船にしみこんでしまっているわけです。放射能の持つ一番恐ろしい点を、みなさん方に感じ取っていただきたい。これが展示館で働く私たちがみなさんにうったえている大事な点なのであります。

 ここには「死の灰」も、小さなビンに入って展示してあります。これは今でも弱い放射能を出しています。この「死の灰」は、久保山愛吉さんらの命をうばいました。そして、その後退院した乗組員の身体も、ずっと傷め続けたことも忘れないで下さい。
 久保山さんが亡くなってから21年もたって、ひとりの乗組員がガンにかかって亡くなりました。今日までに久保山さんをはじめ11人の方が、この灰によって命をうばわれました。ひとりの方をのぞいて、みんな肝臓のガンによって亡くなりました。

 放射能の被害。これはゆっくりゆっくり身体をむしばんでいくんだということを、この「死の灰」が、いまだに放射能を出していることを想像して、感じ取ってください。

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.4 「原爆マグロの被害」

4、原爆マグロの被害

 東京の築地の大市場に運ばれたマグロは、あわてて放射能が測定され、全部捨ててしまわなくてはならなくなりました。
 このできごとの持つ非常に重要な意味を、みなさんぜひ考えてください。その一番大事な点、ビキニ事件と言われる被害の重要な点は、この第五福竜丸だけの被害で終ることのなかったという点にあります。

 当時の厚生省が調べて発表した数字だけで、この第五福竜丸という船以外、18もの港の検査で、856隻という信じがたいたくさんの船が、また、約500トンというマグロが調べられ、捨てなくてはならないという事件に発展したできごとでもありました。

 「原爆マグロ」「爆マグロ」といって、マグロが食べられなくなってしまいました。おすし屋さんなどは、どんどん倒産(とうさん)してしまうということも起こりました。マグロだけではありません。しだいにお魚を食べなくなってしまいました。魚市場は閉鎖(へいさ)され、お魚屋さんは開店休業に追い込まれました。当時、日本国民はお魚から貴重なタンパク質をとっていたわけですから、これは国民の生活、命をおびやかされたできごとでもありました。

 どうしてそういうことが起こってしまったのでしょうか? 想像していただきたいと思います。これは水爆実験によって海が汚染されてしまうということを引き起こしたからであります。

 ビキニ環礁(かんしょう)の3月1日の実験を皮切りに、この海域(かいいき)で合計6回の水爆実験が行われています。

 アメリカは第五福竜丸が日本にもどって、被害が明らかになるにしたがって、危険海域というものを少しずつ広げました。しかし、残念ながら、危険海域だけに放射能はとどまってくれなかったのです。
 ビキニ環礁の近くに大きな海の流れがあります。北赤道海流(きたせきどうかいりゅう)というものです。太平洋を渡って、和歌山県から銚子の方に流れていく黒潮の流れにつながっているのですが、その流れに放射能を帯びた海水が広がって、その流れのある海域全体を汚染(おせん)してしまうことになってしまったのです。放射能を帯びた粉は、海の流れに乗って広がっていったのです。

 ビキニ環礁(かんしょう)の近くに、ロンゲラップ環礁といったものがありますが、当然ながらその島の島民も、死の灰をあびて被爆(ひばく)し、今なおその後遺症(こういしょう)で苦しんでいるのです。


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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.3 「世界で初めての水爆被害者・久保山愛吉さん」

3、世界で初めての水爆被害者 久保山愛吉さん

 船は一目散(いちもくさん)に静岡県の焼津という漁港を目指して、1週間かかったんですが、全速力で、みなさんが自転車をこぐくらいのスピードしか出ませんが、なんとかたどりつきました。

 病院へ行って、みんな死んでしまうかもしれないほど大変な状況の放射線障害(ほうしゃせんしょうがい)だということがわかりました。 今度はみんな、東京の病院へうつされました。治療に1年2ヶ月もかかりました。身体の中に入った放射能物質がゆっくりゆっくり身体の外に排出(はいしゅつ)されるのを待つ。あとは輸血(ゆけつ)といった手段で治療を行うしかなかったといわれています。

 第五福竜丸の被害(ひがい)というのは、広島や長崎の原子爆弾の被害(ひがい)とは少しちがいます。
 広島の原子爆弾は、高さ580m上空で爆発しました。爆発によって生じた火の玉は、広島の地面にはほとんどとどかなかったんですね。火球からくる爆風、熱線、衝撃波(しょうげきは)、そして放射線。この被害を広島の人々は受けたわけです。
 第五福竜丸の場合は、それが広島の1000倍もの水爆だったとはいえ、160kmもはなれた場所で、熱線とか爆風を浴びたわけでもなく、放射能だけの被害。死の灰による被害だけを受けたことになるわけです。

