地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

関鉄旧塗装キハ353+354・化粧直し姿

2008-10-23 09:39:28 | 地方民鉄 (関鉄系)


 いろいろな場所で出張ついで鉄をした記録がまだまだあるのですが、そういえば最近の当ブログでは気動車分が不足しているなぁ……とふと思い出しましたので、KATOのキハ30・35シリーズが先日完全に出揃ったことを記念しまして (^^;)、去る5月に関鉄常総線のスカ色キハ102が守谷に入線したのを撮影した際のもう一つの目玉=関鉄旧塗装をまとったキハ353+354をアップしてみましょう。
 この2両は、関鉄旧塗装を復活させて以来、上半分の塗装がピンクがかった色でしたが、今年に入って関鉄標準塗装と同じ塗料と思われる薄いクリーム色に変更されており、ナマでパッと見の印象では「ををっ、これは一層キハ30・35の国鉄色に近づいた……!」と感激 (*^^*)。関鉄旧型DCは日中水海道車庫で昼寝をしていることが多いだけに、こうしてうまく引き当てることが出来たのもラッキー! まぁ、そこらへんは関鉄さんがスカ色キハ102の運行に合わせて動員して下さったのかも知れません。
 ちなみに、1枚目の守谷発車シーンを撮影後、しばらく新守谷方向に走り去って行くところを眺めていたところ……守谷から数えて2カ所目の踏切のすぐ北でスカ色キハ102の回送とすれ違いました! もちろん距離的に遠過ぎて記録できませんでしたが、その感動的なシーンは目にしっかりと焼き付いております (^^



 その後、キハ102の守谷発着シーンを記録した後は一気に北線へ向かっても良かったのですが、ここはやはりキハ353+354が昼の運用に入っている貴重な機会を逃したくないなぁと思いまして、引き続き守谷・南守谷界隈で撮影。取手から戻ってきた列車がダイナミックにカーブする2枚目のシーンも、最高にバッチリ決まって大満足です!
 ただ、この後には常総線名物・真っ昼間の車両交換という落とし穴が待ち構えていました……。2枚目を撮影後、今度はちょいと小絹まで北上して、すぐに水海道から折り返して来るキハ353+354を効率良く撮影しよう……と目論んでいたのですが、数本待ってもやって来るのは新型DCばかり (鬱)。もう1本の旧型DCとして運用に入っていたキハ300も車交されてしまい、何と水海道以南で運用されている全列車が新型DCという恐るべき事態となってしまったのでした……(T_T)。「まぁ、たまにはこんなこともあるさ……新型DCが怖くて常総線なんて撮れないぜ!」といったところでしょうか (汗)。
 なお、こんな感じで国鉄色に近づいた (ような気がする) キハ353+354ですが、国鉄キハ30・35がピカピカな状態で走っていたことはほとんどなかったはず。ロクに洗車もせず、煤や土埃、それに霧状の排泄物 (爆) でベトベトに汚れていたのが常だった……と記憶しておりますので、洗車を丁寧に行う関鉄にあっては、リアルな国鉄キハ30・35テイストが再現されるのは難しそうです (^^;)。そういえば、国鉄時代の塗装自体も、窓まわりから上はピンク過ぎず白過ぎない、もっとストレートな肌色に近かったような……(記憶って曖昧だなぁ、と ^^;;)。

東急デヤ、秋の新造車搬入にいそしむ

2008-10-22 20:55:16 | 事業用車両


 ここ半年ほど仕事が余りにも忙しく、出張ついで鉄と出退勤ついで鉄を除いてほとんど撮り鉄活動するヒマがなかったばかりか、今月に入ってからは月初めの恩田に寄り道と平兵衛まつり訪問を除いてほぼカメラに触れることも出来ず、早朝に出勤して夜中に帰ってくる……という日々に追われていましたので、いい加減フラストレーションがたまっておりました。その間に「撮りたい」と思いつつも逃した車両(特に引退間際の車両)は果たしてどれだけ……(鬱)。
 しかし、ようやくそんな半年来の超多忙も先が見えまして、昨日は仕事が午前中だけでしたので、帰りがけに長津田で東急5122Fの東急側入線シーンを撮影してみました。田都急行に乗って12時半頃に長津田に着いてみますと、既に5000系6連はDE10 1155に押されて授受線に入線済み。「ま、1155号機の長津田到着は撮ったことがあるからいいや」と思いながら上りホームに向かい、デヤ7200+7290の入換を待ちます。その間に出入りする東急の車両は5000系が続き (平日の6ドア車組み込み編成は固定運用)、「あぁ……5000系がこれほど増えてしまったとは」と嘆息。そんな5000系の入線を撮りに行くとはどういうことか?ということにもなりそうですが、目的はあくまでデヤ様です、はい (^^;)。待つことしばし……静かなモーター音とともに入線するデヤを激写し、「あー、こうして退勤ついで鉄が出来るって、何てシアワセなのだろうか……」としみじみ。



