地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

相鉄3000系 (旧国車体) を作る (2)

2014-01-15 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 どう考えても切り接ぎ三昧で、自らドツボにはまるものとしか思えない相鉄3000系 (旧国ボディ時代) の製作。先日アップした時点では、とりあえずロクサン車体のモハ3001、クモハ60ノーシルヘッダー車の戦災復旧車モハ3004、以上2両のラフな組み上げ状態をアップするにとどまりましたが、こうなりますとヤケッパチの勢いが出て来まして (汗)、単に切り接いで接着したのみで全くヤスっていなかったサハ48事故復旧電装車モハ3005につきましても、ガガーッとヤスって組み上げてみました。さすがサハ48を出自としているだけに、ドアが両端に寄ってズラリ二段窓が非常に見映えする車両ですが、この車両の印象を更に強烈にしているのが……両運転台であること (汗)。実際に相鉄でデビューして以来、単行運転をやっていたのか否か知る由もありませんが……。また、これまたサハ48を出自としているためか、正面ヨコ方向の雨樋は円弧状ではなく一直線となっておりまして、クモハ43正面のヨコ雨樋を切除し、「とりあえずこんな感じ」であることを示すために仮のプラ線を貼っております。屋根整形はまだまだこれからです……はい (汗)。



 こんな感じで、何とも複雑怪奇極まりない切り接ぎをしまくっているわけですが、とりあえずこんな感じで電動車3態が揃いましたので、先日のアップで記しきれなかった製作要領を以下備忘録として記しておきます。全てをGM板キットで安く済まそうとする余り、相当ムリめな部分もありますが……。このため、厳密に現役当時のボディを再現するわけではなく、あくまで「それっぽいタイプ」です。悪しからず……(滝汗)。

 【モハ3001】正面はGM板キット73系をそのまま利用していますが、二段窓部分をキレイに一段窓っぽくするのは疲れました……。運番表示窓とサボ受けは切除し、前者部分はパテで埋めております。一番のチャーミングポイントである中央上部の大型グリルにつきましては、ロクサン化用パーツとして売っているとかいないとか……。しかし、GMアキバ店で探しても見当たらぬ……(泣)。というわけで、タヴァサの70系妻グリルで代用しております。かなり小さめですが……無いよりはある方がそれっぽい、ということです (汗)。
 一方側面は、マジで苦肉の策三昧な妥協の産物。GM73系の側面を全て二段窓にするべくカリコリ削るのは恐ろしく面倒臭い作業のように思われ、しかもそれをやったらやったで結構削り跡が目立つのではないかという懸念がありました。そこで、クハ76 (70系) の板キットを大量に購入し、「運転室扉とその直後の1枚窓、ならびに車端部の2枚窓については73系の板キット」「中の4枚窓と客用ドアについてはクハ76のものを切り接ぎまくり」としました。そうすると、客用扉の幅が僅かに広くなりますが、ドアそのものの雰囲気はこちらの方が相鉄3000系の実車に近いため、まいっか……と (^^;)。また、窓の大きさもごく僅かに73系板キットの方が天地方向に高い……。そこで切り接ぎに際し、雨樋とウインドヘッダーの位置はすべて揃えた上で、73系窓の下には0.5mm幅のプラ線を、70系窓の下には0.75mm幅のプラ線をウインドシルとして貼りまして、ツートン塗装を塗る際にカギとなるウインドシルのラインが揃うようにしました。

 【モハ3004】正面はGMクハ68半流、側面はGMクモハ41二段窓+GMクハ76ドアを使用し、シルヘッダーは全て切除しヤスリまくり。側面を組んだ後はクハ68半流用屋根を載せ、乾燥固着ののち雨樋を全て切除しました。これから、隙間パテ埋め→張り上げ屋根ヤスリ整形→新雨樋設置・前パンまわり配管設置・靴ズリ設置……という手順で進めて参りますが、シルヘッダーの位置を揃える云々を気にする必要もなくガーッとヤスれば良いため、今回の製作ではこれが一番ラクかも (笑)。

 【モハ3005】一方こちらは結構面倒臭かった (汗)。正面はクモハ43ですが、上記の通りヨコ雨樋を切除しており、今後屋根と合わせてヤスリ整形したのち新雨樋を設置します。側面のうち運転室扉はGMサハ48キット付属のクハ47 0番台製作用パーツ、窓はサハ48、扉はクハ76ですが、切り接ぎの際にあまりうまく接着されていなかったためか、はたまた側面をヤスって均す際に力をかけすぎたせいか、接合面がしばしばパキパキひび割れ、その都度瞬着を塗ってやり直し……(ヘタクソ)。とはいえ、何のかの言ってウインドシルや靴ズリを貼ったのち組んでみますと、シブく端正な姿がカタチになって充実感たっぷりです♪ なお製作の都合上、本来サハ48板キットのリベットモールドは全て削ってしまっております (汗)。また通常のサハ48の場合、両端ドアのすぐ脇の窓は独立していますが、相鉄3005誕生時に窓間隔調整が行われておりますので、この状態で問題ありません。

ヤンゴン熱鉄記 (28) DF1300メイル客レ?

