地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東関東新緑DC紀行 (4) 小湊鐵道・午後の2連

2006-05-16 09:23:41 | 地方民鉄 (関東北東部)


 さて、小田急9000形さよなら疲れ(立ち続けて筋肉痛……)がようやく癒えてきたところで、再びDCのんびり巡りに戻ることにしましょう。
 小湊鐵道のキハ200は、平日の昼間なら原則として単行で走っておりますが、だいたい午後2時以降に五井を出発する列車から2両編成となります。単行の超ローカルのんびりムードは、それはそれで絶品なのですが、2両編成も長過ぎず短過ぎずちょうど良いな~と思います (^^)。
 なお平日の朝や、養老渓谷に向かうハイカーで混み合う土日には3両編成が出現し、さらに紅葉のピークなどには4~5両編成も臨機応変に出現します。以前、ポジフィルムで紅葉シーズンの4両編成を撮影したことがありますが、全車ほぼ同じスタイルの編成が満員の客を乗せて堂々と走る姿はまさに圧巻でした……。



 もっとも、2両以上で運転されるということは、それだけ撮影する側から見て鬱陶しい客が増えるということでもあり……。休日なら、童心に帰った観光客が窓から顔を出しまくりという事態は決して珍しいことではないでしょうし、特に平日の場合、ここはまさにヤンキー高校生多発地帯のDeep房総にあたることから、思わず卒倒しそうになるシーンに遭遇することも……。↑のカットも、せっかく本数が激減する上総牛久以南の山あり谷ありゾーンで待ち構えていたというのに……窓から顔と腕を出した下校中の高校生にポーズを決められてしまいました……(号泣)。
 ただ、そんなヤンキー高校生が写っているのもDeep房総らしいや、と思い直しまして、一応このカットは成功作ということにしてあります (苦笑)。
 ちなみに、このカットを撮影したのは上総牛久~上総川間間。牛久駅から徒歩20数分で着くことが出来、何のためにあるのかよく分からない築堤の上または中腹から割とうまく撮影できます。まず上総川間まで行ってから歩いて引き返してきたのですが、他にも単行を撮ってみたいスポットが何か所かあったりして、そのうち深い緑に覆われたら……と目論んでおります。
 馬立で上総川間までの切符を購入した際、駅のおじさんに「川間なんて何もないけど、良いの?」と念を押されましたが(笑。隣の鶴舞なら「関東の駅100選」です)、その日の行動計画は、川間付近で午後4時半前後の列車を立て続けに撮影後、大急ぎで牛久駅まで戻り、午後5時発のアクアラインバスで横浜に戻ろうというものでしたので、「いや~全然構いませんよ」というナゾな会話をしてしまったのでした (^^;)。しかし、上総川間で降り立ってみると、本当に駅の周りは森に囲まれた田んぼしかなく、ただ蛙の声が聞こえるのみですので、「こういう何もなさって、考えようによっては本当に貴重で素晴らしいのでは……」と思いました。今度は缶ビールでも持参したいですね (爆)。

