地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

相鉄ED10、1両を残し廃車解体!

2007-01-19 20:38:06 | 事業用車両


 相鉄が昨年夏に7000系を改造したモヤ700・計4両を竣工させ、ついに検測・入換用として投入したという話題につきましては、既に当ブログでもお伝えした通りですが、その結果失業してしまったモニ2000とED10につきましては、これまでかしわ台の奥の方にまとめて留置されており、その動静は相鉄ファンが秘かに憂慮するところとなっていました。しかし……今朝の『神奈川新聞』を見ていたところ、ついにED10のうち3両が廃車解体となった旨の記事が……!!(ToT;;)。
 ED10は最近ではもっぱらかしわ台の入換やニセ厚木~かしわ台間の車両回送に従事しており、滅多に動く姿を見せない存在でしたが、思い起こせば……米海軍厚木基地の燃料輸送がまだまだ活発だった小・中学生の頃、ヒマさえあれば相模大塚にチャリを飛ばし、その華奢な姿で7~8車の米タンを引っ張る姿を食い入るように見つめたものでした。厚木基地 (この基地名もとんでもないニセの極致) の騒音は耐えがたいものがありますが、鉄道少年にとってはこれが唯一の被害補償ということで (苦笑)、まあとにかく楽しませてもらったものです (遠い目)。そして、そんな経験が体内に刷り込まれたことによって、その後ヘロい貨物線・専用線趣味にものめり込むようになったのでした。そういう意味で本当にED10の廃車は、また一つ良き思い出が消えたという感じです……(号泣)。



 なお、『神奈川新聞』の記事によりますと、相鉄は残る1両について「見学などの目的で利用したい」とコメントしております!! その残る1両とは恐らくED11だと思われますが (個人的には、窓が大きく最も洗練されたスタイルのED14も……と思うのですが、記事にはそのED14がバラされたシーンが T_T)、既に保存車としてかしわ台の片隅に留置されているモハ6001・6021やトフ400と同様、車籍なき「相鉄の秘宝」となるのでしょう。モニ2000のうち1両も出来れば同様に保存車となれば、と思わずにはいられません!そして、小田急の秘宝が海老名で御開帳されるのと同様、昨年から開始された毎年1回の相模大塚祭りでも、これらの車両が目玉として御開帳されるとすれば、相鉄ファンにとっては言うことなしです (^^)。
 しかし……ED10が最早1両しか残っていないとすれば、休止中で路盤改良が少しづつ進みつつある相模大塚の専用線について、果たして本当に復活させる意図があるのだろうか……と疑問で仕方がない今日この頃。あるいは、20m車のモヤ700を無理矢理あのきついカーブの専用線に入線させるのだろうか……と (是非見てみたい気もしますが、それは恐らく有事で自動車輸送だけでは足りない時でしょうから、あまり歓迎できないのも事実です -_-)。

秋の大阪鉄日和 (5) 381系の原色車

2007-01-18 10:36:39 | 国鉄型車両


 忘れた頃のアップとなってしまった昨11月撮影の関西鉄シリーズですが (^^;)、このときの「阪和線・国鉄型車両祭り」では、もう一つの思いがけないサプライズとして、国鉄特急色を身にまとった381系を激写する機会に恵まれました (^o^)。もちろん、↑の「はんわライナー」は定期列車ですから、事前に調べておけば当然のように把握できるわけですが、何せこのときは天王寺で阪和線に乗るときまで水色の103系のことしか頭になかったもので (笑)、鶴ヶ丘駅に進入してきた国鉄色の381系を眼にした瞬間「これはとんでもない大当たりだ……!」と狂喜したことは言うまでもありません (笑)。
 しかも、首都圏の183・189系の大部分が撤去してしまった、銀色に輝く国鉄特急シンボルマーク (正式名称は何と呼ぶのでしょうか ^^;;) が何ともシブいじゃありませんか!



 その後我孫子町に移動しまして、引き続き103系撮影に励んでいたところ (2本連続で205系が現れ、不発気味でしたが……-_-;)、またしても国鉄色381系登場! 今度は団臨でしたので、なおさらDJ誌の片隅までチェックしていたわけもなく、最高の偶然でした (^^)。
 ……う~ん、低い屋根で運転席とパンタが目立つ381系のフォルム、見れば見るほど流麗ではありますが、実は個人的に、この車両にはまだ一度も乗ったことがありません (爆)。何故なら、南関東&伊豆エリアにしか親類縁者がいない私にとって、中央西線も紀勢線も伯備線も基本的に縁が遠い路線だからです。中央西線に2~3回乗った際には今はなき165系の普通列車を楽しみましたし、中学・高校時代に南海貴志川線や野上電鉄を訪ねたのも、これまた今はなき165系や12系の夜行列車に乗ったもので……。貧乏撮り鉄旅行をしていた頃は、381系の特急なんて高くて乗れませんでした (-_-)。
 とはいえ、元祖振り子式電車である381系がどれほど酔いやすいのかについては興味津々 (笑)。ショボげにしか見えない車内の写真を見るとその気も萎えるのは否めないのですが……(^^;

東急8500系、今後3年間で激減!

