地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

伊豆箱根大雄山線の黄色い老雄・コデ165

2009-01-06 00:16:14 | 事業用車両


 さらに神奈川県内の私鉄事業用車&元相鉄つながりで (^^;)、大雄山線のヌシ・コデ165をアップしてみることにしましょう。
 小田原駅の片隅から出発する小路線として、かつて箱根登山と伊豆箱根大雄山線がそれぞれ重厚な釣掛式電車を走らせており、東海道線を下って来るとまずは大雄山線のくすんだ西武色の電車がお出迎え、これに対して箱根登山は小粒ながらもピリリと辛いモハ1~3形が存在感を主張していたものです。しかし、私が物心ついた70年代後半には既に、かの箱根山戦争も勝負が見えていたような……。そこで当時グリーンとクリームだった伊豆箱根バスだけでなく、国鉄・西武・相鉄の中古をかき集めた大雄山線も、箱根登山の電車・バスと比べて相当地味~な印象があったのは否めません (大雄山線はもともと最乗寺への参詣電車と小田原近郊電車を兼ねた路線ですので、箱根山戦争とはそれほど関係ないのですが ^^;)。
 そんな大雄山線と私との付き合いといえば……幼少時から温泉旅行で乗る箱根登山の旧型車が大好きだったことに加えて、大雄山線沿線には用がない家に育ったため、小学校の頃までの大雄山線の印象は「恐ろしく地味で古過ぎ謎めいた電車」というもの (^^;)。しかし、だからこそそんな大雄山線のことが次第に気になって仕方がなくなり、中学生になってからはさっそくカメラ片手に何度か、5000系入線前後の大雄山線を撮り歩いたものです。
 もっとも、当時の最大の狙い目は、何と言っても17m国電の残党! モハ154~156とクハ183は車内がニス塗りという垂涎モノの車両であり、しかも154・156は前パン! これらに次いで、後パン&車内ペンキ塗りに改められたグループが当たり……ということで、もと相鉄2000系の160番台グループはイマイチ優先順位が下がっていたのは否めません (^^;)。いや、もちろん今も昔も日常的に相鉄に親しんでいる身として、普段はかしわ台でしか見られなかった2000系が主力として走っている光景は、当時でも「素晴らしい!」のひとことでしたが、他がもっと強烈な存在でしたから……。



 こんな選り好みの思い出も、今考えてみればゼイタクこの上ない話 (爆)。1984年に登場した大雄山線の新星・5000系は、大雄山線にしては余りにも斬新だったことから、「まぁどうせ1本や2本、見かけ倒しで導入するだけで、整備状況が良い元相鉄グループはたぶん長く残るだろう」と思っていたのも束の間……5000系は第2編成以後ステンレスに移行していつの間にか大 (?) 増備され、旧型車の残りは両運転台の牽引車に改造されたコデ165のみとなってしまいました (汗)。
 そんなコデ165、無蓋車を牽いる工事用列車として活躍することもあるようですが (→形式名の「コデ」は「工事用電車」そのまんまか?)、出番は夜間に限られる……ということで、白日の下でその勇姿を眺めることが出来るのは、5000系が東海道線を介して駿豆線の大場工場との間で甲種輸送されるときに限られます。まぁ、このへんの話題はDJ誌にも時刻が載るほど有名な話ですので、これ以上の説明も不要というものでしょうが、平日ごくまれに走るのみということで、撮影の機会がそうそう巡って来るわけでもなし。しかも、往復をうまく撮影するのであれば、薄曇り程度がベストコンディション。これは難度の高い撮影です……。
 というわけで、あらゆる制約を克服して、釣掛サウンドも高らかに走るコデ165の走行をうまく撮影できたときは、思わずガッツポーズ (^O^)。端で見ている分には、単行の際の起動はアッと驚くほどパワフルで、5000系3連を牽引するのも楽勝という雰囲気ですので、今後ますますの長寿と撮影チャンスの再来を心から願いたいものです……(^^)。
 ちなみに、相鉄2000系のこの車体は、本家相鉄の2000系およびモニ2000、大雄山の160番台のほか、日立のクハ2501・2502、三岐の155・156といった車両に流用されていますので、いずれ鉄コレとしての登場を願いたいところですね~(とくに相鉄は緑系ツートン希望 ^^)。これに加えて、幻の銚子電鉄バージョン (確か重すぎるためにデヴュー出来ず、犬吠駅前のレストランとして流用中) とか……(超爆)。