地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

模型工房パーミル・上信デハ22をつくる (1)

2014-01-10 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 新年も忙しいなりにヒマを見つけてシコシコと模型を製作したいと思うものですが、どうせ作るならば出来るだけマニアックなものが面白く、挑戦し甲斐があると思います。そこで、当面は3点を新年の重点作品として製作をスタートさせたのですが (否、既に昨年末からやっております ^^;)、そのへっぽこな製作経過も敢えて当ブログ上に晒すことによって、ヘタクソなりになるべくマシなものを目指そうという緊張感を保って行きたく存じます。
 そんな新年の製作の一発目は (とゆーか、年末の製作&記事作成分を予約投稿しているもので、年始に入ってからまだ全く鉄活動するヒマがないのですが……汗)、碓氷峠の麓・安中市にオフィスを構えておられる「模型工房パーミル」様の気合いの逸品・上信電鉄デハ22ペーパーキットです!!
 模型工房パーミルといえば、ここ数年たとえばペーパー製のNゲージ大型橋梁を製作・販売されるなど、一部のジオラマ派のあいだで知る人ぞ知るメーカーでおられますが(とくに代表作として、地元碓氷峠を再現された渾身の逸品・眼鏡橋などがあるものの、いろいろあって○ローベルデが現在発売)、実はオーナー様が当ブログのごく初期からの読者でおられまして、たびたびお会いしたこともあります。もともとは建築模型のプロとして繊細な技量をお持ちであるところ、是非地元の鉄道シーンを模型で再現したいということで立ち上げられたのが「模型工房パーミル」ブランドということになります。ただ遺憾ながら、私自身はジオラマ派ではなく (自室狭すぎ ^^;)、ここしばらくお会いするのも御無沙汰だったのですが、昨年末に開催された「さいたま鉄道模型フェスタ」にて出店されていたため久しぶりに再会! そこでいろいろ伺ったところ、このたび群馬の私鉄電車のペーパーキット販売を始められたとのことで、その記念すべき第一弾がこの上信デハ22!! 上信電鉄にご挨拶に行かれて承認を得られ、正式な設計図に基づいてリアルに製作した渾身の作品ということです!!



 というわけで、鉄コレ18弾のデハ200+クハ300といい、Bトレインショーティーのデキ1 (何とこれはショーティーではなくスケールサイズ!) といい、突然上信模型が充実し始めた2013年の締めくくりにふさわしい一品として、これは是非自分も製作にチャレンジし、いろいろ並べて遊んでみたい……と思いまして購入決定! 製作して当ブログにアップすることを条件に値引きもして頂きましたので (ありがとうございます!)、何が何でも頑張って完成させなければなりません (笑)。当ブログをご覧になった方の幾ばくかでも興味を持って頂ければ、売れ行き次第で第二弾・第三弾……として、魅力的な風貌を持つ上信旧型車各種がシリーズ化されるという展望も開けますし……。
 とはいえ、これまで個人的にはキットを製作するといってもプラ専門であり、紙キットの製作は生まれて初めてであります……(汗)。開封して中から出て来たフニャフニャの紙を眺めるにつけ、これが果たしてきちんとした強度を持つボディに化けるのかどうかも半信半疑……。確かに、即売会場に置かれていた見本品は十分な硬さを持っていましたので、まぁ作り進めるにつれて頑丈になって行くのだろうと思ったものですが、その間にどのようなプロセスがあるのかということ自体がよく分からん、というのが正直なところでありました (苦笑)。
 しかし、疑問だらけで手をこまねいていては何時まで経っても何も変わりません。というわけで、説明書を見ながら製作開始!! 綺麗にカットされたペーパーの精度は高く、とにかく説明書に書いてある通りに切り、折り、重ね、貼り……を続けて行けば、とりあえず今回の画像のような段階まで到達することが出来ます。また、組み立てにあたり瞬間接着剤を多用し、瞬着の硬さの助けを借りることによって、次第に車体全体が硬くなって行く……というカラクリも理解出来た次第です。但し、瞬着のみで組み立てて行くというのは緊張しますね……。少量ながら指先に結構付いてしまいましたし (汗)。勿論、プラ板キット製作でも瞬着は使いますが、このキットをはじめペーパーキットではここまで瞬着に依存するのか……ということで、ことさらにハミ出し・くっつきへの注意を払う必要があり、ヘロヘロになりました。とりあえず開封から、この状態に持って行くまでの所要時間は1時間半 (モタモタし過ぎ……)。
 なお、屋根板につきましては、説明書の指示通りに鉄コレ第8弾の元小田急屋根を使用しております。既に手持ちの第8 弾ボディを今回の屋根・床まわり用として供出するのは勿体ないため、大宮模型祭りから帰宅した直後にネット通販で岳南1107を確保した次第です。ドナー供出のために岳南1107を1両潰すのは些か勿体ないですし、とりわけ外した屋根のモールドをガシガシと切除するのも(ガラベンを載せるため)何とも切ない気分ですが、まぁ致し方ないというわけで……。
 今後は、とりあえず屋根整形→車体と屋根接合→雨樋接着→正面幌枠装着……という手順で進めて参りますが、さてどうなることやら。あ、そういえば、動力はTM-10が指定されており、今回の製作分にも動力を入れる予定です。
 
