これまで延々と続けて参りました昨年8月のジャカルタ遠征の記録、なかなかアップする時間もないまま、いつの間にか多くの記録が鮮度を失ってしまい、ただ単に撮った画像を忘れずにレタッチするためにもアップするという感じになってしまいました (汗)。この間の約1年、本当にいろいろなことがありました。プルワカルタの廃車放置会場がいっぱいとなった結果、日本製冷房車は短期訪問ではなかなか到達しづらいド田舎チカウムに放置されることになったり、横浜線205系が集中的にデビューした結果としてKCJ全体がJR化していった一方、都営6000系・メトロ6000系・東急8500系に離脱車が発生したり、はたまたKAI客車の塗装変更が始まったり……。そして何と言っても忘れるわけには行かないのは、ジャカルタでも10年以上にわたって爆走し続けてきた103系が最近ついに、ラッシュ時のマンガライ~ドゥリ間フィーダからも離脱し、休車状態に陥ったらしいということでしょうか。
思い出してもみれば、2009年に初めてジャカルタを訪れた当時、103系は4+4の8連が2本という陣容で、決してタマ数は多いとは言えませんでしたが、運用は基本的に中央&ボゴール線(たまにブカシ線)の急行と決まっており、ラッシュアワーであれば結構頻繁に見かけることが出来、ボゴール線の山登りで強烈なモーター音に酔いしれたものでした。しかし、2011年に東海色となって以来、既に散々酷使された103系の凋落が始まり……全検から余り使われていないにもかかわらずケヨE20・27編成は休車となり (今やチカウムの土に……)、ケヨE21・22編成の8連が孤軍奮闘を続けて来ました。とはいえ、既にメトロ・JR軍団が大量増殖する中、103系には余り目立った出番はなく、個人的に東海色時代は余り撮れなかったのを思い出します。
そこで、もうこのまま検査切れで離脱か……と思いきや、昨年前半には再び検査入場してKCJ標準色に!! 基本的には引き続き予備車ながら、まだ横浜線205系が揃うまでは、メトロ6000系・KF・Holec ACの不調と相俟って、都営6000系が老骨にむち打って走っていたのと同じく、103系もマンガライ~ドゥリフィーダに入ることが多いとのことでしたので、昨年の今頃は「何とか乗って撮るチャンスに恵まれないものか……」と願いつつジャカルタ入りしたのでした。すると何と!期待通りにフィーダ運用に入ってくれたのみならず、別の日にはスルポン線運用にも入り、マジャからタナアバンまで延々2時間近く乗るという感動!感激!にも恵まれたとは……。また別の日には、パクアン急行様のお取りはからいでブキッドゥリを訪問する機会も得られ、103・203・205系の並びを激写するという最高の一瞬にも立ち会えたとは……。
今度の訪問の直前に103系が離脱してしまったのは、一昨年の訪問の直前に非冷房エコノミが完全に離脱してしまったのと同じく遺憾なことではあります。とはいえ、昨年の訪問時にこれだけの経験が出来てしまった以上、他に多くを望むのは贅沢というものでしょう。
103系……もしJREとKAIとの協力関係が13~14年以上前に確立されていれば、もっと多くの編成が海を渡り、日本から6000km以上離れた土地に103系帝国が現出していた可能性もあります。しかしそうならなかったのは、少々遺憾なところです。それでも、103系に最高によく似合う青ツートン塗装をはじめとして、様々に装いを変えて熱帯の街を駆け抜け、逼迫する輸送需要に最高の安定性を以て応えたのは、まさに103系の本領発揮、103系の名車たる所以というものでしょう。
ジャカルタの103系、長らく本当にお疲れ様でした。
遠来の103系ファンに、何度も装いを改めながら楽しい夢を見させてくれて本当にありがとうございました。
またこのことは、103系に全幅の信頼を寄せて整備に余念がなかったインドネシア人スタッフの皆様の尽力の賜であったことを忘れるわけには行きません。
……とか何とか思ったら、事態は……(謎)。
以上で、昨年8月のジャカルタ遠征の記録を終了させて頂きます (ラッピングだらけのメトロ7000・05系は時間切れで省略 ^^;)。長らくお楽しみ頂き誠にありがとうございました m(_ _)m