新美南吉研究・・・日帰り弾丸ツアー

先週の日曜日(21日)に「ごんぎつね」の誕生の地へ、日帰りの弾丸ツアーに行きました。

私は今、小学校4年生の担任をしています。4年生の国語の教科書には、どの教科書会社が作っているものにも「ごんぎつね」という物語が掲載されています。江東区で使っている光村図書の教科書では、学年の最後に「学年のまとめの総合単元」として扱うことになっています。

現在、担任している4年生では、この最終単元を入れかえて、12月に「ごんぎつね」を行うことにしています。理由は今年の自校の研究が国語であり、その研究授業が12月にあるためです。最終単元を前倒しで12月に行うので、「ごんぎつね」を学習した後に行う「学年のまとめの学習」に耐えうるだけの子どもたちの実力を育てきれていません。そこで未習事項を補うためにも「教師の教材研究」に全力投球している最中です。ブログの更新ができなかったのも新美南吉研究に没頭していたからです。


「ごんぎつね」は新美南吉が19歳の時に書いた作品で、日本の童話の中でも特異な存在感を示しています。南吉がその人生の大半を過ごした愛知県半田市岩滑(やなべ)。この岩滑を舞台にして「ごんぎつね」は創作されています。

いったい岩滑(やなべ)とはどのような地域なのだろうか?
南吉が育まれた土地の空気はどういう雰囲気なのだろうか?

岩滑の地に立たない限り分からないことがたくさんあると感じ、車を走らせたのです。


やはり行って良かった。
現地に行かなくては知りえなかった貴重な資料がたくさん集まりました。



この写真は「新美南吉記念館」です。
一見すると芝生広場のように見えますが、この地下に記念館があるのです。地下室展示という形態を取っています。それはまるで、ごんぎつねが住んでいた洞穴のようなイメージです。一説によると、この記念館に隣接する森は、ごんぎつねの冒頭に出てくる「中山さま」という殿様の屋敷跡地だとも言われています。


「ごん」が住んでいたとされる「権現山」です。
岩滑の地域のすぐ近く。本当に目の前にあります。
物語を読んだだけでは、どこか少し離れた山のように感じられる面もあるのですが、実はものすごく近い距離の山。手の届くような近さなのでした。
物語の文中にはこのように書かれています。

「その中山から少しはなれた山の中に、『ごんぎつね』というきつねがいました。ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱいしげった森の中に、あなをほって住んでいました。」

確かに「少しはなれた」と書かれているので、ごんはけっこう近くにいるのでしょうが、文字からでは本当の距離感は分かりません。現地に立って見て、
「これほどの近さだったのか。なるほど!この狭い地域なら、ごんは年中、人間の生業を見ることができたに違いない。」
という理解に至りました。


兵十がうなぎやきすを撮っていた「矢勝川」です。
兵十は、川に「はりきり網」を張って魚漁をしていたのですが、この写真ような小川を前にして、私は、
「これほど小さな川だったのか。」
「なるほどこの川ならば、ごんでも渡れるし、びくの中からうなぎやきすを川の中へぶちこむといういたずらも簡単にできそうだ。」
と思えたのです。教科書の挿絵からも、それほど大きな川ではないことが分かりますが、それにしても私が想像していたよりはるかに小さな川だったのです。


新美南吉の「生家」です。
南吉のお父さんは畳屋をしていました。なので、家の右半分は畳仕事のスペースです。左半分で生活をしていきます。
家には地下室のような部屋もあり、そこに炊事場・食事をするための四畳間・物置がありました。食事用の四畳間は天井がとても低く、立つことはできません。


南吉は8才の頃に、母方のおばあさんの家に養子に出されています。写真はその養子先の家です。
この頃の様子を次のように書いています。

「おばあさんの家は村の一番北にあって、背戸には深い竹藪があり、前には広い庭と畑があり、右隣は半町もへだたっており、左隣だけは軒を接していた。そのような寂しい所にあって、家はがらんとして大きく、背戸には錠の錆びた倉が立ち、倉の横にはいつの頃からあったとも知れない古色蒼然たる山桃の木が、倉の屋根と母屋の屋根の上におおいかむさり、背戸口を出たところには、中が真暗な車井戸があった。納戸、勝手、竈のあたり、納屋、物置、つし裏など暗くて無気味なところが多かった。家は大きかったが電燈は光度の低い赤みがかったのが一つしかなかったので、夜は電燈のコードの届かない部屋にいく時、昔のカンテラを点してはいっていった。 夜はもちろん寂しくて、裏の竹薮がざあざあと鳴り、寒い晩には、背戸山で狢のなく声がした。昼でも寂しかつた。あたりにあまり人がみられなかつた。
 おばあさんというのは、夫に死に別れ、息子に死に別れ、嫁に出ていかれ、そしてたった一人ぼっちで長い間をその寂莫の中に生きて来たためだらうか、私が側によっても私のひ弱な子供心をあたためてくれる柔い温ものをもっていなかった。」
(「常夜燈の下で」より)

あまりの寂しさにノイローゼ状態になった南吉は、半年もたたないうちに元の家に戻されます。
この養子に出された体験がその後の童話創作活動の中で、「母を求めるせつない心情」を顕したのだと言われています。



たった6時間の滞在でしたが、たくさんの知識と気づきを得ることができました。本だけで調べたら何年もかかるような知識をたった6時間で身体に染み込ませたような感覚があります。この財産を生かして、良い授業をすることができるように頑張ろうと思っています。

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「マインドマップで作文すらすらワーク」の中には、新美南吉が死をむかえる前に命の炎を燃やし尽くすようにして書いた「狐」という童話を題材にした、読書感想文の書き方マインドマップが紹介されています。
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