地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

伊豆箱根駿豆線撮影会2012 (1) 赤電とED33

2012-03-24 17:45:00 | 地方民鉄 (東海道)


 車両の引退や路線・列車の消滅など寂しい話題が相次ぐ3月もいよいよ下旬。この週末もあちこちに遠征されている方も多いことと存じます。そんな中、私は昨日の朝ベトナムから無事帰国しまして、短時間の夜行フライトがたたって寝不足を引きずったままではありますが (苦笑)、本日は伊豆箱根鉄道・大場車庫にて開催された撮影会をぶらりと訪れてみました。
 この企画は詳論するまでもなく、1100系 (もと西武701系) 引退に関連したイベントでありますが、一応JREとタイアップして踊り子号の利用を促進するという目的が重ねられ、当日の踊り子号105・109号特急券を持参すれば参加費タダ、特急券がなければ参加費500円となっていました。とはいえ、三島まで往復するならば藤沢から普通列車というのが定番である私の場合は、あっという間に着く小田原→三島間の座席指定つき特急券を買うのは些かナンセンス (105・109号と券面に印刷されない自由席特急券でもOKだったのか否かは知る由もありません ^^;)。



 そこで、踊り子号の到着に伴い受付がごった返す前に大場に到着しておいたのですが、たまたまJR線内のダイヤ乱れに伴い、踊り子は大幅に遅延……。というわけで、11時からの開場直後は、参加撮り鉄の数が至って少ない中、復活赤電とED33のツーショットをさっそく激写しまくりました♪ 昨年秋の復活赤電御披露目の際にはED32・33は隣りにおりませんでしたので、こういう時代がかった並びをいつか撮りたかったわけでして、いまこうして粋な撮影会開催のおかげで見事撮影出来シアワセです……(*^^*)。
 そして、薄曇りという絶好のコンディションにも恵まれたのも超ラッキー☆ と申しますのも、大場車庫の配線と赤電の留置位置に鑑みて、ドピーカンですとどうしてもキレイには撮影出来ないからです……。とはいえ、強風とともに雲が猛烈な勢いで流れ、間もなく大場車庫全体が巨大なドピーカン・ゾーンに突入! ちょうどその頃、大幅に遅れていた踊り子号が到着して一気に人出が増えましたので、より一層自分のラッキーさをかみしめたのでした (^^;)。

ハノイ懐旧鉄散歩 (2) 王道楽土の夢ここに

2012-03-21 00:03:00 | ベトナムの鉄道


 夕闇迫る頃、列車を見守る鉄道員の動作も頼もしく……。
 そして、メーターゲージDLに比べやけに大きい隣の客車列車の正体は一体?



 ふとデッキを見やるとオレンジの光。そして堅牢で凝った車端部と深い丸屋根。
 嗚呼!かつて王道楽土を謳い走った満鉄客車が,はるか南に流れているのです!
 これから、時空を数十年さかのぼる夜汽車の旅が始まる……。

ハノイ懐旧鉄散歩 (1) 深緑に恋して

2012-03-20 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 東アジアと東南アジアの橋渡し的な位置にある、南北に細長い国・ベトナム。その歴史は周囲の強大な国家に挟まれた曲折の歴史であり、前近代には中国に負けないために中国の真似をした国家をつくったかと思えば、近代においてはフランスの植民地となってその影響を強く受け、さらに第二次大戦後は米国・中国・ソ連の争いにもまれる中で何とか独立を達成しようとしてきたという周知の事情があります。
 そんな国の鉄道であれば、その雰囲気も自ずと支配を受けた国や頼った国の影響を強く反映したものにならざるを得ません。フランス植民地政府が建設したメーターゲージの鉄道網が国土の南北を貫いているかと思えば、「社会主義の友好」の名の下に北の中国から延びてきた標準軌もあり。そして客車はソ連・中国国鉄のメーターゲージ版を思わせるかと思えば、どう見ても第二次大戦前からずっと現役と思われる骨董品あり。機関車も東欧製っぽいDLがあるかと思えば、中国製と思われる罐や中国からもらった罐、そして奇想天外な風貌の罐もあり……。



