地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

小田急1000形6連・白昼の各停大和行

2011-03-10 00:00:00 | 大手民鉄 (小田急)


 昨日早朝、小田急江ノ島線の下り列車・5107レが鶴間駅を発車し、すぐ南の踏切 (国道246号) を通過していたところ、側面にクルマが突っ込んで大破……。ロケーション的にみますと、ここを下り各停が通過する場合には、まず鶴間駅停車中に踏切が閉まり、運転士氏は十分に安全を確認したうえで発車するところです。したがって、そこでクルマがいきなり列車の側面に突っ込んで来るとすれば、 恐らくアクセルとブレーキの踏み間違えたのではないか?という図式が瞬時に脳裏に……。
 事故の当該編成は1756Fとのことですが、側面から思い切りクルマに当てられた事故といえば、数年前に相鉄天王町駅星川方の踏切でアクセルとブレーキを踏み間違えた老人が7000系に突っ込んだという事例があります。この結果、当該編成は台枠損傷ゆえに廃車の憂き目に遭ったことを思い出すにつけ、もしやすると1756Fもそれと同じパターンをたどる可能性が高いのではないかと……。嗚呼~~せっかくの1000形ワイドドア車に何ということを (号泣)。



 この事故の結果、小田急江ノ島線は復旧まで大和の渡り線を活用して大和~江ノ島間の折り返し運転しましたが、問題はこの区間に残された編成の少なさ……。小田急江ノ島線は相模大野を出発したら最後、大和・長後の副本線や片瀬江ノ島を除いて夜間車両を留置するスペースがなく、実際夜間の線内留置編成数は少ないため、毎朝5時台以降大量の列車が相模大野を出発して (回送を含む) 朝6時以降のラッシュアワーをこなすようになっていますが、今朝は5時40分過ぎの段階でその線路が絶たれてしまったため、大和以南に残留した6連は僅か6本……。そこで、大和~片瀬江ノ島間を1往復すると大体90分で1サイクルとなることから、この区間では多少間隔にバラつきがあったものの約15分間隔で運行が続けられました。
 その結果出現したのは……ふだん日中は見られない大和行の表示! 幸いにしてここしばらく仕事が束の間の閑散期ですので、時間を確保して滅多に見られない光景を記録することが出来ました~(こんな日に早朝出勤が入っておらず、あるいは早い時間の列車・飛行機の座席指定をしておらず、個人的には「良かった……」の一言)。事故を嘆いておいて、事故の結果出現したレア幕運行を楽しむとは何事だ、というお叱りを受けそうですが……相鉄であれば日常的に見られる大和幕も小田急では夜間しか拝めず、しかも本数も僅少であるため、1000形が「大和」幕を出すのは極めて珍しいということでお許しを……(^^;)。孤立区間に残留した6編成のうち、1000形は2編成、新3000形は4編成ということで、スギ花粉が荒れ狂う中で1000形を待ち続けるのはかなりツラいものがありましたが、何はさておき標準ドア・ワイドドアの両種で「大和」幕を撮影でき、本当に貴重な記録となりました……。

新ジャカルタ炎鉄録 (28) メトロ5000紺帯

2011-03-09 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 既にお気づきの方もおられると思いますが、最近当ブログの片隅に無料のブログパーツ「Flag Counter」を入れてみました。いやその……果たしてどんな国からご覧頂いているのだろうかという興味がふと湧いたもので……(^^;)。
 そこで明らかになったのは、日本の隣国にして鉄道趣味濃度が高い台湾からもそれなりの数の方がご覧下さっているという事実。さすが台湾……そして私自身もそんな台湾に行きたいわ~ん (爆) という心境ですが、かれこれ3年間もご無沙汰してしまっており精神衛生上宜しくない……。「訪れるとなれば何が何でも一周しなければ」という発想を捨て、2泊3日でもとにかく行ければ良い、と頭を切り換えれば良いのかも知れませんが……。
 台湾に次いで多いのは米国であるというのは意外な事実ですが、米国ご在住の日本人の方がご覧下さっているのでしょうか。いずれ米国の近郊電車や貨物列車も撮ってみたいものですが、近郊の駅で駅撮りしているとテロリスト扱いされそうなだけに些か尻込みしてしまいますね……(汗)。
 第3位がインドネシアであるというのは、私自身がジャカルタの電車シーンにはまっていること、そして東京の電車事情がジャカルタの電車事情に直結しているという事実からして自然な成り行きでしょうが、手放しで嬉しいものですね (^^
 第4位の中国はかれこれ4年数ヶ月ご無沙汰ですが、日本人在住者の増加ゆえ自然な流れでしょうか。しかし、この茶碗ブログは中国共産党が誇る「金盾」に引っかからずに済むのでしょうか? 香港・澳門であれば問題はないでしょうが……。
 第5位以下の国々も、それぞれの国の鉄道シーンを思い浮かべるにつけ是非訪れてみたいところが目白押しですが、長い休みをとって後のことを何も考えずにのんびり鉄活動するだけのヒマがなかなかないのを恨めしく思うのみ (^^;)。その中でひときわ「?!」と目を疑ったのは……何とリビアから当ブログをご覧頂いた方がおられるという事実! リビアは現在まだ鉄道が開業していないはずですので (建設中?)、恐らくご出張などで滞在されていた方かと存じますが、カッザーフィーに対する怒りが爆発して以来の内乱状態の中、大変お疲れ様でした…。