2007-01-17 21:56:28 | 大手民鉄 (東急)


 既にネット上の多くの場所でホットな話題となっておりますが、来る3月以降の田園都市線混雑対策について、東急が正式にその概要を発表しました! こんな話題が出たときに限って、私は一昨日職場からバタバタと帰宅する際にノートPCを職場に忘れてしまい、初めて知ったのは昨日の午前中だったという……(爆)。
 それはさておき、今回発表された計画のうち最も衝撃的だったのは、向こう3年間で5000系を25編成製造することにより、8500系の大量淘汰が決まったという事実……(ToT;;)。少なくとも、未更新車を多く組み込んでいる編成(例えば伊豆のなつ8614Fなど)は、もはや先は長くないだろうと予想していたのですが、↑の8629Fあたりまであと3年以内の命とは! 3年後にも残っているのは、車内に案内表示器を取り付けた後期の編成のみで、恐らくそれらが東武非直通編成グループを構成することになるのでしょうか。
 もしそうなるとすれば、田園都市線内で今のうちに効率良く記録しておく必要があるのもさることながら、とりわけ東武線内での記録を早めに積み重ねておく必要がありそうですね (既にそれなりに撮ってはいるのですが ^^;)。1往復するのに約5時間を要する半直ルートを走るごく僅かな8500系を、押すな押すなの撮影地で延々と待ち構えるというのは、個人的には決して好ましくない展開ですので……(そこまで減ったら通し乗ることを優先すると思います。待てばじきに戻って来る東横線8000系とは大きな違いですね)。



 いっぽう、編成の一部にVVVF車のお試しバージョンを組み込んでいる8642Fの今後も気になるところです (^^;)。そろそろ稀少部品の調達に難あり!という状況になりつつあると思われますので、VVVF車を休廃車として大井町線へ……という展開が一番あり得そうです。東武直通が始まるまで、8642FのVVVF車には結構遭遇したことがあり、8500系なのに9000系チックな音で激走するという不思議な雰囲気が好きなのですが、最近では東武非直通車が集中的に運用される時間の上り列車は避けているので (-_-;)、乗るのはすっかりご無沙汰になってしまいました。
 ともあれ、正式なアナウンスによって「いつまで8500系の黄金時代は続くか!」という問いは全く意味をなさなくなってしまいましたので、今後は残り時間を睨みながら、余剰となる車両たちがどのような順序で廃車になるのか、そして廃車後の身の振り方はどうなるのかという点に注目が集まるようになるのでしょう (-_-)。5000系 (?) 25編成の投入による大量廃車のうち、少なくとも先頭車3×2とサハ3両は長野に行くとして、残り20編成と8590系2編成は一体どうなることやら……。一定程度はインドネシアに行くでしょうが、まさか全部が海を渡るとも思えず (そうなったりして ^^;)、別の地方私鉄にも行くことになるのでしょうか?! 

 だんだん妄想になって来ましたので閑話休題 (^^;)。東急の「準急」種別採用については賛否両論あるようですね (^^;)。私個人としては、東武に合わせたという勘繰りも出来るのですが、より素直に考えれば、「急行」という種別を設定した時点で、その下位種別が「準急」になるのは一番自然で分かりやすいのだろうと思います。何故なら「急行」と「快速」という種別を目の前に並べられると、どちらが速いのか迷う人が少なくないと思われるからです。実際、会社ごとに急行>快速なのか (京王・西武)、それとも快速>急行 (東武・京成)なのか、まちまちですし……。
 京急の快速特急あらため快特や、小田急の快速急行のように、特定の種別の上にさらに「快速」を冠すればその方がより速い、というイメージは市民権を得つつあるように思います。まあ昔は東武のように、スペック面で「急行>快速急行」という事例もありましたが、これはどちらも料金制の優等列車なので大した混乱も起きなかったのではないかと思います ^^;)。

琴電年末の宴 (3) 長尾線旧型3連!