 東京の病院では、ある乗組員は白血球が500とか600まで減少しました。懸命な治療にもかかわらず、この船で無線長であった久保山愛吉さんは、わずか200日ちょっとで、世界初の「水爆の被害者」として亡くなってしまいました。


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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.2 「水爆実験の白い灰」

2、水爆実験の白い灰

 実験は、白いサンゴ礁(しょう)の島で行われたのでありました。

 島の上に30mくらいの塔(とう)を建てました。その上に爆弾(ばくだん)を置いて点火したのでありました。 点火と同時に生じた大きな火の玉は、白いサンゴ礁(しょう)の上に直接ぶちあたって、白いサンゴ礁の島ひとつが蒸発(じょうはつ)してしまいました。島がなくなってしまったのです。
 
 信じられないほどの大量のサンゴ礁のかけらを、その火球に吸い込んで、上空にまきちらかすかっこうになりました。これは水爆の実験でした。

 水爆は、原子爆弾を引き金としているわけです。原爆に点火して、ものすごい高い温度、高い圧力、超高温、超高圧の中で、重水素の原子を融合(ゆうごう)させ、そこに生じるエネルギーを爆発させるのが水爆です。その冒頭(ぼうとう)の引き金として使われた原爆の核分裂(かくぶんれつ)によって生じた放射能が、大量にサンゴ礁のかけらに付着したことになります。それが風に乗って広がった。高さ3万メートル、直径も200kmを越えるような大きな原子雲となって、実験海域(じっけんかいいき)全体をおおうようになってしまったのです。

 第五福竜丸は、その中心から160kmも離れているところにいたことがわかっています。放射能を帯びた白い灰が第五福竜丸の乗組員の皮膚(ひふ)につき、肌(はだ)は大変強い火傷(やけど)をしたような状態になってしまったのです。

 それだけでなく、鼻からその白い粉をたくさん吸い込んでしまった。しだいにそのまわりの細胞(さいぼう)がおかされていく。白血球(はっけっきゅう)が異常(いじょう)をおこす。はじめは目がチカチカする。食欲もなくなる。疲れやすくなるという初期の症状でありましたが、しだいに強い吐き気、下痢(げり)、腹痛をともなうようになりました。 歯茎(はぐき)からは血がにじみ出てきて止まらなくなってしまいました。髪の毛は、次から次へとひとかたまりずつ抜け落ちていきました。

 全身が放射能に汚染(おせん)され、急性放射線障害(きゅうせいほうしゃのうしょうがい)にかかってしまっていたのでした。 みなさんは今、この船の下に腰をおろして話を聞いてくださっていますが、ぜひ、この船の中に、みなさん身体を置いたつもりになって、23人の乗組員になったつもりで、マグロをとっているときに、何か得体(えたい)の知れない火の玉や白い灰にまきこまれて、今言ったような症状になった時の乗組員やご家族の悲しみや苦しみとか痛みとかを想像してみてほしいと思います。


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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.1 「西からあがった太陽」

これから掲載する資料は、東京都江東区夢の島にある「第五福竜丸展示館」で開館以来20年間にわたり館長を務められた三尾喬英先生のご退職直前に、私の教え子たちを前にして話して下さった講話をそのまま起こしたものです。

このお話は三尾先生の20年以上にわたる「第五福竜丸」「平和」に対しての深い思いが込められています。今、このブログ内にもご紹介させていただくことで、お一人でも福竜丸の史実を心に刻んでもらえるのではないかと思い、公表することにしました。

8回の連載になります。
教育にたずさわる方には必読の連載です。
どうぞお見逃しなくゆっくりじっくりお読み下さい。

***********************

1、西からあがった太陽

昭和29年、第五福竜丸でマグロをとっていて被害(ひがい)にあった漁師さんたちは、自分達がどういう被害(ひがい)にあったかを日記や手記(しゅき)で残しています。

 その漁のときは、マグロをとる「はえ縄(なわ)」というのを船のうしろの方に、2時間ぐらいかけて 、スーッと流し終わって、これから朝ごはんを食べようとしていました。マグロがかかるのを待つことにしたんです。まだ夜が明けていませんでしたが、とつぜん、空が、海が、パーッと赤く、黄色く輝いたように感じたんです。光がザーッと走った。それはしだいしだいに空全面をおおうようになってしまった。

 赤く輝いたような情景(じょうけい)は、なかなか消えようとはしませんでした。びっくりして空を見上げた乗組員の目の前に、大きな火の玉が輝いているのが見えました。左舷後方(さげんこうほう)、水平線20度くらいの位置に、大きな火の玉が輝いているのを見たそうです。 どんな火の玉を見たのでしょうか?