【注】開設されたばかりの通販サイトにはまだこのペーパーキットは掲載されていませんが、そのうち掲載されるものと思われます。

秩父鉄道・なおも現存するオレンジ1003F

2014-01-09 00:00:00 | 地方民鉄 (秩父)


 国鉄101&103系顔をここのところ続けて来ましたので、ついでに秩父のオレンジを……。残り僅か2編成となった秩父1000系のうち1003Fです! もっとも、パン上げ走行シーンは昨年夏の重連6連運転以来ご無沙汰ですので、その際に撮影したカットのうち未アップの画像をレタッチすることでお茶を濁させて頂きます (汗)。



 う~む、それにしても格好良い。勿論、中央線や武蔵野線での現役当時は前パンなどではなかったわけですが、秩父でのオレンジは1011F亡き後二代目となっていることからして、何のかの言って違和感なくオレンジ+前パンが受け容れられてきたという事実が改めて強い印象として浮かび上がって参ります。国鉄設計陣の心にもなかったことでしょうが、あたかも最初から前パンにすることも考慮したデザインであるかのような……。

昭和終焉四半世紀記念・奈良線の103系

2014-01-07 00:00:00 | 国鉄型車両


 本日1月7日は、日本の歴史にひとつの巨大なピリオドが打たれてからちょうど四半世紀。……そう、1989年の今日、昭和天皇崩御という計り知れない衝撃の朝を迎えてから四半世紀となってしまったのです。その直後、全ての日本国民は、当時の小渕官房長官が新元号を発表する瞬間を固唾を呑んで見守り……そんな静かな緊張感の中から平成の御代がスタートしたのを昨日の出来事のように思い出します。
 平成となって満25年。いろいろと痛快な出来事もあれば計り知れない出来事もあり、それぞれの方にはそれぞれの平成観があることでしょう。それは「平」「成」という文字とは裏腹に、内外ともに大きく揺れ動く激動の時代であることは誰も否定出来ないでしょうが、かといって他の時代が激動の時代ではなかったとは到底言えないわけで、総じて「いま」との比較で昔が良く見えたり悪く見えたり、トータルではトントンの収支で時代は回っているように思うのであります。
 しかし……こと鉄道趣味に限って言えば、私はこう叫びたい。
 嗚呼昭和! 嗚呼嗚呼昭和! 嗚呼昭和!



