地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

京成開運号塗装復活!@金町線

2007-01-25 17:52:22 | 都市民鉄 (首都圏)


 既に京成からの公式アナウンスを経て走り始めている「開運号」復活塗装の3298F! その模様は既に多くのHPやブログで紹介されつつありますが、私も昨日、平日の休みを使って「走ってるかな……?」と思いつつ京成を訪れてみたところ、見事金町線封じ込め運用を引き当てることに成功! 平日休みと、10分に1回必ずやって来る金町線運用が重なっただけでなく、天候的にも影が出ない程度の薄曇りという好条件が重なりましたので、これ以上望むべくもないほど最高の環境で撮影に励みました (*^O^*)。往年の王者の風情が漂う、惚れ惚れするほど鮮やかなその姿は、とても3月末限りで廃車になるとは思えないほど……。



 この塗装、基本的には開運号復活のために塗られたとは言いながら、優美な暖色系の塗装は、高砂~柴又界隈の下町風な街並みの中をチンタラと走るシーンにもなかなかマッチしています。特に、電車が着くたびに善男善女がドッと乗り降りし、美味そうな匂いが絶えず漂っている柴又の雰囲気には……(^_^)。
 但し、今回アップするのは柴又駅周辺ではなく高砂駅周辺の画像です (^^;)。クネクネ走るシーンが上手く決まったもので……v(^o^)。特に2枚目の画像は、撮る2~3秒前まで手前の北総線上を行くC-Flyerがカブり続けており、「こりゃダメだ……」とほとんど諦めていたのですが、天は我に味方せり!
 とりあえず高砂~柴又間のお気に入りスポットでは網羅的に撮影を済ませましたので、次は千葉線あたりで撮りたいですね。開運号の本番は仕事で行けませんので (-_-)、撮影される方のご健闘をお祈りします (雨だそうですが……)。但し人出が多いでしょうから、安全には十分お気をつけ下さい!

秋の大阪鉄日和 (6) 関西線の103系

2007-01-24 00:00:27 | 国鉄型車両


 阪和線で103系のみならず113・381系の歓迎に感激した後は、関西線を訪れてやはり103系を集中的に撮影することにしました。関西線や奈良線の103系は、一見山手線や八高線の103系と同じウグイス色と言いながら、実際には彩度がやや高いという点が独特ですが (そして運転台の下に白帯)、もはや103系が激減の一途をたどっている以上細かいことは言ってもいられず (爆)、ウグイス色に飢えていた私は10分間隔で次々に現れる103系の普通電車に悩殺されまくり…… (*^^*)。
 但し、いざ撮影となりますと、関西線は線路の両脇にビルやマンションが立て込んでいるところが多く、大きな構内の待避駅ということで期待していた久宝寺も城東貨物線旅客化工事たけなわで撮りづらく (しかも仮設の太いケーブルの影が下り待避線に入る列車の車体に落ちまくり……-_-;;)、結局は前にも撮影したことがある平野駅に戻ってきてしまいました (苦笑)。そこで、しばらく線路沿いに徒歩でロケハンして撮影したのが↑の画像。東部市場前方面から猛スピードで駆け下りて来る力強いシーンを完璧に記録できました v(^O^)v。画面左下に標識が写っているのは、アングル選び上やむを得ないということで (^^;)。



 その後再び平野駅に戻り、湊町、ではなくてJR難波行を後追い撮影。いや~オヤ○に片足突っ込んでいる身には、未だに「JR○○」という駅名はしっくり来ません (^^;)。車両が昔気質な103系なだけに、なおさら違和感が……。
 それはさておき、関西線の103系は高齢の車両が集中的に集められているような印象があるのですが、気のせいでしょうか (^^;;)。趣味的には「うわっ、この未更新の寒色系の車内、懐かし過ぎ♪」という楽しみがあったのですが、一般の乗客から見れば「他の路線・私鉄と比べても置き去りにされた路線」という印象が強いのかも知れません。そのためでしょうか、昨年末にはついに関西線にも201系が投入……。てっきり、東海道山陽線緩行で余った201系は環状線に集中投入されるものと思っていましたので、意表を突かれたかたちです。まぁ、新旧車両のバランスを調整して行こうということなのでしょう。
 かくして関西線の103系も先が見え始めたようで……次回はよく晴れた日の朝、ここ平野駅の通過線を猛スピードで駆け抜ける区間快速の8連を高速シャッターで写し止めたいものだと画策しております (^^ 

大福岡の小さな鉄 (5) 三池炭鉄訪問記1

2007-01-23 16:39:00 | 貨物列車 (臨海・専用線)