2014-01-14 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 早いもので、昨年3月にヤンゴンで日本中古DCやボロい客車列車にフィーバーしてから間もなく1年。その間に、例えば「はまかぜ」キハ181及び札沼線キハ48のヤンゴンデビュー、キハ58の全検ピカピカ、経済発展開始&道路渋滞によるヤンゴン環状線利用客急増に伴う長編成化&新造客車投入……などなどいろいろな変化が起こっているようです。そして、久留里線で引退したキハ38がそろそろヤンゴンで (?) デビューするのではないか?と思われる今日この頃。
 そんな中、最近毎年3月に敢行している業務閑散期の撮り鉄遠征をどうしようかなぁ……と思いまして、他の未訪問の国もあれこれ検討したのですが、結局上記の変化が醸し出す香ばしさに負けまして、今年もヤンゴンを訪問することにしました (^^;)。既に航空券と宿は予約しましたが、突然全世界からビジネスマンが押しかけ始めベラボーな宿代になっていた昨年と比べますと、ネットがピュンピュンに飛んでおり清潔な宿は一層高騰している気配があるものの (ビジネスには死活問題でしょうから)、そうでもない宿はむしろ値下がり~。朝飯のあとはひたすら鉄活動に徹し、夜に繁華街でメシを食べてから宿に戻ってシャワーを浴びて寝るだけの私にとっては好都合となりました。それでも、他の国の同レベルの宿に比べれば高いですが……(汗)。



 というわけで、昨年撮影分を早めに締めくくるべく、続きをアップです~。今回は、長距離優等客レ牽引機の主力・DF1300を撮影した分のうち、客車がボロめな列車です。
 ヤンゴンを発着する列車のうち、インド製DF1300または中国製DF2000が牽引する列車であれば、とりあえず風格ある急行列車として外国人向けの英語時刻表にも記載され、それを参考に沿線で狙うことも容易です。しかし一方で、DF1300牽引でありながら、急行列車ほど客車に統一感がなく、しかも相当年代モノの客車も混じり、青+茶ツートンや青+赤ツートンといった2世代以上前の(?)旧塗装も含まれ……さりとて鈍行列車ほどドサ廻り的な雰囲気というわけでもない列車が、突然思いがけない時間にやって来て結構ビックリします。
 この手の列車は恐らく……英領ビルマ時代に植民地行政上欠かせない公文書の類を運ぶのを最大の目的としていた郵便列車兼急行列車「Mail」の名残りではないかと推測しております。インド・バングラデシュ・パキスタンにも、全く同じように「急行ほど速くはないもののそれなりに速い長距離旅客列車」として「Mail」という種別が健在ですし……。まぁ詳しい素性は、ビルマ語が読めれば分かるのかも知れませんし (←怠け者! ^^;)、あるいは将来一層詳細な全国時刻表が御目見得することに期待するしかありませんが、どなたかミャンマー国鉄の全貌に詳しい方からの御教示を賜れますと幸いです m(_ _)m
 それにしても、2枚目の画像……腰回りの塗装が左右で異なる客車、気になりすぎます! う~む、1両1両の客車も記録しておくべきでしょうなぁ……。

第五ジャカルタ炎鉄録 (20) 低運103系

2014-01-13 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨日は、いつもお世話になっておりますKucing様のお声がけのもと、町田駅周辺の某所にて新春・インドネシアの宴が開催されまして、205系大量導入をはじめ激しく変わりゆくジャカルタの鉄道事情、そして台湾や東南アジアなど各国の美味しい鉄事情をめぐって熱いトークが繰り広げられたのでした♪ とりわけ、ジャカルタから帰国されて間もない井上様及びKucing様によるご報告には、僅か5ヶ月前にジャカルタを訪問した私でも完全に浦島気分です……(汗)。今年は果たしてどのような変化が待ち受けているのでしょうか?? 何はともあれ、昨日お会いした皆様には大変お世話になりました!!
 というわけで、205系の大量増備によって今後の先行きが大いに気になるジャカルタの103系の続き、低運車を激写したシーンです!!
 去る8月のジャカルタ遠征では、宿願叶って活動初日の朝ラッシュアワーに103系高運東海色を撮影出来たのですが、その時点では光線の関係で、ジャカルタ・コタ側に連結されていた低運ケヨ21編成は顔面が影でツブれてしまいました。したがって、最早8連1本しか稼働していない103系が夕方のラッシュアワーに出庫するのか否か、他の編成と差し替えられて再び予備車に戻ったのか不明ではあるものの、まずはなるべく早めに賭けに出て激写したいと思った次第。
 というわけで、午後のボゴール線列車を撮影する際のお気に入りスポットに出向き、午後2時台から張り込むことしばし。余りにも強烈な午後の光線で、手持ちの「神の水」○カリスエットが一気に減って行きましたが、夕方のラッシュに備えて続々と山を下りてくる列車を逃すわけには行かないため、じっと耐え続けます。