 世界の一等国からボロボロの敗戦国へ、そして奇跡の復興と高度成長、その一方で多くのゴタゴタに悲喜こもごも……。それらの全てが昭和天皇とともにあり、その御代のもとで日本の鉄道は間違いなく最も多様で面白い時代を迎えていたはずです。精密な匠の技が、見る者・乗る者のココロを激しく揺さぶる、工業製品としての質感と重量感にあふれた車両の数々……。天下の大幹線から末端の零細なローカル線まで、運行形態面で多様を極めた列車の数々……。そして特異な車両も大量生産な車両も、それぞれがそれぞれに独特の存在感を放ち、職人気質丸出しの鉄道マンのハートによって支えられていることが一目瞭然でした。勿論、私自身は平成という時代が昭和よりも良くないというつもりは毛頭なく、平成以後の車両が国際的に見て極めて高い水準を誇る精巧な車両であることには同意しますが(とくに、こと最新車両の海外輸出という点についていえば、私自身もナショナリスト丸出しの強い関心を抱き、その活躍に拍手を送らずにはいられません。とくに、日本企業が得られる利益や車両デザイン面で、ロ○ムが相当うまい汁を吸ってきたここ10年来の趨勢を考えれば……)、鉄道車両が放つ重みやオーラは確実に減り、列車運用面でも多様性を失いつつあるわけで(車両面や運用面での多様性は複雑性と同義で、それが省力化やシンプルな合理主義と反することは重々承知ですが)、結局趣味界の現状も多くの場合昭和の面影を追い求めていることが多いような気がするのは私だけでしょうか?
 しかし、嗚呼昭和!と叫んだところで、最早鉄道という視点からみて昭和が戻って来るはずがないのは確かです。昭和の鉄道少年としてヲタになってしまったヲッサンは、今後も加速度的に消えゆく昭和の車両をさらに溺愛しながら、そして模型で多少なりともココロの空洞を埋めながら、今後も全く新しい時代を生きて行かなければなりません。恐らくこのような態度が、これからしばらくの日本の鉄道趣味界の主流となるのかも知れません。否、既にそうなっているのか (汗)。
 そこで鉄道趣味という観点から「昭和」を消費するとしても多種多様なアプローチがあるでしょうが、ボロい……しかしシンプルで合理的な精神にもあふれた通勤電車を酷愛する立場としては、やっぱり今後も消えゆく昭和の通勤電車を追い求めることになりそうです。
 というわけで、そのひとつの象徴として、昨年夏の京都出張ついでに撮影した奈良線ウグイス103系をアップしておきます。ここは221系の運用が増えたとはいっても未だに各駅停車を中心として103系の極楽浄土ですが、2014年度以後のJRWは久々に通勤電車の大量新造に乗り出すとか何とか……。そうなると、近い将来奈良のウグイス103系も激減することが予想されるわけで、乗るのも撮るのも今のうちであることは間違いないでしょう。

阪和線のスカイブルー103系 (2013年3月)

2014-01-05 00:00:00 | 国鉄型車両


 秩父鉄道1000系の残る2本は標準色とオレンジであり、むかし根岸線沿線に住んでいた私にとって超お気に入りであったスカイブルー1001Fは、残念ながら余り撮りに行けないうちに廃車となってしまいましたが、スカイブルーの国鉄通勤型電車そのものは阪和線(一部奈良貸し出し)103系として残っているというのは、大いなる幸いというべきでしょう! というわけで、阪和線の103系といえば、2012年11月に撮影した記録を既にアップしましたが、その後昨年の3月、ミャンマー&タイ訪問の直後の関西出張ついで鉄で改めて撮影したものをアップしそびれていたのを思い出しましたので、備忘録としてレタッチの上アップしたく存じます (汗)。
 この撮影は、約1週間にわたる怒濤の海外遠征鉄の直後で、疲れが転じて発熱してしまった中でしたので、結構フラフラになりながら撮影したのを思い出します。しかし、折角関西まで来た以上は、体調よりも目の前の103系! (爆) 確か2時間弱ほど、15分間隔でやって来るスカイブルー103系にすっかりメロメロに……(笑)。