 まだまだある昨夏の福岡シリーズ、今度は一気に大牟田に南下しまして、かつての三池炭鉱鉄道の栄華を辛うじてしのぶことが出来るスポットを訪ねてみました。
 天神から西鉄5000系の特急に乗り、単線区間の存在にもめげずにモーター音を響かせて突っ走って行くのを楽しむこと約1時間、かつて炭都であったことが信じられないほど寂れた雰囲気の大牟田駅に到着。トボトボと街を歩いて山を一つ越しますと、やがて谷間に工場が建ち並ぶエリアにたどり着きます。その一隅に人知れずひっそりと佇んでいるのが、かつての三池炭鉱鉄道の心臓部にあたる宮浦のヤードです。ここまで、確か駅から早足で20分少々。噴き出る汗を拭き拭き、こんもりとした緑に取り囲まれて時間が止まったかのようなヤードや戦前以来の工場群の遺構を眺めながら、化学工場&コンテナ集荷場の入換列車牽引用として辛うじて生き残っている45トンELを待ち構えました。
 しかし、正確な運行時間など知る由もなく、事務所の前でELがパンタを畳んでいることに油断して辺りをブラブラしていたところ……突然事務所2Fから運転手氏と操車氏がドヤドヤと降りてきてパンタを上げ、すかさず「ブウォォォン」という、小さなボディからは想像も出来ない野太いタイフォンが鳴り、いきなり列車が動き出してしまいました! (@o@) 余りの突然の出来事に、撮影位置を離れていた私は狼狽しまくり……。何とか↑のように出発シーンを撮影したものの、後ろに空コキが数車連結されているのを見落とし、画面からは切れてしまいました……(-_-)。



 JRとの貨車引き渡しが行われる仮屋川操車場へ向かった列車は、すぐに単機として戻って来ます。そして事務所の前でパンタを畳んで昼寝状態に……。しかし、JRの大牟田止貨物列車は既に朝の時点で到着している以上、遅かれ早かれ宮浦のヤードに入線するはずですので、これで一日の運行が終わってしまったと考えるのは早計です(先にJRのDE10が、炭鉄から引き出された貨車を大牟田駅に連れて行く作業を行うため、ELは場所を空けるために一旦戻ってきたという次第)。
 そこでしばらくの間、福岡に戻らなければならない時間を睨みながら、ヤードに留置されている黄タキや銀タキをスナップするなどしてヒマをつぶしていたところ……ELがいきなりパンタを上げて再び動き出しました! そして待つこと約10分、仮屋川操車場からタキやコキを引き連れてELが戻ってきましたが……ELとタキの間に延々と空コキが挟まっているため、見栄えが……(-_-;;)。
 ともあれ、こんな感じで宮浦~仮屋川間の1日2往復の運行は終了! まあ呆気ないものではありますが(そして、タイフォンの音はデカいくせに静かに迫って来るELはちょいと不気味 ^^;)、かつて沢山の石炭車を連ねて大活躍した凸型電機がこうして現役で走っている光景に大満足したのでした (^o^)。しかも、小型ELが黄タキや銀タキをゴロゴロ転がしている光景は、日本広しといえども最早ここだけでしか見られないものですし……。

北京懐旧鉄巡礼 (6) 中国鉄道博物館

2007-01-22 20:28:21 | 中国の鉄道


 昨日は韓国鉄道分断点のミカサを取り上げましたので、戦前の日本製SLつながりと、北京鉄シリーズを兼ねまして、中国鉄道博物館をご紹介しましょう。
 中国鉄道博物館は、動力近代化の大波に洗われた中国の鉄道でここ10数年ほどの間に一気に消えていったSLの中でも特に歴史的な車両と、中国国産EL・DL・客貨車のうち代表的なものを陳列している巨大な施設です。案内によると、その設立目的は「中国の鉄道発展史を回顧することで青少年に科学技術の重要性を知らしめる」ことだとか。そして最大の特徴は、鉄道車両の試験走行を行うために設けられた環状鉄道に隣接しているのを生かし、全ての陳列車両が外界の鉄道網とつながったかたちで並べられていることです! (現在大宮に建設中の鉄道博物館もこのスタイルをとるようで何より ^^)
 そこでいざ入館料20元を払って入館してみますと、すぐ眼前に飛び込んで来るのは2台の最高峰装飾ガマ「毛沢東号」と「朱徳号」! 言うまでもなく、中共が建国当初「革命の二聖人」を記念して極上の整備を加えた車両ですが、元をたどればどちらも満鉄ミカイ!! 両車の案内には「原産国・日本」と表示されています。それにしても他に人が誰もいない……入り口のオバチャン二人も本当にヒマそうで、久し振りに客が来た、と言わんばかりの表情でした (汗)。