 空は夕焼けのようになりました。この火の玉を見た乗組員は、「太陽が西からあがってしまった!」とぼう然と空を見あげておりました 。音はまったく聞こえませんでした。シーンとした中で、火の玉はしだいに赤くなり、紫色になって、しだいしだいに消えていったのです 。

 その後、3~5分後、海の底からおなかに突き上げるようなドドーンという音が聞こえたのです。海底火山が爆発したのか!それともこれはアメリカの原爆実験にぶつかってしまったのかもしれない!そう直感したと日記には書いてあります。大きな火の玉を見て、大きな音を聞いて、そう感じたと書いてあります。マグロはかかっていませんでしたけど、あわてて「はえ縄」を漁船に引き上げ始めました。

火の玉が消えたところからは、何か真っ黒で大きな雲が立ち上がるように見えました。それは、しだいしだいに広がって、第五福竜丸の上に おおいかぶさるように迫ってきたそうであります。そして、その雲から雨が降ってきました。しばらくすると雨にまじって、白い粉のようなものが降ってきました。マグロを引き上げ始めてから3時間くらいたったころです。

 そのころになると空も晴れてきて、雨もやみました。しかし今度は、白い灰のようなもの が、まるで雪が降ってきたように船の上に降りそそぎはじめました。甲板は真っ白になって 、足跡がうっすらとつくほどに降り積もったのです。
 この灰は、なんだかよく分からなかったけれど、非常にザラザラしていて、自分たちの髪 の毛、頭、おでこ、鼻の頭、ほほ、首の間、何だか痛いように付着(ふちゃく)しはじめた 。そのジャリジャリする粉を、かんだり、味わったりしてしまった乗組員もいたそうです。

 乗組員の体に、痛いように雪が降り積もるように付着(ふちゃく)したその白い灰は、サンゴ礁のかけらでした。しかしそれはただのサンゴ礁(しょう)のかけらではありませんでした。あとでわかったことですが、これは強く放射能(ほうしゃのう)をあびたチリでもありました。



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第55回東京都視聴覚教育研究大会に参加

今日は午後から出張させていただき、江戸川区立清新第一小学校で開催された「第55回東京都視聴覚教育研究大会」に参加しました。

参観した授業は3年生の国語。「情報リテラシー」をテーマにした授業でした。
授業をしたのは日頃お世話になっている江戸川区のH先生。清新第一小学校の先生ではないのですが、出前という形で研究のための授業を提供してくださいました。

今回の授業は、自分の持っている情報を、情報の受け手(相手)に分かりやすく伝えていくためにはどうしたらいいのかを身につけることがテーマでした。
まず自分の宝物を見やすい写真に撮る。ピントやアングルにも注意をしながら、一番効果的に見えるように撮影する。
次にその写真を紹介する文章を考える。その時に相手に「分かりやすく伝える」ことができているかどうかを判断しながら書いていくことをねらいとしていました。


私が感じたことは、文章を書くときにはやはり「相手意識」を常に持っていることが大事だということでした。

これまで私も「学校ホームページ」に力を入れて東京都の小学校を代表する学校サイトを作ってきた中で、子ども達にも情報発信をたくさんさせてきました。

心に平和のとりでを築く

6年生の1年間情報発信をしてきたこと

鮭とば作りデジタル感想文集

最近も「ユニバーサルデザイン」について調査し考察したことを情報発信させました。

香取小子ども情報局

どこのだれが見るか分からないインターネット上に情報発信をしていくことで、可能性としては人類65億人すべてが見るかもしれないという高次元の「相手意識」を常に持ち、さらに無責任な文章は発信できない、自分の文章に責任を持つという情報発信の基本を指導していくことができるのではないかと仮説を立て、実践しています。


さて、今回の研究会ではメディア教育開発センターの堀田龍也先生が講師として最先端の情報を講演してくださいました。下記画像がその講演内容を書きとめていったマインドマップです。