 やがて……待ち続け耐え続けた者にのみ与えられる大いなる祝福の時が!! 午後3時のアザーンが辺り一面に響き渡り、海から柔らかな風が吹き始めた頃、ボゴール方からあの感動のモーター音と白いボディが迫って来ました! 嗚呼スラトゥス・ティガ! 熱帯の深い緑をバックに轟進する103系の姿をひたすらファインダーで追い続けながら (1枚目)、心の底からの歓喜に打ち震えたのでありました……。
 訪問中における103系の代走は、残念ながら最初の2日間のみで終了し、その後は再び予備車となってしまいましたが、期せずして改めて幸運がめぐって来ました! 技術者・S様の有り難いお取り計らいにより、パクアン急行様とともにデポック電車区を訪問したところ、何と!ボゴール所属車としてボゴール電車区の奥で寝ているはずの103系が検査のためデポックに回送されており、小まめに起動&停止を繰り返しながら性能試験をしているシーンに目出度く遭遇! 架線柱の隣の線路を走行していたのが残念と言えば残念ですが、103系を順光で撮影できるのであれば贅沢は言っていられないというものです (笑)。
 何はともあれ、こんな感じで目出度く103系高運・低運両方の稼働中の姿を撮影出来た次第ですが、新年に入り本格化する205系の運用入りに伴い、最早8連1本しか稼働できない103系の処遇が大いに懸念されるところです。とりあえず今年は間違いなく103系の検査期限が来るものと思われますが(あるいは、予備車化により走行距離が大幅に減っているため、検査期限が先延ばしになるのかも)、果たして……。KCJ社公式HPの入札公示コーナーにて、都営6000系とJRE103系のクーラー部品がどうのこうの……という公告を目にしまして、実際都営6000系の一部の車両でクーラー換装が始まっていることから、103系についてもヘタレた部品の現地化換装が進み、今後も元気で走り続けることを期待しているのですが……。
 いっぽう、昨年末にパクアン急行様のブログで目にした超ぶっ飛び情報としまして、ジャカルタ近郊電車列車の営業は従来KAIと子会社KCJの二重体制であったところ、完全にKCJに移管となるということで……行く行くは全ての電車がKCJコーポレートカラーの赤黄帯に移行するものと思われます。そこで、103系が無事入場して赤黄帯になるのか否か、もし赤黄帯となったらどんな雰囲気になるのか、あるいは廃車となってプルワカルタ送りとなるのか……本当に眼が離せません (汗)。

相鉄3000系 (旧国車体) を作る (1)

2014-01-12 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 新年のマニアックな模型工作三大シリーズ、最後の一点 (とゆーか1セット) として敢えて白羽の矢を立てたのは、製作が最高に面倒臭いうえに、そもそも存在自体がマイナーの極みゆえにネット上でも作例を全然見かけないという相鉄3000系(旧国ボディ時代)です!!
 相鉄3000系といえば、最近の趣味界一般で抱かれている印象は恐らく「旧6000系と同じボディを持った僅か10両のVVVF車であり、しかも1998年に相模大塚構内でポイントを渡っている際に突如脱線して損傷が激しく敢え無く廃車となったという、極めて存在感の薄い車両である」という程度かも知れません。しかし、それは決して3000系の余りにも濃すぎる本質を知らない評価に過ぎないと断言出来ます。
 そもそも3000系は、相鉄がかつて神中鉄道改め東急厚木線であった際、東急が運輸省から配給を受けた国鉄モハ63を輸送力不足にあえぐ厚木線と小田原&江ノ島線に投入し、1800形と命名されたものです(その後小田急に引き継がれた車両は、そのまま1800形→秩父800形に)。相鉄として独立した後は3000系と改称され、さらに戦災で焼失したクモハ60や事故廃車となったサハ48(相鉄入線時に電装&3扉両運化)を系列の一員として組み込み、総勢9両となったわけですが、相鉄2000系が17m旧国&買収国電の巣窟であったのと並び、相州の大地に一大国鉄型魔界ワールドを現出させたという存在であったと言えましょう。ことによると……その後のマンケー(E231)・マンセンケー(E233) の登場を予言するものだったのか?? (汗)
 その後昭和30年代半ばになり、相鉄では猛烈な勢いで沿線の宅地開発が進み、4扉の6000系が登場して大いにラッシュ輸送に威力を発揮したわけですが、その結果ロクサンや叩き直し車両の巣窟だった3000系も6000系と同じボディを載せることになり(6000系が日立製であるのに対し、こちらは東急製ですので、厳密には車体形状が異なります)、純新造車サハ3514を加えて3010系を名乗ったという次第。



