地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

90万アクセス御礼・箱根登山24年前の交代劇

2008-10-01 23:34:01 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂きまして誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは90万アクセスとなりました。何事ものんびり・まったりが良いな……と思っている私から見れば、このアクセス数は異常としか思えないですね……(汗)。まぁ、今後も引き続きヒマが許す範囲で、三十路の戯れ言やショボい撮り鉄記録を楽しんで頂ける方との「趣味のツボの押し合い」が出来るような空間を保って行ければと思っております。
 さて、90万アクセス記念の懐かし画像として選んでみたのは、開業120周年を迎えていろいろな催しが行われている箱根登山の24年前の記録です。
 今年の箱根登山は、まず1003Fが小田急7000形を意識した登場時の塗装を復活させ、さらに9月には108号が小田急初代3000形 (SE車) を意識した金太郎塗装を復活させておりますが (金太郎108号、まだ撮りに行けていない……-_-;)、そこで改めて思うのは、1000形が「懐かしの旧塗装」を再現するようになるほど、その新造から年月が経ってしまったのだなぁ……ということです。私などは、1000形は未だに新型車両だと思っているのですが……(滝汗)。



 1003Fが24年選手となったということは、その登場によって長年来活躍してきた旧型車・モハ3形に2両の廃車が発生し、釣掛旧型車天国・箱根登山の牙城が崩れ始めてからも24年が経ったということで、改めてしみじみとしたものを感じます。
 とりあえず、1981年に1001Fがスイスの姉妹提携鉄道にちなんで「ベルニナ号」を名乗って登場し、見事ブルーリボン賞に輝いた時点では、恐らく2両編成の列車を増やす目的もあって旧型車の廃車は発生しませんでした (80年代前半まで、湯本=強羅間の区間運転は単行が当たり前。朝晩は小田原直通列車も単行で来ることがあり、季節によっては死ぬほど混雑しました。爆)。しかし、1003Fの登場によってついに、戦前製の車体で白熱灯を装備する113・115号が引退することになり、しかも新聞に「さよなら装飾を施して走る」旨が掲載されたのを目にした私は、まさに目の前が真っ暗になるような気分……。と申しますのも、箱根登山は幼い頃から家族旅行で定期的に訪れており、宿の窓から箱根登山の旧型車の姿を眺め、釣掛の音を聴くことで、幼い頃から半鋼製旧型車への愛を育んだからであります (ちょっとオーバーな表現ですが ^^;)。とくに、モハ2形のうち111・112と、モハ3形の113・114・115は車内が白熱灯であり、その暗〜い車内に心の底から癒しを感じておりました (根暗な少年でしたので。笑)。
 そんな白熱灯車が一気に2両も廃車になるというのは、物心ついた頃からの箱根登山との付き合いにおけるとてつもない一大事件……。そこで、なけなしの小遣いをはたいて113・115号の最後の姿を記録したのですが、如何せん経験の浅い中学生が「フルマニュアルコンパクトカメラ+フィルムの箱ヤマカン露出」で撮った出来の悪いネガが、さらに化学変化を起こして劣化してしまいましたので、かなり見苦しい画像である点はご容赦下さい (スキャン・レタッチは地獄……汗)。
 そんなひどいネガでも、やっぱり残っているだけマシ……と申しますか、いやー懐かしい! そして、登場したばかりの1003Fに「ベルよぉ……」と悪態をついていた私も、今や「登場時の姿は貴重だなぁ……特にこのドデカHM!」と思うようになってしまいました。トシはとりたくないですね (汗)。

【お知らせ】今月は業務繁忙につき、たぶん更新のペースが下がります。ご了承下さい。下手をすると完全に更新が滞って、ブログそのものが「みなさんさようなら」になりそうですが……(^^;)。