「新学習指導要領と教育の情報化」


新学習指導要領を「情報教育」という視点から分析・解説してくださった講演はとても分かりやすく、小学校現場で取り組んでいかなくてはならない指導事項をしっかりつかませていただきました。
特に、今回の学習指導要領改訂では、情報化社会への適応をするために変更された点が非常に多くあることを具体的に示してくださいました。

ひとつだけ紹介しておくと、これまで中学校の指導内容として扱われてきた「キーボードタイピング」や「インターネット検索」に代表される基本的な技術は、小学校段階での指導内容に変更されたので、もし小学校教諭が「自分はパソコン指導はできない」という理由で手を抜いた場合、その学級の子ども達は中学の授業についていけなくなるケースが出てくる。小学校で身につけておかなくてはならない情報技術が身についていないので、中学での学力が保障できないということになりかねないということ。

ということは、家庭単位の問題としても、もうパソコンがないと学校の授業についていけなくなる時代が来るかもしれないということです。


半年前の情報がすでに古い知識となってしまう高度情報化社会に入った人類です。情報を自分が有利になるように、また他人にも有利になるように使えれば、自分の世界が変わる時代です。学校の教員は自分の殻を破る必要に迫られているように思えてなりません。
人にやらせるのではなく、まずは私自身が率先して新しいものを吸収し、子ども達の確かな生きる力を引き出していけたらいいなぁと講演を聴きながら感じました。

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半分教師 第37回 「6年生は「『卒業式』について考えてみました」

これは2007年3月12日に他のブログに書いた記事です。
現在中2の子ども達が6年生の時に考えたことです。


1.卒業式とは何なのか?
・学校生活によって成長した姿をみんなに見せる式
・親に「こんなに立派になった」ということを伝え、それはみんなの支えがあったからこそ、今の自分がいるという確認するため。
・小中高と卒業が分かれていて、一つ一つの山をこえること。
・先生が言っていたように、人生の節目だと思う。
・中学で勉強も人との交流の輪も大きくなって、人生のハードルが一つあがるようなものだから、卒業式は人生の一つの節目みたいなもの。
・新しい一歩をふみだすための行事。
・卒業式とは小学生のゴール地点で、中学へのスタート地点だと思う。
・新たなスタート。
・一つのスタートからゴールまで終わったことを認める式。
・一つの課程が終わって、新しい道へ進むステップ。
・自分たちが小学校の6年間すごした日々を忘れずに、中学校に旅立つ事を聞いてもらう。
・今まで6年間おつかれさま、という意味で、体を少しの間休ませてあげるのと、自分の心の中で小学校は終わったけど、中学校でもがんばろうとけじめをつけるものだと思う。
・中学に進むための行事。
・卒業式とは新しいことにチャレンジする日。
・新たなスタートの一歩。
・次へ進んでいくための式。新しいスタートの一歩。
・小学校生活最後のしめの行事。
・あなたは小学校の全課程を修了したということを示す式。
・小学校で学ぶことは、すべて学んだという式。
・小学校終わり。
・6年間の学習のまとめ・けじめ。
・学校生活での区切り。
・6年間の小学校生活のしめくくり。
・最後の授業。
・小学校6年間の大切な行事。6年間のたった1回の行事。
・卒業式は最後の授業。
・けじめをつける行事。
・6年間の授業のまとめ、しめくくり。
・自分たちが6年間学んだ事の結果を出す最後の授業。
・6年間の成果を一気に出す。
・学校のすべてを修了すること。