全通間近の中国青蔵線・10年前の記録

2006-05-15 00:44:11 | 中国の鉄道


 ここのところ関東・関西の私鉄ネタを中心とした話題が続いておりますので、たまには気分転換として外国の話題を少々……。最近、新聞やネットを見ていますとしばしば、標高5000m超 (確か5072m) の世界鉄道最高地点を走ることになる中国・青蔵線が7月に正式開通の見込みである云々……という記事が目につきます。そこで、その部分開通区間を今から10年前に乗ったときの記録をちょっと回顧してみたいと思います。
 中共政権が1970年代、「チベットは中国の不可分の一部分である」ことを強調したいがために、冷ややかな国際的視線をよそに建設を始めたこの鉄道は、青海省の西寧から「世界の屋根の仏教都市」ラサまで約2000kmを結ぶものです。そして、とりあえず80年代中頃に、青海省西部の巨大塩湖のほとりにある砂漠の街・ゴルムド(格爾木)まで開通させたものの、そこから先は酸素が平地の6~7割しかない永久凍土帯において莫大な費用と技術を注ぎ込む余裕がないということで、私がショボい貧乏バックパッカーとしてフラフラと乗った90年代には建設が凍結されていました。
 その後、ラサまでの建設が再開されたのは、外資流入によるバブルに次ぐバブルで下手に自信らしきものを抱いた民族主義者たちが「中国は本来世界一の大国だ! 中華の威光を輝かせるのだ!」などという怪しい文句を叫び始め、そんな表現が当たり前のようにメディア上であふれるようになった2001年になってからです。それから僅か5年、あっという間のイケイケノリで完成し試運転が始まっているようですが、人口密度が極めて低いだけに (沿線の大部分は無人地帯)、ほとんど国威発揚のため、そして「鉄道技術でも日米欧を真っ青にさせるのだ」という意図のためにわざと造っているような路線としか思えません。それゆえ、果たして莫大な建設資金を将来回収できるのか (そもそも回収しようという意図すらあるのか?) といった点でも興味深いですね (笑)。あと、高山の永久凍土上を重量級の列車が頻繁に往来すると熱で路盤が融けるという問題があるらしいのですが、それを果たしてクリヤしきれているのかどうかという点も……。
 それはさておき、90年代中頃当時、西寧~ゴルムド間の所要時間は、2日に1本運転の急行が19時間 (今では毎日3往復で所要13~4時間)、毎日運転の鈍行が24時間でした。
 乗った当時は個人的な「撮り鉄・10年のブランク」の真っ直中で、貴重なポジフィルムのほとんどは街並みスナップ撮影や名所旧跡撮影に回していたのに加え、駅や列車などで一眼レフカメラを頻繁に取り出す行為自体が非常に注目を集める時代でしたので、残念ながら鉄道は真面目に撮影していないのですが (スナップ程度 ^^;)、真夜中から明け方の一番寒い時間に、部分開業段階での最高地点 (もちろん7月の全線開通までは中国国鉄最高地点) である南山駅に停車したときには、折角ですので敢えて撮影しました (↑の画像) 。標高は3700mですので、とにかく寒いですが (-_-)、チベット高原ではありふれた草と岩ばかりの風景の中を走ることがお分かり頂けると思います。この駅に隣接するトンネルを通過するときなど、暖房が入らない鈍行に乗ればまさに冷凍庫……。いっぽう、この駅の西側には壮大なループ線やΩ線もあって、なかなか壮観です (まあ、この種の線形は中国各地にあって、それほど珍しくないわけですが)。なお、この程度の標高 (富士山並み) を列車で通過するのでしたら、高山病になることは余りないと思います。



 そして列車は終点のゴルムドに到着。多くの客が駅前でラサ行きのバスに乗り換えますが、外国人はこの街の旅行会社で特殊な手続きを踏んでク○高いツアー代金を払い、チベット自治区入域許可を得たうえで指定されたバスに乗らなければ、途中の検問所で引き返させられる運命が待っていますので、面倒なことこの上なかったですね。鉄道全通後、このシステムは果たしてどうなることやら。西部劇の舞台のように枯れ果てたこの街に立ち寄らなくても良くなるとすれば、めでたさ半分、寂しさ半分といったところでしょうか。
 ここの標高は2800m。まだ高山病にはなりません。しかし、ここからバスに乗ると一気に4500~5200m台に突入し、それが24時間以上続きますので、「空気がマジで足りない!」という露骨な感覚に始まって、激しい頭痛や食欲不振などなど、高山病は非常に辛かったですね……。まあその試練を受ければ、富士山と同じ高さのラサに着いたあとがとてもラクです。
 というわけで、これから恐らく様々なニュースでも取り上げられることになるであろう話題を少々先取りしてみました (^^;)。

小田急9000形・さよならの涙雨

2006-05-13 20:35:00 | 大手民鉄 (小田急)


 当ブログはこのたび6万ヒットを達成しました。最近は何のかの言って約1ヶ月ごとに1万ヒットを数えておりますが、これもひとえに皆様のご愛顧あってのこと。これからも、ネットという名の巨大な海の片隅に浮かぶちっぽけな「おまけ」ではありますが、地味~に濃いぃ話題を心がけて行きたいと思っております。
 さて、おめでたい話は取りあえずここまで。今日は小田急多摩線の唐木田車庫で開催された9000形さよならイベントに行って参りましたので、その模様を少々備忘録的に綴ってみましょう。イベントは基本的に人が多くて嫌いだ……と言いながらも、小田急線沿線住民として長年9000形に親しんできた以上、やはりどうしても最後の姿を記録してパスネットをゲットしたいわけでして……。
 しかし、同じことを考えている小田急沿線住民は必ず多いはずで、限定2000枚のパスネット及び13:45までの撮影会は必ずや大変な事態となることが予想されました。そこで、昨晩は終電で帰宅してヘロヘロであったにもかかわらず敢えて朝7時には起床し、9時過ぎに唐木田に到着しました。既にさよならHM付きの走行シーンは撮影しており、もし今日のさよなら運転撮影に付き合おうものなら、さよなら列車乗客1000人だけでもパスネットは捌けてしまうに違いないことが容易に想像されましたので、秦野~唐木田間の撮影はパス。まあ開始1時間以上も前に行けば、海老名の車庫公開での販売状況からして、余裕で列の前の方に並ぶことができるだろう……そして早めに購入して撮影会の列に並べば、割とてきぱきと所期の目的を達成できるだろう……そう踏んだのでした。
 ところがどっこい、会場に着いてみると既にパスネットの列は猛烈に長く……ただただ唖然呆然 (爆)。車庫を跨ぐ陸橋の手前の十字路のあたりで最後尾に並び、待つこと1時間半、ようやく10時45分頃に無事購入したのでした……(ホッ ^_^)。列はこの時点でも延々と続き、最後尾は車庫の陸橋を通り越してはるか彼方。11:35頃に売り切れ宣告がなされた時点でも膨大な列でしたから、2000セットは名車の最後にしては少なすぎたのでは??と思います。