 しかし、これまでのベトナムの鉄道は、近年の猛烈な経済発展に対して全く適応し切れていない過去の遺物であるのも否めない事実です。首都ハノイのお膝元ですら自動化とはほど遠い単線・ガタガタの線路であり、旅客列車はせいぜい毎日数往復、貨物列車もたまに来る程度……。その一方で鉄道が到底吸収しきれない巨大な需要がバスとクルマ、そしてバイクに向かい、毎日繰り広げられる交通大戦争は最早末期的……。それはジャカルタも然り、近年の東南アジアらしい一幕と言ってしまえばそれまでかも知れませんが、とにかくヤバいことはヤバく、下手をすると経済発展の巨大な制約条件となりかねません。
 そこで最近は、日本の円借款で既存のハノイ近郊の鉄道を複線高架化・電化のうえ、通勤電車を頻繁運転する計画が進められているとかいないとか (今日さっそくウロウロした体験から言えば……これは一刻も早く必要!)。さらには京阪がハノイ西側の新市街において都市開発と電鉄運営のコンビネーションを手がけるとか。まさに、日本の官民挙げた後押しによって、ハノイの鉄道シーンはこれから著しい変貌を遂げるかも知れないという状況となっています。
 そんな展開を日本人のはしくれとして喜ばしく思いつつも、一方で古き良き (とゆーか、ボロい ^^;) 鉄道風情を求めて止まない立場からみますと、これは20世紀の歴史を引きずってきたベトナムの鉄道シーン、とくにハノイの鉄道シーンにとって激変を意味することは言うまでもないでしょう。とくに、往年の社会主義計画経済的な雰囲気を露骨に反映したダークグリーンの客車や、恐らく「麗しの」コメコン経済があった頃に東欧で製造されたっぽい機関車などは、余り先行きが長くないような気がしています。既に北の中国で猛スピードで非冷房の「緑皮車」が消えつつある以上、車両数が少なく稠密なバス網におされまくりのベトナム国鉄でも今後の経済発展の如何によってあっという間に「緑皮車」が消えないとは断言出来ません。
 というわけで、ダークグリーンのボロい車両が今でも辛うじてそれなりに多数走っている今こそ旬!と思い立ちまして、ベトナム航空の直行便に乗ってハノイに到着! さっそく観光は後回しのうえ (笑)、押さえるべきシーンを片っ端から記録しまくっている次第です (笑)。その具体的で濃厚過ぎる中味を今後連載して参りますが、インドネシアでの撮影と同様、線路内に入りまくっているカットが多数あることをお断りしておきます。総じて、国鉄関係者の皆様は線路内撮影に寛容ですが(詰め所に案内してくれた方も!)、カーキ色の制服を着た公安が現れると即座に「No!」と言われて追い払われます。ここらへんは中国の撮影環境と似ている……というのが正直な印象です。あと、改札を厳格に行っている関係で、列車が来ない間の駅構内はそもそも一般人がウロウロしていませんので (インドネシアとの大きな違い ^^;)、そういう雰囲気のところにはズカズカ入らない方が良いかな?という印象です。

ソウルメトロ2号線二段窓車があった頃

2012-03-19 00:00:00 | 韓国の鉄道


 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 昨日から海外遠征しておりますので、しばらく更新ペースが下がります。行き先は、ここ3年来ハマッているインドネシアではなく、初訪問となるベトナム。一応鉄活動オンリーではなくフツーに観光・街歩きもしますので、ダークグリーンの社会主義的ボロ客車や東欧テイストなミニDL等を撮れれば御の字の予定です。とりあえず無事にハノイに到着しまして、宿では無料ネットが使えることから自分のPCで書き込んでおりますが、さてどうなりますやら。
 というわけでベトナムといえば、ソウルメトロ2号線中間車を改造した超バッタもの観光客車 (謎笑)。先日、MOから外付けHDにデータを移し替えた際、旧2000系二段窓車の画像が久々に出土 (?) しましたので、ハノイでの鉄活動本番を前にアップしてみましょう~。



 これらの画像を撮影したのは早いもので、約4年半前の2007年9月。この頃はまだ、日本の技術援助の延長で製造された「外装は103系分散冷房車風、内装のボロい雰囲気は相鉄6000系 (?)」という感じの抵抗制御or電機子チョッパ制御車が、ソウルの超大動脈である2号線・乙支路循環線の超主力としてガンガン走っていたものですが……この頃すでに如何にもロテムな新2000系の大量新造が進んでおり、旧2000系は没落前の最後の輝きを放っているという雰囲気でした。現在残る旧2000系は、中折れ窓で登場した後期中間車をまとめて一部車両を先頭化改造したもの、及び3・4号線の小田急9000形もどきを転属させて改番したもので、本数は多くなく……乙支路循環線が旧2000系天国だった時代は偲ぶべくもありません (-_-)。
 そして、猛烈な勢いで引退した二段窓車は、今やハノイの北東に延びる標準軌路線でカマに引かれて生き延びるのみ……と記したいところですが、2009年春に運行を開始したバッタもの観光列車は結局誰も乗らずに1ヶ月後に運休となり雨ざらしに (観光地ハロン湾に行くには道路の方が圧倒的に速く……苦笑)。それを今回是非撮りたいものだと思いつつも、所在をGoogleマップで確認したところ、ザーラム車両工場の高い壁の奥に放置されていることが確認出来ますので、期待なさらないよう……(とゆーか、諦めてます ^^; 下記補筆参照)。
 それはさておき、韓国の鉄道シーンもここ3年来御無沙汰になってしまいまして、ソウルメトロ2号線の旧2000系のみならず1号線の旧1000系・3号線の旧3000系もいい加減ヤバいと思われるのみならず、KORAIL首都圏電鉄線の中期抵抗車もそろそろ一気に大量廃車か……と思われますし、さらにはセマウル動車もカマに引かれた絶不調車が続出して非常に先行きが怪しいといわれます。一方、京春線「ITX青春」のような新顔は面白そうですし、5000系や3・4号線・盆唐線のKORAIL車も「VVVFの205系」という風情で、今のうちに丁寧に撮っておいた方が良いのかなぁ……という気にもなっています。2泊3日の強行軍でも良いので、そろそろまたソウル遠征を考えないとなぁ……と。

【本日・日本時間19時補筆】さっそくザーラム工場の様子を見て参りましたが、高い壁に阻まれてアウト (泣)。ややアイポイントが高い位置=帰りのバスの車内から見たところ、そもそも姿を消しているような気も。まさか解体?