 それにしても奇怪なのは、今回の新造5000系が5122Fだったということで……5118・5119Fが欠番となっているのは何故か??ということです。まぁ、そのうち出るのでしょうが、いろいろと複雑な事情がありそうですね……。ともあれ8500系が少しづつ確実に減って行くことは間違いないと思いますので、ようやく撮り鉄する余裕が出てきたのをきっかけに、記録に改めて精を出さなければ……と (^^;)。
 デヤ+5000系の入換を撮影したあとは、例によって恩田ウォッチへ。工場側では相変わらず8624Fがバラバラにされて放置されている一方、8631Fの渋谷寄り5両がデワと連結されて正門脇の側線に留置されていました。5両単位で切られていることと、もう5両の姿が見えないことから、検査と考えて間違いないのでしょう。8500系の軽量鋼体車のうち、非軽量鋼体車が先頭となっている編成の中間車には大量の廃車が生じつつありますが、オール軽量鋼体車編成がこうして今後も生き残りそうだということで、何が運命の分かれ目なのか……という感じですね (^^;
 いっぽうテクノシステムでは、屋外で改造中だった1000系がナンバー隠し状態となっていました。地方譲渡も間近なのかも知れません。いっぽう、デハ8509とサハ8950は切り離され、座席下のヒーターらしきものを改造中でした。例の非貫通化車は、今月頭に眼にしたときと比べて余り大きな変化なし。「とれいん」誌にも具体的な甲種輸送の予定に関する記述がないことから、8609Fを構成していたこれらの車両が東急を離れるのは早くて12月でしょうか?

路面電車の楽園・広電 (3) 京都出身1900形

2008-10-20 09:01:36 | 路面電車


 京都市内の併用軌道、そして京阪1900系つながりで、今も現役で大活躍中の元京都市電・広島電鉄1900形をアップしてみましょう。この1900形、見かけは古風なシルヘッダー付の車体であり、車内も半鋼製であるなど、最高にシブさが炸裂していますが、広島に移った全ての車両が冷房改造されてバリバリの現役! 既に1系統が連接車の天下となり (朝夕のラッシュ時を除く)、2系統は全て連接車、3系統(已斐~宇品)と6系統(広島駅~江波)が新しめな単行車両中心で運行されている中、残りの系統で大活躍しています (白島線はどうだっけ…… ^^;)。



 それにしても、京阪と京都市電、ふたつの1900を比較してみますと、運命とはホントに分からないものだなぁ……と思います。京都市電は既に1978年に廃止され、車両も他の各地の市電と同じように無残な最後をたどっても全くおかしくなかったはずが (横浜市電保存館で、滝頭車庫に集められた膨大な数の車両の最後を記録した写真を見るたびに哀しさが募ります -_-)、今でもこうして完璧に現役であるのに対し、明らかに見た目が新しそうな京阪1900系が先に消えて行くという……(まぁ、京阪1900系も大往生に近いと思いますが……)。古い写真などで、京阪と京都市電・ふたつの1900が平面交差するシーンを眼にすることがありますが、広島の1900は京阪の1900の引退に何を想うのでしょうか……。
 何はともあれ、今後もしばらく京都カラーそのままに走り続けるであろう1900形を、これからも広島を訪れるたびにしみじみと味わいたいと思っています。

京阪1900系、今日限りで運用離脱……

2008-10-18 20:11:09 | 都市民鉄 (近畿以西)


 JRWの城東貨物線あらため「おおさか東線」に始まり、来年の阪神なんば線に至るまで、ここのところの大阪界隈は新旅客路線の開業ラッシュとなっていますが、その中でも大阪の中心街・中之島の発展を担う京阪中之島線が開通! 通勤車両としては格段に豪華な雰囲気を誇る新3000系に加え、最新のDJ誌で紹介されている各駅のシックな雰囲気は、どう見ても関東のファンにとっては「うらやましい……」のひとことです。
 しかし、そんな華々しい開業の陰で、約半世紀走り続けてきた京阪1900系がついに定期運用離脱のときを迎えました……(T_T)。新線の急勾配に1900系が対応していないためなのか、それとも3000系の新造や5連運用の減少に伴ってついに余剰となったためなのか、いろいろな理由が想像できるわけですが……最高に好ましい正面貫通スタイルの先頭車といい、如何にも旧型電車然とした車端部のつくりやウインドシルを持ち、今や私鉄全体を見回しても超貴重な存在になった1810系改造の中間車といい、失うものは余りにも大きいですね……。