 パスネット購入後は猛ダッシュして、9000形とメトロ6000系の並びを正面から撮影可能な撮影会場へ向かう列の最後尾へ。……何と、唐木田駅に戻ってきてしまいました (-_-)。
 それから待つこと約2時間、苦労の果てにようやく千代田線相互乗り入れコンビの最後の対面を撮ることが出来ました。カーブの内側に6000系が停車していますと、構図上どうしてもこちらの方がメインになってしまい、9000系が脇役っぽく見えてしまうのですが、まあ仕方がないでしょう。出来れば、千代田線用103系1000番台のうち、桜井・和歌山線および広島の105系に改造された車両をもう一度常磐緩行色に塗り直して並べてくれれば完璧だと一瞬思ったのですが、まあそれはあくまで超妄想ということで……(そもそも国鉄・JR車は小田急まで来ませんし ^^;)。
 私が撮影したのはだいたい12時40分頃。この時点でもまだまだ列は長く……最後尾は果たして13:45のリミットに間に合ったのでしょうか??



 こんな感じで、ほんの一瞬の購入&撮影のために合計約3時間半も冷たい雨の中で立ち続けなければならないという極めて過酷なイベントではありましたが (しかも出遅れたり判断ミスしたりすると両方を手にすることは困難!)、見たところ大部分の来場者は如何にも地味な私鉄ファンといった雰囲気の方が多く (したがって長蛇の列も基本的に秩序が良好に守られていました)、とくに千代田直通準急から快速急行・8両各停まで、9000形のいろいろな活躍を長年じっと見つめ続けてきた20~30代以上の人々が多かったのでは……と思います。そんな静かながらも熱い視線に加え、天も感じ入った涙雨に見送られながら最後の時を迎えた9000形は、まさに名車の中の名車であったと言い切って良いでしょう! 改めて、34年間本当にご苦労様でした……。

 ちなみに今日の小田急は千代田線の信号トラブルと富水での人身事故によりダイヤがガタガタ。このイベントのあと市ヶ谷での用事に向かうために唐木田駅に戻ったところ、1000形多摩急行が新宿行として停車中! 一般車に乗って、普段はロマンスカーしか見かけない新宿の1号線に到着するという奇妙な体験を味わいました。その帰り、新宿で散々並んで快速急行藤沢行きに座ったまでは良かったものの……15分以上遅れた挙げ句相模大野で運転打ち切り……(号泣)。果たして今日を以て引退する9000形の怨念 (?) が未だにさまよっているのでしょうか??

かなりん千鳥線の定期貨物健在!

2006-05-12 14:37:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 当ブログでたびたび扱っている川崎臨海地帯の小さな貨物線・神奈臨千鳥線。去る3月のダイヤ改正までは、青化ソーダ・ラテックス・有蓋コンテナを日常的に運んでいました。しかし、ダイヤ改正以後はこれらの輸送がなくなり、ラテックス輸送用タキは半田埠頭へ廃車回送され、一日に一回だけレール磨き&踏切作動確認のための単機が入線するだけの寂しい路線となってしまった……という悲しい話を、リンク頂いている「ロジ坦」さんなどから目撃情報として頂いていました。
 というわけで、飽きもせず散々通った千鳥町界隈も、他の路線での撮り鉄に力を注いだこともあって、3月以降はすっかりご無沙汰になってしまいました。
 しかし、そろそろ沿線に植えられたツツジが咲いている頃だろう……と思いまして、単機が往復するだけの状況を撮るのもひとつの記録だと割り切り、久しぶりに川崎駅からバスに乗って悪臭立ちこめる一帯を訪ねてみました。
 すると……何とも予想外な事態が!! DD55の後ろには、青化ソーダコキがしっかりと4両連結されていました!! 一瞬余りにも驚いて腰を抜かしそうになりながらも、「廃止になっていなかったんだ……」という感激とともにシャッターを切ったのでした (^o^)。