 しかし個人的には残念ながら、70年代末以後相鉄を愛用するようになっても、3010系に乗った記憶は1~2回程度しかありません。それはひとえに、70年代後半になると8連以上が当たり前となる中、僅か10両しかなくサハ3514を除いて6000系と混結出来ない3010系は、釣掛ということもあって基本的に予備車扱い、せいぜい朝ラッシュ時に動員されるのみとなったからです。中学生の頃、自宅からチャリンコを飛ばして相模大塚の貨物シーンやかしわ台の車庫シーンを見に行っても、いつも3010系は片隅で惰眠を貪るばかりであり、小田急江ノ島線が釣掛4000天国(一般利用者には地獄? ^^;)であったのと比較しても「相鉄は音が静かでつまらん……このまま3010は廃車になってしまうのか?」と溜め息をついたものです。
 それだけに、高校に入学して以来毎日相鉄で通学するようになったある日、ラッシュアワーでほとんどの車両が出払ってスッカラカンになったかしわ台で見かけた光景は、まさに神秘そのものでした……。何と、3010系のうち5両が釣掛の下回りのまま冷房を搭載してピカピカになっており、いっぽう別の5両はVVVF&新台車に換装して3050番台に改番しているとは……!! 旧国譲りの釣掛と、まだ他の路線でもほとんどないVVVFの混結……。一体全体本当にちゃんと協調して走るのか?!一体どんな音がするのか???……などなど、超ドキドキワクワクなナゾで脳内がいっぱいになり、高校の授業も完全に上の空となってしまったのでした (笑)。
 ところがその後数ヶ月、待てど暮らせど営業運転には入らず、結局釣掛冷房車は再び東急車両に入場し、全車VVVFの3050番台に……。半釣掛+半VVVFという破天荒な試みは結局失敗に終わったわけですが、とにかく一本の編成に全く異次元の技術が混在する光景は、日本鉄道史上空前絶後であったと断言できます。
 もちろん、3050番台として営業運転を開始(形式名は3010から3000に戻った次第)してからの活躍も実に面白く、昭和30年代気質そのままの薄暗い車内で、簡単なLED表示の停車駅案内が灯ったり、ごく初期のVVVFのうなりを満喫出来たり……と、とにかく究極のマニアックさ尽くしの電車でありました (遠い目)。
 そんな3000・3010系、N模型としては鉄コレを素材として6000系ボディに改まってからの姿を何とか作ることは出来そうですが(まぁ厳密には差違を再現しきれないでしょうから「タイプ」ということになるでしょう)。いっぽう旧国ボディ時代の相鉄3000系は、他の既成73系・戦前製旧国N完成品やGM/LJ板キットと比べても、あらゆる点において違いがあり、かつ超弩級のマイナーぶりであるため、未来永劫メーカーが模型化することはないでしょう……。これほど数奇でマニアックな遍歴をたどっているというのに、何と憐れな相鉄3000系! ならば俺様が、妄想の限りを尽くしてそれっぽく見せてやる!と思い立った次第です(アホ ^^;)。
 とはいえ、GMの板キットで安く(?)切り接ぐ以上、もちろん厳密な再現は最初から諦めているわけでして、あくまでそれっぽく見せただけの「タイプ」です! ……というわけで、そろそろ思いの丈を書きまくってしまい長文駄文の極みとなりましたので、具体的な製作上の考え方につきましてはまた改めて……(^^;;)。
 とりあえずモハ3001らしき車両 (1枚目) と、モハ3004らしき車両 (2枚目) が、ようやく苦心惨憺な切り接ぎ地獄を経て箱状に組み上がり、鉄コレ下回りに対応する状態になっています、ということです。しかし計画では他に、サハ48の事故車を大改造したモハ3005、そして2両のロクサン型クハ、ならびにモハ63の焼失車を丸屋根トレーラー化したクハ3504をつくるつもりでありまして、今日アップした分を含めて計6両の切り接ぎ&ヤスリ整形地獄……(滝汗)。しかし、これまで奇っ怪な車両を何とか手がけたことで得られた根拠なきイケイケ気分に基づき、何とか作業を少しずつ進め、年末までには完成すれば良いなぁ……と (笑)。