 そんな阪和線103系も徐々に、環状線から追い出されたN40改造車や、正面窓を一枚窓に改造された車両、あるいは側面窓をブラック系の新サッシに交換された車両が増えているわけで、伝統的な低運+未改造二段窓の車両がいつまで残るのか、相当心許ない状況になりつつあるような気がしております。それでも発想を変えれば、いろいろな改造を加えられた一両一両がゴチャゴチャに混結されていること自体、何やら73系が走っていた頃を思い出すわけで……(え?誰も思い出さないって?……スミマセン)。両開き扉であることとカルダン駆動であること以外、73系全金車と同じ昭和30年代の技術に依っている103系が、昭和30年代から隔たること約50年にならんとしている2014年にもこうしてフツーにやって来ることの偶然と幸せを、今改めてかみしめるべきなのかも知れません。
 しかしまぁ、行先表示が「鳳」の一文字のみでは些かサミシイですね (汗)。たまには、ではなくてラッシュアワー区間快速の6・8連運用が依然として残っている今のうちに、何度でも再訪したいものです。あ、でも、猛烈なブッチ切りぶりで駆け抜けて行く特急や快速を尻目に、少々チンタラ走ったかと思えばすぐに待避線に逃れて長時間停車の繰り返し……という各駅停車の雰囲気も結構好きです。ただ、天王寺~鳳間の往復ですらかなりの時間を要しますので、折角の短距離運用であるというのに気に入った編成を撮り貯めるのは難しいという難点がありますが……。

冬空の秩父鉄道 (2) 1010F最後の力走

2014-01-03 00:00:00 | 地方民鉄 (秩父)


 新年の鉄道シーンは、ジャカルタだけでなく日本国内でも大きく変化することが十分予想されますが(と申しますか、既にほとんど分かりきった話をなぞり続ける展開となりそうな)、特に巷で注目を集める特急「あけぼの」の廃止などは、車体が老朽化し、かつ夜行列車を運行しても人件費がかさんでペイしないとJREが判断していると思われるだけに、致し方ないことなのでしょう。こうして、車両の限界に達し次第、馴染みの車両と列車が次々と消えて行くという事態が不可逆的に進むわけですが、今年のとりわけ大きな歴史的分かれ目といえば、個人的には国鉄101系→秩父1000系の完全引退でしょうか。今から約四半世紀前、101系の中でも最も新しめな車両をまとめて譲り受けたとはいえ、既に新造から約半世紀。技術的には昭和20年代後半以後各社で澎湃として現れた初期カルダン駆動車の集大成というべき車両でしょうから、約60年モノの技術が今日まで走り続けて来たというのは、技術立国日本らしいとはいえ、結構凄みのある話です。しかしそれだけに、完全引退は「やむを得ない」という感情と「惜しい」という感情がないまぜになります……。



 そんな秩父1000系、かねてから(誰も注目していない頃から)それなりに撮っていることに加え、最近は本数の激減により「待てば来る」とも限らなくなったことから、さよなら運転や6連運転の類を除いて御無沙汰だったのですが、昨年末の「さいたま鉄道フェスタ」のついでに秩父鉄道を久々に訪れた際、奇跡が起こりました……。何と、乗ろうと思って駅で待っていた列車が、標準塗装1010Fでやって来たのです!!! というわけで、デハ1110の車端部に座り、ついに絶滅危惧種となったMT46(他にこれを採用しているのは何処がありましたっけ……)の「軽やかに重い」サウンドを満喫し、羽生から折り返して来る列車をド順光で激写できるスポットに徒歩で向かい待つことしばし……。薄雲混じりの冬空をバックに、これ以上の注文を付けようがないほどの超ド順光な斜光線を浴びて白く輝き力走する1010Fの姿は、本当に例えようもないほどの美しさであり、昨年一年間七転八倒しながらも何とか乗り切った私自身への御褒美なのであろう……と痛感したのでした♪
 秩父1000系といえば、復活国鉄色や復活旧塗装が注目を集めるところですが、最後の最後、残り2編成になってみると、やはり現行標準色もなかなかどうして大いに魅力的であり、むしろ秩父1000系・約27年の歴史を締めくくるラストランナーとしては、この1010Fが最もふさわしいのだろうと思えて来ます。残念ながらこの日は、オレンジ1003Fが熊谷で終日寝ていましたが、まずはこの2編成が今春のさよなら運転まで無事故で走り続けることを祈るばかりです。