東洋の魔女について

1964年、東京オリンピック女子バレーボールで金メダルをとったのが、当時の大松監督率いる「東洋の魔女・全日本女子チーム」でした。会場となった体育館は「駒沢屋内球技場」です。私にとっても思い出の体育館です。というのも、今からはるか昔の高校時代、卓球部キャプテンだった私は、この体育館で何度も試合をした経験があります。特に思い出に残っている試合は、東京都ベスト16まで勝ち進んだ団体戦。ここまで勝ち進むとすべての試合が心シビれる厳しい試合になるのですね。完全にエピソード記憶に残っています。

この駒沢屋内球技場が改築されるそうで、その閉館イベントに辰巳ジャンプも参加表明をいたしました。

駒沢屋内球技場メモリアルイベント

5月24日(土)の「閉館記念小学生バレーボール大会」です。
東京都小学生バレーボール連盟からは、「当日よろしくお願いします。」という連絡もありました。
辰巳ジャンプの子供たちは、どうぞ楽しみにしていてください。

このブログでは、東洋の魔女チームについて、たびたび学習教材にしてきました。今、その内容を再掲載します。

(河西昌枝さん)
「試合に勝って泣き、負けて泣き、練習がきびしいといって泣き、しかられたといって泣き、泣きながら、ボールにむしゃぶりついていったりするのは、女子選手としては日常茶飯事であったのだから、よく泣けるということは、女である証拠かもしれない。わたしも、いつのまにか泣かない河西にされてしまったが、はじめのころはよく泣いたものであった。コートの中で、ワーンと泣いたことはないが、勝つたびに、負けるたびに、泣いていたこともあった。ひょっとしたら、女は泣きながら強くなる本能をもっているのかもしれない。」

(東京オリンピック金メダルチームキャプテン・河西昌さん)
「『あなたたち選手の全員に憎まれてもいい、チームが強くなってくれれば』という言葉を、わたしはしばしば使っています。練習の激しいさなかには、たしかに、そういう言葉を使いましたが、じっさいに全員に憎まれてはキャプテンは勤まるわけがありません。裏を返せば、信頼しあって、猛訓練に耐えていこうという表現だったのです。つまり私自身としては、選手に信頼されるキャプテンであろうとした、ということです。」

「わたしたちが、来る日も来る日も、何百回、何千回と練習してきた回転レシーブも、それこそ事実血を流して習得してきた回転レシーブでさえ、いざ実際の試合になれば、そのうちのほんの二つか三つぐらいしか応用できないということです。それに、ふだんあんなにうまく上げられたボールをミスすることさえあるではありませんか。いつだって努力の何分の一しか答えは得られないのです。やっぱり凡人であるわたしたちにできることは、努力することなのでしょう。」

「試合に勝って泣き、負けて泣き、練習がきびしいといって泣き、しかられたといって泣き、泣きながら、ボールにむしゃぶりついていったりするのは、女子選手としては日常茶飯事であったのだから、よく泣けるということは、女である証拠かもしれない。わたしも、いつのまにか泣かない河西にされてしまったが、はじめのころはよく泣いたものであった。コートの中で、ワーンと泣いたことはないが、勝つたびに、負けるたびに、泣いていたこともあった。ひょっとしたら、女は泣きながら強くなる本能をもっているのかもしれない。」

「わたしたちは、先生のためにやっているんですよ。だって先生は、わたしたちのためにやってくれてるんですもの。」

「わたしたちが続けた練習というのは、単に個々の技術の錬磨ではなかった。わたしがこういうトスを上げた方がいいんだと思って上げる。すると、こういうトスが来ると判断して待ち構えて打つ。あの人がああいうかっこうをしてレシーブしたら、ボールはこっちへ飛ぶ。わたしはこういうふうに出てこうする。この以心伝心の連繋動作が、よりいっそう緊密になり、6人が完全に一体となるための練習でもあった。」

「わたしたちは、『できない』ということは禁句であった。できないことをやるのが練習だったからである。そして、これらの過程で手足もからだも鍛えられた。」



(大松博文)
「おまえたちには、もう、試合において苦手もなければ、調子が悪くて力が出せなかったなどというようなことは起こらない。そういう、ほんとうの内容をもったチームに、わしはしている。」

(大松博文)
「日紡貝塚の選手たちの、絶対に勝つのだという根性は、勝つのだ、勝つのだ、というお題目から生まれたものではありません。絶対に負けない、というふだんのがんばりから生まれたのだと信じています。
 一口にいうならば、飛んでくるボールを“絶対に受けそこなわない”練習から生まれたのです。ボールを落とすことは負けに通じます。」

(大松博文)
「人間は、生まれて、ものごころがついてから死ぬまで、毎日が修養だ。とちゅうで1日でも怠ったら、真の人生からそれだけ後退する。それと同様に、バレーも、バレーを始めたら、バレーをやめる瞬間まで、それの連続だ。そのあいだ、1日でも練習を怠ったものは、世界のレベルから、ソ連その他から、一歩後退する。また、追いつかれ、追い抜かれる。しかも、やっているあいだは、いいかげんなやり方は許されない。全力を尽くしてやらなければならない。」