 取りあえず、ダイヤ改正前までは
(1) 午前中の列車 (201レ) でその日の全ての千鳥線入線車両を千鳥町のヤードまで連れてきたのち、
(2) まずラテックスタキと有蓋コキを、川崎貨物駅と千鳥町の間のA化成側線に入線させるために引き連れて帰り (202レ)、A化成からはラテックスタキを引き出す。
(3) 昼間は千鳥町のヤードに青化ソーダコキを留置し、
(4) 午後の単機 (203レ) が青化ソーダコキを再び迎えに行き、
(4) 青化ソーダコキは204レとしてA化成に入線。A化成からは青化ソーダコキと一般コキを引き出す。

……という要領だったのですが (必要に応じてN触媒やS電工に入線するタキを連結することもありますが、滅多になし)、ラテックスと有蓋コキの扱いは今回なく、青化ソーダコキをヤードに置き去りにしたDD55は (2) のステップにおいて単機として帰ってしまいました (↑の画像)。

 実際のロケーションをご存じでない方には甚だわけわからん説明で恐縮ですが (^^;)、何はともあれ非常に独特な貨物列車がどっこい生き残っていたことを大いに喜びたいと思います (^^)。
 一応、黄金週間頃までは単機が往復するだけの日々が続いていたらしいのですが、多分長期間にわたる生産調整か設備点検か何かだったのでしょう……。

東関東新緑DC紀行 (3) 小湊鐵道の昼下がり

2006-05-10 10:03:06 | 地方民鉄 (関東北東部)


 久留里線を皮切りに関東の非電化路線をめぐるとなれば、次は自ずと (?) 小湊鐵道。地味~な貨物シーン撮影趣味もかけもちしておりますと、アクアラインバスで五井駅に到着して東西自由通路に登るたびに「さて、東の山 (小湊鐵道) と西の海 (京葉臨海)、どっちに行こうか」という悩ましい気分になるのですが、前に五井に来た際は海側に行ってしまいましたので、今回は山側へ (^^;)。しかし出来ることなら、海と山のあいだを走る内房線のスカ色113系もじっくり撮っておきたいんですよね……。三者三様に思い切り楽しめるのが、鉄道スポットとしての五井という街の美味しさでしょうか。
 そんなこんなで、西口駅前広場に面したパチンコ屋の入口にある立ち食い蕎麦屋で軽く腹を潤したのち、1100発の養老渓谷行きに乗車 (なお、現在のところ路盤流失のため上総中野行も養老渓谷行として運行中。代行バスは必ずしもいすみ鉄道と接続できるわけではないのでご注意を……)。真っ昼間の単行は、ちょうど座席が全部埋まる程度の乗車率で、ほどほどの賑わいという感じです。
 昔ながらの静かな駅の連続にさっそく癒されたところで、ニュータウンに隣接した光風台で下車。まずは養老川の鉄橋を渡る単行をサイドから撮影することにしました。駅から歩いてすぐに着く堤防の上は、目の前に老人福祉施設が建っていることもあってちょっとした憩いの空間として整備されており、ここから長玉を用いて新緑の風景を圧縮してみました。上総牛久~上総中野間の山あり谷ありな風景に匹敵する、とてもニュータウンのすぐそばとは思えないシーンに大満足 (*^o^*)。



 その後、光風台から馬立まで歩いて移動しまして、かねてから目を付けていた馬立駅北側の水田にて撮影。いちおう水鏡を狙ったのですが、こういうときに限って風が吹き出して細波が立ってしまったため (-_-)、速攻でレンズを上に振って、ケヤキの屋敷森をバックに大きく入れてみることにしました。これはこれで、ケヤキの新緑や枝振りが余りにも見事ですので、大いに気に入っているカットです (^o^)。
 それにしても、キハ20を正面スタイル以外ほぼそのままコピーしたキハ200形のスタイルは、とにかくこういう風景に馴染みますね……。特に、昭和30年代に製造された、ステップの明かり取り窓もあるプレスドアの車両に当たりますと、そんな車両たちが各地で辛うじてゴロゴロ走っていた1970~80年代に思わずタイムスリップしたような懐かしい気分になります……。