 というわけで、ここ1ヶ月半ほどアルジャジーラの英語版ネット放送に釘付けになるにつけ、「誰だ?宗教や文化が異なれば政治体制も国情も異なり、人々はそれに満足して他国からの価値観の押しつけを嫌悪するなんて言ったヤツは? やっぱ自分の思うところを自由に語るのは普遍的な価値だろ?」と思う次第。この点において、インドネシアという国の質や安定度は今のところ何のかの言ってやはりそれなりに高いのでしょう。
 前置きが長くなりましたが、そこで昨年のジャカルタ撮り鉄シリーズの続きです (^^;;)。最近になってようやくメトロ東西線05系が営業運転に投入されたことや千代田線6000系がマンガライ工場に到着したことを祝いまして、メトロの古株5000系の現行帯色姿です~。
 濃いめの青 (明るい紺色と記すべきか?) と黄色を基調とした新帯色は、基本的な傾向としてメトロ5000 (東葉高速1000) や東急8000・8500といった切妻ボディ車両に導入され、気がついてみればここ1年ほどのあいだにアッと言う間に浸透した感があります。当初は明るめな青と黄色の帯に衣替えした東急8610・8611Fすら、僅か数ヶ月でこちらの濃いめな帯色に変更されたことを考慮に入れますと (短期間に終わったこの帯色を撮っておいて良かった……。どんな姿を纏っていてもいつどうなるか見当もつかないので取りあえず撮っておくべし!……というのがジャカルタ電車シーン撮影の鉄則かと存じます ^^;;;)、この帯色は少なくともKCJ (電鉄会社) にとってお気に入りなのでしょう。確かに遠くからでも電車の接近を認識しやすいですし……。しかし、従来の帯色が秀逸であっただけに、恐らくファンのあいだではこの帯色に対する評価は分かれるところでしょう。とくに、東急8500系や東葉高速1000系のマスクのデザインは……。それに比べればメトロ5000系の新帯は、とりあえず無難 (?) でマイルドなデザインであること、そして東西線時代が青帯であったことから、それほど違和感がないなぁ~という印象を抱いています。
 そんなメトロ5000系、後から続々とやって来るメトロ車と比較して圧倒的に古い印象となってしまったのは否めませんが、とりあえず性能は安定しクーラーもガンガンに効いているようですので、今後も急行運用を中心に活躍してくれることでしょう! あ、それでも自分がパクアン急行に乗る際には、メトロ5000ではなく東急8000・8500で来て頂きたいものですが (^^;;)。

京王6000系さよなら・涙の淡雪と青HM

2011-03-08 00:00:00 | 都市民鉄 (首都圏)


 京王の一時代を築いた6000系は周知の通り、去る1月下旬から競馬場線と動物園線でさよならHM装着運転を続けて来ましたが、公式HPにて「3月には引退する」と記されております通り、ついに何時離脱してもおかしくない状況となりました……。京王では来る11日 (金) にダイヤ改定を予定しており、いっぽう11日までさよなら記念スタンプを競馬正門前と動物公園の二ヵ所に設置するということですので、恐らく10日か11日には営業運転を終了することになるのでしょうか? 
 まぁこれはあくまで公式HPの記述から読み取った推測に過ぎませんので、決して鵜呑みにされないようお願いしたいのですが、その後どれだけ離脱が先延ばしにされようとも、遅くとも下旬にさしかかることはないでしょう……。そんな中、これまで週替わりで各車両区謹製HMを取り付けていた6022Fは、再び6000系イラストHMを装着して走っており、これも恐らく「HM攻勢打ち止め・間もなく離脱」のサインなのでしょう。そこで「そういえば動物園線6022Fの青HM姿を撮っていないなぁ」と思いまして、何と昨日は平日休みと雪が重なったことから、勇躍動物園線沿線を目指して小田急~多摩モノレールを乗り継いだのでした。