 まあそれも恐らく、歴史的な微妙さがあってのことでしょうか。韓国もそうですが、中国の鉄道が抱えている最大の悩みのひとつは、記念碑的な車両を前面に出そうとするほど、忘れたくても忘れられない「日本」の二文字が目立ってしまうこと。そして、鉄道網の拡大を長年自前では出来なかったことと、軍事施設としての位置づけが長らく続いたことが、中国(そして韓国)の鉄道趣味を最近まで未発達にとどめてきた大きな原因だったかと思われます。2枚目の画像の左側のSLも、日本のキューロクを標準軌用にしただけの車両! 右側の「国慶号」は中共政権成立後初の国産SLですが、これも満鉄ミカイの完璧なコピー! そう……現在の中国の鉄道は日本の技術にソ連風、あるいは自前のアレンジ(そして最近では欧米カナダ風もあります)を接ぎ木することによって成り立ってきたわけです。館内をたった一人歩いていると、そういう鉄道史が好むと好まざるとに関係なく分かるようになっています。
 というわけで、余りにも垂涎ものの車両が大量に鎮座しているこの博物館(そして、来る5月に再オープンする瀋陽SL博物館)の来客が増えるのは恐らく、100%中国国産の技術による超メジャーな高速車両が現れて中国が日本に嫉妬する必要がなくなり、かつそんな車両が引退する??年後かと思われます。しかし、そういう車両も未だ存在しない以上、かなり長期的な話になりそうな気もします。
 満鉄の遺産にただただ圧倒され、近代史の複雑さをも感じ取れてしまう中国鉄道博物館、下手な北京観光よりは全然オススメです。但し、北京市北東のとにかくマイナーな一隅にありますので、タクシーの運ちゃんも知らない可能性があります。ご用心、ご用心……。北京駅東側にあるバス発着所から「403路」のバスに乗り(北京駅真正面の通りにもバス停がありますが、ここは始発ではないので座れず、下手をすると約1時間立ちんぼです -_-;)、終点下車徒歩10分、というのが一番安くて分かりやすいアプローチです (^^ 

韓国の鉄道分断点・鉄馬は走りたい

2007-01-21 14:19:22 | 韓国の鉄道


 個人的な事情で大変恐縮ですが (→このブログそのものが個人的事情でありますが ^^;)、去る18日は何気にコリアン度が高い一日となりました。昼間は韓国の取引先からの来客と韓国話で盛り上がり、夕方はこの日発売されたばかりの『将軍様の鉄道・北朝鮮鉄道事情』をゲット! もう頭の中は久し振りに韓国語が渦巻かずにはいられません。
 特に、『将軍様の鉄道』はただただ驚きの連続! 世界初という看板は恐らく間違いではないであろう完璧な鉄道路線図、そして金正日専用列車の全貌から始まって、各路線・各種車両の紹介、そして極端な経済破綻により激減の一途をたどりつつある旅客列車の運行状況などなど……。その政治体制には問題がありすぎるとしても、「ボロいけど味のある車両趣味」という観点からみれば宝の山としか言いようのない北朝鮮鉄事情が手に取るように分かるという点で、まさに特筆ものです。とりわけ付録DVDなんて、あの極めて厳しい規制の中で一体どうやって撮ったのか??としか思えないほど鮮明!! 満鉄ミカイの生き残りが力走するシーンなど、素晴らしすぎて絶句ものです……。
 しかし、やはり行くなら崩壊した後の方が……というわけで、とりあえずはそんな北朝鮮のボロ車両群へ思いを馳せつつ、韓国側の鉄道分断点で3年前に撮影した画像があったのを思い出しましたので、ここにアップしてみたいと思います~。



 かつての釜山~大陸連絡における最重要ルートの一部を構成していた京義線(ソウル~新義州=中朝国境の北朝鮮側)は、朝鮮戦争以来長らくの間、ソウルから北西方向46kmに位置する街・ムンサン(ムン=さんずい+文。サン=山)で途切れていましたが、その後南北連絡輸送再開の機運が高まるにつれ、まず民間人が日常的に立ち入ることが出来る最前線の臨津江(イムジンガン)まで延長され、さらにその後民間人統制線を越えて新たに統一展望台が設けられた都羅山(ドラサン)まで延長されました。ちなみに、都羅山へ往復するにはパスポートが必要です。
 そこから先も既に北朝鮮側とレールがつながり、試運転を待つのみとなっていますが、北朝鮮軍部が拒んでいるため無期延期! (苦笑) 臨津江からはソウルよりも北朝鮮側の都市・開城(ケソン)の方が近いのですが……。ほんの僅かの距離でボロ機関車・ボロ客車を楽しめるのにぃ (-_-)。
 ともあれ、こうした鉄道再整備に伴い、かつて別の位置にあった鉄道分断点が、臨津江駅周辺の公園(北朝鮮に故郷を持つ人々が祖先を祀る儀式を行うための「望拝壇」や、朝鮮戦争関連のモニュメントがある)の中に移設され、鮮鉄ミカサとハ8形客車、そして鮮鉄設計を引き継いだ軽量客車が安置されています。ミカサの方は美しく整備されていますが、ハ8形客車の状態が悪いのが残念……。
 実は、このときは列車ではなく板門店バスツアーでの訪問ですので、ローカル列車で臨津江駅に降り立ち「あぁ……ここで途切れているのか」と心から感慨にふけったというわけではないのですが (^^;)、いずれ北朝鮮消滅、あるいは改革開放実施のあかつきには、釜山からここを経由して平壌、さらに北京まで行きたいなぁ……と思わずにはいられないのでした。