富山地鉄・幻の阪急2800改をつくる (1)

2014-01-11 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 新年の新規へっぽこ模型製作第二弾としまして (でも製作&記事作成は昨年末。汗)、現在マイブームが吹き荒れている富山地鉄に関連し、阪急2800系を改造した幻の車両を手がけることにしました (滝汗)。
 事の縁起は去る7月、東急8590→17480形の上市&稲荷町搬入に期待しつつ、京阪8831購入改造記念ヲタイベントに参加したときのこと。既にその記録を記しました通り、京阪3000購入にまつわる昔話を中心とした関係者講演会は白熱の大賑わいとなったわけですが、その際に出て来た「当初は阪急2800をもらい受けて再び2扉転クロ化しようとしていたものの、その過程で降って湧いた京阪3000[しかも最初から転クロ]大量廃車話に飛びついて、結局阪急2800の購入は幻に終わった」という話題には、とにもかくにも「へぇ~」と驚くばかり (え?昔からの常識? ^^;)。そんな話題の印象をさらに激しく強めたのが、同時配布の阪急2800改造構想図!! 単に中間扉を埋めて窓を設けるのみならず、ワンマン運転を念頭に入れて前後の扉の位置を大きく(?)移すとは、さすがの稲荷町プロフェッショナル軍団……と思いつつも奇想天外な大改造であることには変わりありません。京阪3000が富山の美しい四季を走り抜ける光景は、それはそれで関西私鉄ヲタを唸らせるものがあるわけですが、個人的には阪急2800大改造車がこんな姿となってデビューしていたかも知れないのか!という奇想天外な事実に大いにのけぞったのでした (汗)。



 そこで、実車では最早有り得なくとも、とりあえず模型として幻をかたちにすることは可能だ……と思いまして、さっそくアキバGMにて阪急2800板キットを購入しようとしたものの、うむむ……しばらくの間欠品続き。バルクも払底中……。このため、バルク板購入&着工は、店頭に僅かながら再入荷していた師走に持ち越しとなってしまいました。
 というわけで、年末の業務繁忙がようやくピークを過ぎたところで、いざ側面板をランナーから切り出し、7月の講演会で配布された構想図を見ながら、大体の目分量でエイッとカッターを入れて切り接ぎ祭りを開催しました (笑)。車体の左右で、切り込みを入れる位置が全然異なるのが何とも冷や汗ものですが、まぁどうせ設計図も無しに目分量でやっているに過ぎません。最終的に接着したときの総車体長が、切り接ぎゼロな阪急車体と一致すれば良いのであり(そのために切断面をヤスリまくって長さを微調整しています)、さらにシコシコと細かく表面をヤスってやることで継ぎ目を消してしまえば良いのです。
 その後は、先に切り接いだ側面を完全にヤスってから組み上げれば良いものを、何はさておき車体として組んだ姿を見てみたいと思いまして、鉄コレ動力TM-12及びGMのPT43パンタと組み合わせてみました (笑)。恐らく今日の自転車持込スペースとなることを見越したかのような、巨大な窓無しスペースが、何とも言えずナゾ車両ぶりを醸し出していますが、さてこれからヤスリ作業が大変ですなぁ……。あ、塗装ですが、かぼちゃ色はアレですので、雷鳥色を塗ってみたいと考えております (まだまだ先の話ですが……)。
 ちなみに、GMで阪急2800系板バルクを購入したところ、フツーでしたら一袋420円のバルクの中に両側面が入っているはずですが、阪急2800系に限っていえば片側面分しか入っていねぇ……(滝汗)。このため、2両分と思って2袋購入しても1両しか出来ません……。そこで改めてGMストアに足を運んだところ、昨年末の時点では何と売り切れ……。何時再入荷するかも不明とのこと。もしこのまま、鉄コレの勢いに押されて阪急板キットの再生産終了ということになってしまえば、結局1両を試作しただけで終わり、2連を組めないことにもなりかねません。ぐぬぬ……困ったなぁ……と (爆汗)。とはいえ、一昨日改めてアキバGMを訪れたところ、ちゃんとバルクの補充があり、パンタ無し車も製作可能になりました。良かった良かった♪