 昨朝の雪を小田急線の車内から眺めていますと、町田~玉川学園前界隈では実に見事な吹雪&雪化粧が展開しており、これはさらに多摩線→多摩モノと北上して行くともっと完璧な積雪になっているのだろうか?と期待していたのですが、黒川を過ぎるとあれれ……樹木の枝に余り積もっておらず、雪景色としては何とも気合い不足な雰囲気に……。それでも、多摩モノレールから見下ろす動物園線沿線風景は辛うじてうっすらと淡く雪化粧しており、6022Fは恐らく京王6000系39年の歴史で最後になるであろう雪景色の中を力強く上り下りしておりました……。
 昨日の雪景色は、本当に微妙な標高や地形の違いによって積もり具合が全く異なり、高幡不動駅あたりから眺めてみますと、右側の不動寺裏手の斜面は淡い白に染まっているものの、左側の京王線路が走る斜面は全く雪化粧していないという有様 (汗)。それでも、バラストは幸いにしてほんのり淡く雪が残っており、みぞれと気温上昇で急速に雪が溶けて行く中、辛うじて6000系最後の雪景色を撮ることが出来たのは幸せなことです……。2枚目はお馴染み程久保駅ホームからの撮影ですが、何とかモノレールにカブられずに降りしきるみぞれ雪の中を下って行く6022Fを撮影でき、これも印象的なカットになりました。
 何はともあれこの淡雪も、涙色のHMが降らせた最後の演出でしょうか? 
 こうして6000系は終焉を迎えようとしていますが、多摩丘陵に甲高いモーター音を響かせ、アイボリーの車体を輝かせながら四季折々の風景を駆け抜けた6000系の功績は永く語り継がれることでしょう。さようなら、京王6000系!!

新・満鉄&華中鉄道風客車をつくる (2)

2011-03-07 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 ふとした勢いで (?) 製作を始めた満鉄&華中鉄道客車の製作、手を付けるまでは相当難儀しそうだと思われた満鉄風デッキの製作が案外イケそうだ……という見通しが立ったことから、寝不足のままボディの組み上げまで突っ走りました (汗)。
 作業そのものは、ボディの根幹となるデッキ部分をそれなりにがっしりと作った以上、あとは側面を接合して屋根を載せ……という基本セオリーを積むだけの話ですが、まず悩んだのが車体長。満鉄の鋼体客車は、優等車や「あじあ」客車については概ね24m超の新幹線サイズであるのに対し、3等車は約21mにとどまるという点でやや不揃いの感があるのですが、とりあえず最大公約数として華中鉄道客車と同じ22m級にしようかという結論に……(^^;)。そうすれば窓の数も実車と大体同じになりますし……。そこで、撫順YZ31改造電車を製作した際に発生したスハ44側面の余りを流用しまして (何事もリサイクルです♪笑) 側面を延長しました。屋根につきましては、実車には雨樋がなく、幕板部分の幅よりも屋根端の幅の方が僅かに広いため、板キット模型を作るにしても側面の雨樋モールドと屋根端がほぼ重なるようにしなければ雰囲気が出ません。キットのスハ44屋根では細すぎるという問題が発生するという次第……。そこにピタリとうまくハマリ役となるのはサハ78の屋根! 73系キットの側面板の幅にに合わせた屋根裏の突起を全て削ぎ落とし、スハ44の側面雨樋と屋根端がピタリと合うように接着!
 


 とにかくまぁ、いろいろな角度から板キットや組み上がり中のブツを眺め回しながら、最適な作業工程を慎重に考えての試行錯誤が続きます……(それが適切でありさえすれば、量産時には割とてきぱきと事が進むのも確かです)。
 その後はまず0.3mm厚プラ板で約半分の窓を埋め、満鉄3等車らしい窓割りがいよいよ顕わになってきました♪ 今のところプラ板の白がかなり目立ちますが、この後は作業の都合上いったんシルヘッダーを削ぎ落とし、隙間に瞬着を流し込んでヤスリで整えるという作業が待っています (@o@)。
 いっぽう、0.5mmプラ板を細く小さく切って、ドア部分の幕板として貼り付けております (実車ではこの部分に、日本の旧型優等客車と同じく行灯式の「硬座車」表示あり)。ドアが内側に引っ込んでいる構造上、幕板とドアの間には空間があり、それをうまく再現できなければ満鉄客車のキモを表現することにはならない……というわけで、非常に神経を使う作業であることは言うまでもありません……。
 こうして接着剤作業を何とか終えた後、いよいよパテ盛り作業へ! 困難な切り接ぎ作業ゆえに相当アラが生じている部分も含めてなるべく丁寧に盛り、ある程度固まったのちナイフで大まかな形状まで削り落とした次第ですが、ここまで来れば「一層それっぽくなって来たぜ!」とガッツポーズ! (笑) ここから先のヤスリ作業こそ本当に神経がすり減るものだということをすっかり忘れたかのように、コーヒーを片手にしばしナチュラル・ハイな境地に浸ったのでした……(^^;)。
 ちなみに、満鉄客車のもう一つの特徴として、地面近くまで延ばされた相当大袈裟なステップがありますが……これはさすがに台車と干渉しそうですので省略し、プラ板を細かく切ってほんの申し訳程度に斜め方向のステップ支柱らしきものを表現しようかと思っております。但しそれは車体全体のヤスリ作業を終えて塗装に入る直前ということで……。


