広電の旧型車分高めな系統で、元京都の1900形と並んで主力の座に君臨しているのが、元大阪市電の900形です。現存するのは冷房改造された9両で、1900形と比べるとやや少ないのですが、たまたま私が訪れたときには7・8系統の主力として頻繁に現れ、特に両系統が合流する横川駅付近では、さながら900形の天下という観がありました。それは単純にこの日、路線が短い8系統に900形が複数入っていたからでもありますが、横川駅のメチャクチャ豪華な折り返し線に7&8系統の900形が並んでいる光景は、もし今も大阪に路面電車があればこんな感じなのだろうか...と想像せずにはいられません。いっぽう、茶色とベージュのツートンカラーは如何にも地味な落ち着きを周りの街並みにも与えており、古き良き路面電車黄金時代が今でも広島で完璧に再現されているのだなぁ...という思いを新たにすることができます (*^^*)。
それにしてもこの900形、流線型 (?) の海坊主顔に加えてノーシルヘッダー、そしてバス窓という出で立ちですので、どう見ても他の旧型車と比べて「新型」に見えてしまいます (^^;)。しかし、いろいろ調べてみますと、何と生まれは1957年、古い車両の車体載せ替えによって誕生したとか...。実は先日定期運用を離脱した京阪1900系の中間車 (元1810系) と同じくらい車齢を重ねた半世紀ものの選手だったという...。かつて1980年代に半鋼製釣掛式電車にはまった私から見れば、バス窓の車両はかなり新型電車の部類っぽく見えたものですが (というわけで、日車標準型とか一度も撮っていないです...苦笑)、そんな車両すらいつの間にか超古参電車となり (江ノ電305Fもしかり)、こうして珍重しなければならなくなったとは...。年月が経つのは早すぎますね (汗)。
そして、製造後わずか12年で路面電車廃止により大阪を追われた900形が広島に来てから来年で40年になるとのこと。確かRM誌の今年の7月号に、廃止後の大阪市電がかき集められた森ノ宮車庫の光景が載っており、900形と同じようなスタイルの電車が大量に放置され、解体されているというシーンには胸が痛むばかりでしたが、今や広島暮らしの方がはるかに長くなったというわけで、900形は非常にラッキーな電車なのだなぁ...と思う次第です。
なお、他にも350形や760形も撮っているのですが、1900・900形の大活躍の陰でこの他の旧型車は会心のカットを量産できませんでしたので (^^;)、いずれ改めて広島を訪問して撮りためた際にご紹介できればと思っています。
こんな感じで広電を楽しんだ後は、横川駅にてJRWに乗り換え、国鉄型電車の楽園にドップリ漬かることにしたのでした...(広島出張編つづく)。