
京急といえば1000形。1000形といえば快速特急の主力! ……2000形が登場して、日中のA快速特急(現・A快特)のほとんどを担うようになる前の1970年代はそんな時代でした。いや、正確には湘南フェイスの600形 (琴電1070形として現存するほか、逗子の池子公園でも保存) が京急の女王でしたが、女王陛下だけに如何せん本数が少なく、私が京急沿線に住んでいた1970年代後半は、駅や沿線で待っていても、かなりの確率で1000形が快速特急として運用されていたものです。これに加えて、都営浅草線に乗り入れるH特急は完全に1000形の運用でしたので、まさに優等列車の天下は1000形のためにある……かの感が子供心にありました (なお、川崎=逗子海岸間の急行は、停車駅の多さゆえに優等というよりも「速い普通」という印象で、かつ400・500・700の世界。そこで、とりあえずここでは京急の優等=快特&特急として書いております ^^;)。
正直なところを申しますと、快速特急には600形が来れば「当たり」で、ごくありふれた (爆) 1000形が来ると「ちぇっ、またかよ・・・」と思ったものですが、代表的形式の最盛期とは往々にしてそのようなもの。JNR→JR103・113系、東急8000系、小田急フェイスの車両、そして東武8000系など……一時代を築いた決定版であればあるほど、どんどん数を減らし、やがてなくなったときに初めてその偉大さに気付き、「その日常風景の中を当たり前のように飛ばしていたこと」が無性に恋しくなるものです。京急1000形の場合でいえば、ロングシートのため着席確率が低い→立たざるを得ない→子供なので釣り革に手が届かない→三浦半島でのカーブの連続をブッ飛ばし揺れまくるときに敢えて「どれだけよろけないか」我慢比べ大会をする……という相当子供じみた不毛な思い出が、1000形独特の「プモォォ~」というCP音の連続、そして激しくうなるモーター音の連続とともにメチャクチャ懐かしかったりします (笑)。

しかし、そんな1000形の優等運用も、2000・1500/1700・2100・新600の出現とともに次第に数を減らし……特に新1000が現れて以来、日中の飛ばしまくり運用に入ることはまずなくなり、最近では僅かに朝の9B (12連)、夕方の81SH (8連) に残る程度となっていました。
このうち朝の9B・12連につきましては、ここのところ毎週1回仕事の都合上、9B品川行の横浜到着とほぼ同じ時刻に横浜から東京へ向かう東海道線を利用していることから「いずれ消えることは確実なので、撮っておかねば……」と思っていたのですが (出来ればその時間、「走るんです」に貢ぐよりも京急に乗り、かつ撮りたいものの、こういうときに限って時間の制約あり)、なかなかその機会なし (T_T)。いっぽう、午後3時過ぎに久里浜を出庫して三崎口に向かい夕方のラッシュ運用に入る81SHにつきましては、日中「快特・三崎口」を表示するシーンを撮影できるのは久里浜以南しかないことから、何とか機会を見つけて撮ろうと思いまして、去る9月に無事三浦海岸で撮影 (^^)。1枚目は、一応バックにうっすらと房総半島を入れたり……。2枚目も、バックの巨大な「1970年代風リゾートマンション」は、「東洋のマイアミ」として三浦海岸が売り込まれ、シーズン中には海水浴臨が増発されていた当時を物語るかの風情があり、1000形との組み合わせも絶妙……ですね (かなりうがった見方ですが ^^;)。
こうして細々と優等運用に入っていた旧1000形ですが……先日、その出勤ついでに東海道線車内から9Bを眺めたところ、何と旧1000ではない……。その直後、とある極めて信頼できる筋から、旧1000形の9B運用が正式に消滅した旨ご教示を頂きました。ということは……朝の9Bとセットになっている夕方の81SHも当然陥落したわけで……こうしてまたひっそりと、長年にわたる原風景が失われてしまったことに、改めて寂しさを感じる秋の暮れであります……。