(大松博文)
「いま、つらつら考えるに、もしわたしたちが日紡貝塚バレーチームにつくった最大なものはと聞かれるならば、楽しいふんいき、ということかもしれない。強くなること、勝つこと、それに絶対必要なのはチームワークであり、そのチームワークは、楽しいふんいきがなければできない。
(中略)
とにかく、ウジウジしていたやつが、チームに入って1年もすると、みんな、まるで人間が変わってしまう。」

(大松博文)
「わたしたちが各セットごとに得た三分の一以上のスコアは、サーブポイントだ。この一貫した成功には、多大な努力がはらわれている。わたしはトレーニングにあたって、三分の一以上の時間を、サーブの技術革新に費やした。」

(大松博文)
「いちばんいけないことは、なんでも、やってみないで、自分にはできないと思うことです。できなければ、できるまでやる。その意志をつらぬく。それが、人間のいちばんだいじなことです。」

(大松博文)
「わたしは、しめたりゆるめたり、泣かせたり笑わせたりして、練習の単調を破ろうとして苦心した。また、一つのボールを打つにも、たとえば、ソ連の攻撃の方法を想定して打ち、レシーブする選手の動かし方を考えながら打った。それには、選手それぞれの個性が大きく関係している。
 練習を終えて、帰途につけば、あのやり方はまちがっていなかっただろうかと心配し、明日はどんなふうにやろうかと、三つも四つも新しいやり方を考え出した。
 ところが、来年になったら大松はやめるから、今のうちに練習方法を習っておこうなどと、世間ではいった。あれはまちがいだと思う。」

(大松博文)
「1日に1ミリの千分の一でいいから、拾う力が余分に伸びてくれ。1日に10センチも20センチもとはいわないから。」

(大松博文)
「私はバレーのチームを育てながら、どの選手のどんなミスも、すべて監督である私の責任だということがわかってきた。だからおこらなくなった。(中略)ミスした本人は、しかられる前に、しまった、と思っているのだ。子どもでも同じことらしい。だから、恐れ入っているうえにしかりつけられたら、ミスは帳消しになり反抗心を起こさせ、さらに、もう二度とこんなミスはすまい、という一番大事な気持ちを放棄させてしまう。」

(大松博文)
「わたしは奇跡というようなことばは口にしたくありません。天から降ってくるようなことに、人は期待すべきではないと思うからです。水のない地下から、泉がわき出ることはないのです。」

(大松博文)
「ひとりが何かプレーをしているとき、他の5人は二つか三つ先を読んだ行動をしている。われわれのチームは1年じゅう合宿して練習しているから、だれかが一つのプレーをしたばあい、自分はこうすればいい、ということが反射的にわかり、自然とそうした動きもできるのだ。」

(大松博文)
「人間とは弱いものだ。苦しくなると、さけて通ろうとする。楽な方へ逃げたくなる。それでは強い選手になれない。苦しさに耐えて、創意工夫をして、人以上の努力をすることが一番大切です。それをやる人が、やがて偉大な選手になる。」

(大松博文)
「わたしは奇跡というようなことばは口にしたくありません。天から降ってくるようなことに、人は期待すべきではないと思うからです。水のない地下から、泉がわき出ることはないのです。」

(大松博文)
「いちばんいけないことは、なんでも、やってみないで、自分にはできないと思うことです。できなければ、できるまでやる。その意志をつらぬく。それが、人間のいちばんだいじなことです。」

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この頃、次々と聞こえてくる声

ここ1、2ヶ月、このブログ記事について、教育関係者からたびたび言われることがあるのです。

「副校長になってから、学校教育について書くことがめっきり減りましたね。最近はバレーボールのことばかりですね。ちょっとさみしいです。」

今日も俳句教育のことについて、府中市の先生に連絡し、私の知らないことを教えてもらったのですが、やはり「教育のことを書かないのですか? 楽しみにしているんですよ。」とご要望がありました。

そうなると書かないわけにはいかないのかなぁという気持ちになりますし、私が教育のことを書くことで、何人もの方が前進できるのならば大義名分もできるかなと判断します。もともと誹謗中傷を書くようなことは細心の注意をはらってきましたし、個人情報に関してもできる限りの配慮をしてきました。私が教育のことを書けない状態にすることの方が、じつは重大な問題(表現の自由に対する人権侵害)だとも理解していました。そしてここ2年半、私は正直なところ表現の自由を奪われてきたと感じてはいます。なぜ教育管理職は自分の考えを表現してはいけないのか。そんなことはなく、言葉の隅々にまで責任をもって表現することまで制限されてはいないのです。問題になるのは、表現することで、それを是としない方々までにも配慮ができているかどうかということなのです。

方々から「教育について語ってほしい!」というご要望があがっている今、少しずつでも書き残しておく必要があると判断し、再挑戦を開始いたします。
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