 嗚呼、苦心の跡・・・。横に渡されたプラ太棒は組み立て時の形状維持のためでして、塗装後デッキ壁を差し込む際に切除する予定です。デッキ部の幕板とドアの間に空間が確保されていることがお分かり頂けることと存じます……。



 今回、華中鉄道客車の製作プロセスに関する記述は省略しておりますが (車体延長後は単にシルヘッダーを削ってヤスリ整形するだけですので)、とりあえず少しずつ進んでいるということで……華中鉄道社紋をインクジェット用デカール紙で自作してみました (汗)。いやはや、デカールを自作すること自体初めてで緊張しましたが、意外と出来てしまうものですね (^^;)。もちろん、この後きちんと貼ることが出来るのか否かが問題ですが……。あと、この技術を覚えてしまうと、意外とヘンテコな帯や「痛車」ならぬ「痛電」(^^;) も簡単に作れることが判明……って、具体的な計画はありませんが (笑

京阪5月ダイヤ変更・中之島快速急行激減?

2011-03-06 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 世間がJRのダイヤ改正の話題で浮かれている中、関西では驚くべき内容のダイヤ変更が発表されていたことを遅ればせながら知り、思わず吃驚……。何と京阪が来たる5月末にダイヤを大幅変更し (「改正」と書かないところがミソ? ^^;)、中之島線の利用状況に合わせて平日日中以降と土日の中之島直通快速急行の運行を止めることに象徴される大鉈を振るうとか……(@o@)。詳しくは公式HP所収のPDFファイルをご覧頂ければと存じますが、他に非常に目立つ点として (1) 淀屋橋~出町柳間の特急10分間隔化 (2) 快速急行が消えても引き続き主要な集客源である急行停車駅住民を優遇するべく、淀屋橋~樟葉間で急行を毎時4本運転 (3) 日中の区間急行消滅 (4) 中之島線10分間隔化……といった内容を挙げることができるでしょう。



 この結果、中之島線は快速急行が朝ラッシュ時を除いて (?) 消え、パターンダイヤで毎時8本から6本に減ることになりますが、従来運転間隔の疏密が目立ちますので、京橋での優等列車との連絡さえ整っていればまぁ余り問題はないのでしょう。そもそも京都周辺から快速急行に乗りますと、まず枚方市で多くの客が始発特急に乗り換え、香里園・寝屋川市・守口市で拾った客のほとんども京橋・天満橋で下車してしまうのが現状ですので、鳴り物入りで始まった京都~中之島直通の意義は薄く……。これもひとえに、中之島という路線環境自体、島内のオフィスに所用があるビジネス客を除けば馴染みがない世界であるからではないか?……とヨソ者視線にも思われるわけです。西九条延伸も目途が立たず、阪神なんば線とは全く対照的な結果になったと言えましょう (-_-;)。今後新3000系は主に特急運用に入り、中之島への入線はごく僅かとなると思われ (多分)、折角中之島線直通優等用として新たに定めたダークブルーの塗装が泣いているかのようです……(T_T)。
 他にも日中における区間急行の廃止によって、西三荘から大和田のあいだは停車列車の本数が半減するというスゴい事態となり (生産拠点の海外流出による企業城下町の激しい地盤低下・・?)、光善寺・御殿山・牧野も微減となるようです。しかし現実問題として、これら各駅の停車間隔はバラバラで、列車自体も空いており、キレイに揃えた10分間隔でも支障はないという判断なのでしょうか。う~ん、総じて八方美人気味だった中之島開業ダイヤを保つだけの算盤勘定が成り立たなくなり、収支の身の丈に合わせたスリム化を図るということなのかも知れませんが、日中でも怒濤のように様々な車種の列車がやって来る京阪の壮観さに見とれる関東人としましては、やはり少々寂しさを禁じ得ないですね……。とりあえず、新3000系は今後特急メインということで、一人掛けシートの二人掛け化を希望します (^^;;)。


 昨年夏にミュージアムトレインを撮影した際、萱島から大和田まで一駅乗ったのがたまたま出庫の新3000系・普通中之島行! 大和田で下車したところ、その横を快速急行中之島行が豪快に通過! ダブル新3000中之島!という超珍景に、大慌てでズームレンズを超望遠側に振ってみたものの、やはり咄嗟すぎて手ぶれが……(汗)。それでもまぁ撮影出来て良かったです (^^;