 もっとも、車齢に加えて確か2~3年前の大量廃車によって、間もなく1900系が全面的に引退するだろう……ということは余りにも明らかでした。そこで、最近は関西に出向いたり寄り道したりするたびに、なるべく京阪で撮り鉄に励むようにしていたのですが……あろうことか、そのたびに1900系は寝屋川で昼寝中という最悪の展開……(号泣)。天満橋=萱島間の区間急行であれば最も確率が高く、しかも効率良く撮り貯めることが出来るということで、何度も期待していたのに……(-_-)。
 というわけで、特急色を復活させた1929Fを撮影したのも、結局のところ去る7月末の京都出張のついでに、改番直後の8000系30番台を萱島駅で運良く撮った直後、回送として現れたところを連写したのみとなりました……(鬱)。完全に行き当たりばったりだった7月末の出張撮り鉄は、他にもいろいろな選択肢がありまして、もしもう少し萱島に着くタイミングが遅ければ全く記録できなかったことを考えますと、極めて貴重なチャンスに恵まれたと解釈できなくもないのですが……(苦笑)。そこで「そんなに撮り貯めたければ、その後先週の最終運用まで2ヶ月以上も時間があったのだから、頻繁に京阪に通えば良かったのではないか?」という声が聞こえてきそうですが、すみません……ここしばらく仕事に追われて土日もへったくれもなく、唯一のチャンスだった9月の関西出張ついで鉄でも、やはり日中は寝屋川入庫だったもので……(超絶鬱)。
 こんな感じで、何とも遺憾多き1900系の引退でありますが (たぶんさよなら運転も日程が合わなさそうな気配)、古き良き私鉄電車がまた一つ退場するのを惜しみつつ、長年の活躍を労いたいと思います。

真夏の京都鉄路巡礼 (4) 嵐電モボ301

2008-10-16 23:56:09 | 地方民鉄 (近畿)


 路面電車の未来を先取りしたHi-tramの姿を目にしたところで、いま走っている路面電車についても味わっておきたい....というわけで、去る7月末の京都出張のついでに撮った嵐電のモボ301をアップしてみましょう。まぁ、厳密にいえば専用軌道もあり、完全な路面電車というわけではありませんが...(^^;)。
 阪急嵐山駅を出て、まるで蒸し風呂のような渡月橋界隈をヘロヘロになりながら歩いて行きますと、土産物屋通りの奥にやっと見えて来ました、嵐電の嵐山駅! 「頼むから阪急・嵐電・JRの駅が互いにメチャクチャ離れているのを何とかしてくれ....」と文句タラタラこぼしながら歩いて来た私でありますが (今さらどうしようもないのは勿論百も承知)、伝統の京福グリーンに身を包んだ電車がポツンと客待ちをしている姿を目にすると、やはりほっとしますね....。
 そこでまずは先行するモボ600に乗り、釣掛の小気味良いサウンドを楽しみつつ太秦広隆寺へ移動。帷子ノ辻駅付近にjR太秦駅が出来た結果、混同を避け観光客への便宜を図るために「広隆寺」の名前をくっつけたのでしょうが、何やら老舗が若造 (=JR)に屋号を持って行かれたような悲哀を感じるのは私だけでしょうか? 



 さて、太秦広隆寺で降りたところ、ちょうど嵐山行きの電車としてモボ301が御登場! しかも映画村のHMを除いて全く広告がない完璧な姿! モボ600以降のデザインの車両がメインになってしまった嵐電については、太秦でちょこっと撮れば良いか....という程度に考えていたのですが、昭和の良き時代の姿をとどめた電車が車庫で寝ておらず御登場下さったとあっては、嵐山から戻って来るまで粘らずにはいられません (笑)。そして待つことしばし、会心のカットをゲット! (1枚目)
 いやはや....むかし10代の頃、車内がニス塗り+白熱灯で芸術品の趣すらあったモボ111・121を追い求めて嵐電に何度も通ったものですが、当時は「モボ101 (車体更新車) や301なんて、海坊主みたいで全く興味ないや」としか思っておりませんでした (汗)。それが今では、嵐電最高の「当たり」として必死に追い求めるようになるとは....。自分が歳をとったのか、それとも嵐電が大きく変わったのか....。
 そんな嵐電は、今やJRの攻勢に加えて京都地下鉄東西線の太秦天神川延伸により、どう見てもかつてほどの混雑はなく、果たしてこの先大丈夫だろうか....と思うのも事実。しかし、嵐電がない京都というのも考えられず、嵐山には嵐電を使って行くのが一番風流だと思いますので、モボ301には引き続き嵐電のイメージリーダーとして頑張って欲しいものです。