さようなら業平橋駅&東武6050系の今後

2012-03-17 00:17:00 | 大手民鉄 (東武)


 毎年恒例のJR・私鉄ダイヤ改正を前にして、昨日は各地で引退する列車・車両への名残を惜しむ様々な動きがあったようですが、個人的には人混みが苦手ですし、鉄道車両が普段通りに元気な活躍を魅せるシーンを訪ねて乗って眺めることを宗旨としておりますので、とくに昨日の大きな動きを取り上げることはありません(引退車両のラストランを訪ねるとしたら、どうしても思い入れがある関東私鉄の超お気に入り車両がHMを掲げて走る場合限定です ^^;)。しかし、その一方で非常に惜しい気分になったのは、伝統ある東武・業平橋駅の改称……。
 この駅は当初吾妻橋駅として開業し、やがて浅草と改称され東武の総本山として隆盛を極めて行きましたが、後に隅田川鉄橋が完成し浅草駅の名を譲ったことから、東国に流された往年の歌人・在原業平が草深い隅田川のほとりで恋の歌を詠んだという伝説にちなむ風雅な橋の名前を冠して以来約80年。ついに東武が社運をかけて建設した東京スカイツリーの開業を前にして、その名を「とうきょうスカイツリー」に改めたのは周知の通りです。「東京」ではなくわざわざ「とうきょう」としたのは、恐らく東京駅に対する遠慮、あるいは混同防止なのではないかと推測しておりますが、ともあれ業平橋は東武本社&一大貨物駅所在地としての由緒を持ち、東武にとって「約束の地」である以上、その駅名も東武新時代に合わせて改められるのはまた運命と言うべきなのかも知れません。
 とはいえ、この駅には個人的な思い入れもあり、千々に乱れる心を抑えられません。昭和59年の春、相州人でありながら東武78系への興味が昂じていた中学生だった私は、神保町書泉を初めて訪れたついでに初めて東武伊勢崎線にもちょこっと乗ってみたのですが、その際に業平橋駅のホームにも降り立ち、眼下に広がる一大ヤードや東武本社の佇まいに圧倒され、たまに来る非冷房6000系にも悩殺されたことで、ますます私鉄の雄・東武への愛にのめり込んで行ったものです……(遠い目)。



 しかし極めて遺憾なことに、最近は多忙、そして昨年夏の骨折もあって、体内の「東武ん」は著しく低下してしまっておりました……(滝汗)。半蔵門~田園都市線で50050系に当たっても、所詮腰痛製造機のAトレインでは少しも「東武ん」は回復するはずもありません。そして気が付いてみれば、業平橋駅という名称が消える3月16日が刻一刻と迫るばかり……。このままみすみす体内「東武ん」低下と業平橋駅改称を見過ごすことがあっては、精神衛生上極めて宜しくありません。
 そこで、一昨日開催されたインドネシア鉄の宴の前には、平日休みを東武伊勢崎線に投じることにしまして、ファインダー越しに「The長距離ボックスシート電車と呼ぶべき6050系万歳!万歳!万々歳!」と内心絶叫したのでした (爆)。ただ、この日は杉戸高野台~幸手間の人身事故のため、「きぬ122号」が63分遅れとなったほか、区間快速56レが南栗橋にて運転打ち切り……。猛烈な北風が吹き、スギ花粉も荒れ狂う中、2時間開いた区間快速を待ち続けるのは堪えました……(T_T)。
 こんな感じでいろいろな苦労はありながらも久しぶりに6050系への愛を確認した後は、夕方業平橋駅に寄り道しまして、昨日限りで回送を除いて見納めとなった「業平橋を通過する6050系」をズーム流し!(↓をクリックしてご覧下さい) 黄昏の淡い桃色に染まったスカイツリーをバックにしたカットは、個人的な業平橋駅の最後の思い出として最高のものとなりました……(*^^*)。
 そんな6050系、来月には東急車輌改め総合車輌に4両が入場するとのことですが、果たしてそれは6050系にとってどのような変化を意味するのでしょうか? パッと思いつくのは、6050系として新造されたグループを車体更新or多扉化のうえ栃木以北のローカル用とし、6000系からの更新車は全廃、そして快速・区間快速廃止という悲しい筋書きですが、あるいは他の可能性もあるのでしょうか。東武の正式発表を待ちたいところですが、同時に6050系を普段通りに楽しむことが出来る時間は余りないのかも知れないと気を引き締めざるを得ません。業平橋、そして6050系……「春なのに」という思いが改めてこみ上げますね……。


 東武新時代と「古き良き東武」の邂逅……時代はこうして移るのでしょう。



 まさに過渡期な駅名板。簡体字も諺文もない体裁も次第に過去のものに。