
昨日は小田急海老名イベントから一旦帰宅したのち、夕刻から横浜西口に繰り出しまして、かねてから大いにお世話になっております「ぱれっと」様と約1年ぶりのミニオフ会を開催しました。沖縄料理店にて定番のオリオンビールやシークワーサーのサワーを傾け、美味い料理や沖縄そば、そしてシメにこれまた定番のブルーシール・アイスを賞味しつつ、延々と積もった話を続けること約4時間少々 (爆)、いやはや、舌も鉄ネタも超濃厚なひとときを過ごさせて頂きました。貴重なお土産を含め、ぱれっと様には改めて心より御礼申し上げます! m(^^)m
そんな小宴における話題の中心は、ぱれっと様が昨年敢行された東欧の旅、そして私が先日敢行したベトナムの旅についてであり、さらには国内のローカル線や台湾etc...と縦横無尽に展開していったのですが、最大公約数的な結論としましては、日本国内において濃いぃ路線や車両が消えて行き、ヲタが加速度的に特定の路線・車両に集中して雰囲気が悪化する中、のんびり・まったりと鉄旅や撮り鉄を楽しむのであれば今後ますます海外をブラブラする方が満足感が大きいのではないか、ということ。そして同時に確認したのは、海外の車両と言っても最新型のヨーロッパ・韓国製の車両ではどうにもこうにも萎えるわけで、いっぽうで旧社会主義圏の車両は、その体制には全く共感できないにせよ、計画経済的なそっけなさをビンビンに残した質実剛健なボロさが逆にサイコー!ということ (笑)。というわけで、ポーランドやハンガリーのボロ車両、そしてベトナムのボロ車両の魅力を互いに語り尽くすという、常人は勿論フツーの鉄ヲタであっても到底ついて行けない奇っ怪な議論百出となったのでありました (笑)。

というわけで、ベトナム・ハノイ撮り鉄日記の本番へといよいよ突入致しましょう。まずは、4日間の鉄活動&観光の皮切りとして、ハノイを代表する景観のひとつであり、ベトナム戦争の激戦ぶりを今に伝える古蹟でもある鉄道&道路兼用橋・ロンビエン (龍辺) 橋を訪ねた記録です。
旧市街にある宿からまずチンタラ歩いて着いたのはロンビエン (龍編) 駅。漢字に起こすと、ロンビエン橋は龍辺、ロンビエン駅は龍編(どちらも由緒ある地名。龍辺は紅河北東側の龍辺郡を指し,龍編は西湖東側の繁華の地を指す)ということでヤヤコシイですが、今やそんなことを気にするのは漢字を使っているヤツだけということで、フランス人宣教師が考えたローマ字 (クォックグー=国語) に乗り換えたベトナム人にとってはどうでも良いことなのかも知れません (^^;)。
それはさておき、旧市街のカオスの真っ直中に佇むロンビエン駅は、折返し駅であるというのに何と単線の停留所! 要は、ロンビエン橋~ハノイ駅間の中心街で長時間踏切を閉めるのを避けるため、紅河の北東側からやって来る日中のほとんどの列車は市内バスのターミナルがあるロンビエン界隈で折り返しているという次第。そんなロンビエン駅に朝8時40分過ぎに到着するハイフォン (海防) 発の列車を、由緒あるロンビエン橋のど真ん中で撮影することに。
怒濤のバイクや車をかわして大通りを渡り、何とか橋を渡り始めますと、今度は……歩行者用スペースの余りの狭さとベコベコぶり、そして欄干の低さにメッチャ恐怖! ジャンジャン行き交うバイクのため、老朽化極まりない橋の上は常にビミョーに揺れていますし、仏領時代の建設によるのではなくベトナム戦争時に応急復旧された橋の中央部はとくに不安定なうえ眼下には紅河の濁流が渦巻いていますので、こういう場所が苦手な方には断じてオススメできません (^^;)。そして……かっ飛ばすバイクをかわしつつ待つことしばし……約10分遅れでやって来た列車を激写!! をを~バイク行き交うロンビエン橋と中国製罐、そしてボロ客車……ハノイの現在をある意味で最も象徴する光景と言えましょう。
そんなこんなでやっとこさ約2kmの橋を渡りきり、今度はロンビエン橋を渡り終えてハイフォンに向かう列車を激写! ともあれ、時速10~15kmの最徐行で鉄橋上を列車が渡る光景はある意味で牧歌的ではありますが、いずれ円借款で建設されるという都市鉄道の新複線橋に置き換えられるのもやむを得ないかな?というわけで、その工事が本格化する前にこうして自分で歩き記録出来たことをラッキーに思う次第です。

宿を出て旧市街を歩いていると、ちょうど回送列車が来てラッキー!

そしてロンビエン駅に到着。これでも首都中央駅の隣駅です (^^;

ホームに勝手に入ってロンビエン橋を望む。ボ、ボロい……。

ハノイ市街へ入る歩道兼自転車道は、怒濤のバイクに占拠されコワ過ぎ。

では渡りますか……滝のような車・バイクをかわして橋の歩道に入るのが一苦労。

ベトナム戦争で何度でも橋を破壊され仮橋を造り直した生々しい爪痕。

ようやく対岸のザーラム側に到着。バンザーイ!!