以上の意見をまとめ、今年の卒業式が何なのかを言葉にすると・・・

「小学校6年間で学んできた成長の姿を示し、卒業という節目をしっかりと刻んで、次へのスタートを切っていくための小学校最後の授業である。」


2.自分たちはどんな卒業式にしたいのか?
・12年間、私たちを育ててくれた親に、自分たちの成長した姿を見せて恩返しをして感動させる卒業式にしたい。
・感動的でみんなに何も言わなくても「ありがとう」と伝わるものにしたい。
・祝う会の時のように、みんなが見てて心温まるような卒業式。
・私たちが学んできたことを示し、親や先生、来てくれた人に感謝をしながら。
・学んできたことを式にいかして、見に来た人を感動させられるような式にしたい。
・今までやってきた卒業式より一番感動できて、心に残る卒業式。
・きびきびとみんなが動いて、見ている人が「さすが6年生!」と思ったり、感動したりする卒業式にしたい。
・辰巳小の人たちが私たちの卒業式を見本にしてくれるような良い卒業式。
・親に堂々と自分の成長した姿を見せられるような卒業式。
・中学で勉強も部活も安定したスタートをするため、悲しいことも悔しいことも失敗も、ここですべてを正し、悔いの残らない卒業式にする。
・心残りなく中学校へ行けるような卒業式にしたい。
・悔いのない卒業式。
・自分たちも先生達も納得のいくような卒業式。
・忘れられない卒業式。
・良い思い出になる卒業式。
・思い出に残る卒業式にしたい。
・心に残る卒業式にしたい。
・楽しく思い出に残る卒業式にしたい。
・心に残り続ける卒業式。小学生に思い残しのない卒業式にしたい。
・みんなが目標を持ってすばらしい卒業式!!
・みんなが(親たちも)「最高だった!」と思える卒業式にしたい。

以上のことをまとめて、どんな卒業式にしたいのかを言葉にすると、
「参加してくれた人たち全員に感謝し、参加者みんなで感動を味わい、ずっと心に残り続けていくような納得のいく最高の卒業式」

ということになりました。
きっと素晴らしい卒業式にすると思いますよ、この子たちならば。

*************************

(卒業式を振り返って)
それで、この卒業式がどうなったかというと、私の教員生活史上(自分が担任だった以外の卒業式もすべて含めて)で最高クラスの立派な卒業式になったわけです。

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算数パソコンドリル

算数の少人数制をとっている私の学校です。
5年生2クラス42名を3グループに分けて学習しています。

私のところは「ひかりグループ」といって、16名の子が授業を受けています。

どんどん授業が進んだので、今日は復習をするために「算数パソコンドリル」という教材を使ってみました。

このドリルは私の友人である北区立赤羽小学校の先生がコツコツと毎日1ドリルずつ作り上げた努力の結晶で、算数の復習には大変役に立つものです。

学校のホームページにリンクしておきましたので、ご家庭でも自由に使えます。

ぜひご活用ください。
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バケツ稲の作業

暑い中でしたが、バケツ稲を育てるために土作りをしました。
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ネットマナーの勉強

ブログへの子供たちの書き込みが始まったので、ネットマナーを教えておく必要があると感じ、今日はその授業をやりました。

先週の授業でコメントを入れてくれた子の文をみんなで検討しながら、はたしてだれが読んでも恥ずかしくない文であるかどうか考えました。

意味の分からないことを書いていた子の文は、子供たちから見てもおかしなものだったので、意味のあることを書かないといけないことを多少は理解してくれたようです。
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バケツ稲 スタート

かなり遅いスタートになってしまいましたが、ゴールデンウィーク明けの今日から「バケツ稲」を育て始めました。

今日は「種もみ」を観察して、さっそく発芽をうながすため水につけました。

今週は毎日の水かえが子ども達の仕事になります。
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あなたの長所

道徳の授業は一番楽しいです。
なぜなら自分の経験を思い返しながら、これからの生き方を考えることかできるからです。

今日の道徳の授業。子どもたちはきっと楽しかったはずです。

自分や友達の長所について、たくさんの子が発言しました。

これからも道徳では、体験発表大会を続けていくつもりです。

今日の授業で何も言えなかった人は、次のチャンスを生かしてください。
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高学年らしさを考える授業

もっと早くやりたかった授業でした。
いろいろなことがあって、予定をのばし、やっと今日の5時間目にできました。

高学年らしさを考えようというテーマで、一人5つの意見を出して、分類ごとに整理しました。

子ども達の意見をまとめると、


一、 心のこもったあいさつをするべし
一、 言葉づかいをていねいにすべし
一、 時間を守るべし
一、 相手の気持ちを考えて、みんなで協力すべし
一、 委員会や係の仕事に責任を持つべし
一、 すき間の時間を有効に使えるようにすべし
一、 いつも姿勢を正しくすべし
一、 積極的に行動し、自分のことは自分でやるべし
一、 勉強に力を入れるべし
一、 低学年に親切にし、お手本となるべし
一、 整列・行進を乱れずに行えるようにするべし
一、 学校のルールやマナーを守るべし
一、 自分の意見ははっきり言うべし

この13ヶ条となりました。

「先生、これを習字で書いてはってください。」という要望が子ども達から出ましたので、毛筆で書いて教室掲示します。
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