2007-01-16 12:58:41 | 地方民鉄 (琴電)


 志度線335号のさよならイベントが行われた翌24日は、公式DVD第2集・長尾線編が発売となるのを記念して、長尾線にて旧型3連が定期列車として2往復運行されました。特に今回の目玉は、長尾線の二大スターとも呼ぶべき120号(優美な大正スタイル)と300号(丸窓)が、志度線から転属して間もない65号(バス窓)と連結するという新展開です! 
 そこで私も、ぱれっとさんと海鮮鍋で忘年会をした翌朝早起きしまして、学園通り~白山間の広々とした田園風景の中に繰り出しました。この日の朝8時台は上空に雲がかかり、結構なスピードで飛ばして来る電車を撮し止めるだけのシャッタースピードを稼げるかどうか気をもみましたが、9時過ぎにはすっかり晴れ渡り、いよいよ釣掛の音も高らかに勇姿を現した3両編成が、30~40名ほどが待ち構える撮影地を颯爽と走り抜けて行きました!!(*^O^*)。
 いや~普段これほど人が集まるところで撮ったことがないもので、集中的に切られるシャッターの音にはビビリました……はい (笑)。



 とはいえ、そこはやはり琴電。基本的には首都圏での撮影会や有名撮影地でしばしば見られる殺伐とした雰囲気はなく、あくまで譲り合いながらののんびりムード (^^)。一往復目を撮り終えたあとは、誰もが600形や1200形 (1250番台) を思い思いの場所で撮影しながら2往復目に備えます。
 そこで私が選んだのは、学園通り駅にほど近い、家並みバックの水田の前。割と人口が多い田園地帯という長尾線らしさを狙ったつもりでしたが、家の屋根がゴツいためにパンタが目立たなくなってしまいました (^^;)。でもまあいいや、と。
 その後、長尾から折り返して来たラスト1本は撮らずに乗ることにしまして、300号の長尾寄りの台車の上に座りまして、足下からビリビリ伝わってくる猛烈な轟音を心の底から満喫しつつ v(^O^)v 瓦町までのショート・トリップを楽しんだのでした。

北京懐旧鉄巡礼 (5) 激変する北京北駅

2007-01-14 10:01:33 | 中国の鉄道


 北京のかつての城壁の西北端に位置し、これまでは古き良き中国の鉄道駅らしさを炸裂させていた北京北駅。特に、草蒸したヤードの絶品さにつきましては前回ご紹介した通りです。しかし……昨年夏の訪問では同時に、そのような雰囲気を楽しめるのも最早時間の問題なのではないか……と思わずにはいられませんでした。と申しますのも、一昨年の訪問時に進められていた、駅の敷地の西半分を全て更地にしての大改造プロジェクトが、昨年夏の時点では既に完成しており、何と、合計7面13線の巨大な駅が新たに出現していたからです! (北京城鉄13号線の高架線上をゆく電車の窓からパッと見たときに数えたものですので、数字が前後しているかも ^^;) しかも、ホームの高さは全て伝統の地平レベルではなく、来る4月のダイヤ改正でE2系 (CRH2) などの高速車両が走り始めるのに備えてホームのかさ上げが実施された大幹線の主要駅などと同様、車両の床面と同じレベルにかさ上げされていました……。まさかこの駅には高速車両が乗り入れてくるはずはありませんが、来る北京五輪をはじめ今後ますます増加する輸送需要に備えて駅の機能を強化し、出来れば北京駅発着の東北・内モンゴル方面の列車を北駅発着に移転させることによって、北京駅そのものの容量を空けようということなのでしょう。



 こうして、背景の高層ビル群はおろか、駅そのものの姿までも大きく変わりつつある北京北駅を、ちょうど万里長城方面へ向かうダークグリーンの鈍行列車が発車して行きました。その組み合わせは一見ありふれた中国の都市の風景ではありますが、恐らくそれほど長続きしない光景だろう……と思えるのも事実。何故なら、今後発着する列車の本数が増えれば、余っている線路上でのんびりとカメラを構えるなどという芸当 (^^; →前回に記しましたとおり、一応一声かけてます) は出来ないでしょうし、肝心のダークグリーンのボロ客車、もといコルゲートたっぷりの愛すべき(?!) 計画経済風客車 (22系客車) も急速に減りつつあるからです (-_-)。
 もちろん、製造両数は非常に多いので、地方の急行・鈍行クラスの列車を中心に、今後10~15年以上にわたってまだまだそのチープな姿を楽しむ(そして、乗って苦痛を味わう ^^;)ことも出来るでしょうが、現在のところ急速な勢いでアコモ改造が進められつつあり、重くて開かない二重窓を、サッと開け閉め可能な二段窓に改めるなど (しかし隙間風が完全には解消しないのがチャイニーズ・クオリティ -_-;)、1980~90年代に中国を貧乏旅行した方であれば誰もが親しんだ (?!) であろう原型は失われつつあります……。
 加えて、そもそも華北の北端部や東北・内モンゴルへ向かう地味な列車が出入りしていたため、車体のダークグリーン率が高かった北京北駅も、ここに来て多くの列車で冷房化 (→車体は白ベースにオレンジの濃淡) が進行……。というわけで、編成全体がダークグリーンな列車や、ヤードにポツンと置かれた原型のYZ22型を目撃しようものなら、それだけでもじゅうぶん愛惜に値する「老北京」の光景だということになります……。