四、19世紀後半日本は明治維新政府が成立、徳川の鎖国政策を放擲、というより欧米列強に放擲させられた。しかし日本も欧米資本に市場を蹂躙させられっぱなしの受け身でばかりはいない。対抗上対外積極姿勢をとる。
一方の清王朝も日本を見て近代化に踏み切る。これは失敗して清は滅びるのだがそれはまだ先の話。
海軍の西欧化というか近代化では清王朝のほうが先をいった。少なくとも清朝の人間はそう考えていた。彼らは西欧式の近代化された艦隊で日本の近海に表れて示威行動をした。
現代のチャイナが東シナ海でチョロチョロするのとは規模が違う。気宇壮大である。清の海軍艦隊は相模灘をとおり、東京湾入口に現われて日本を威嚇したのである。日本がチャイナを信用せず、彼らの日本侵略を日本の明治政府が確信して対策をとったのは当然である。
五、現代編
戦後稀有の平和を日本が享受したわけ。勿論東西冷戦という「オカゲ」もあるが、チャイナが国共内戦で疲弊、赤色チャイナが大陸を統一したが、国力がなく対外侵略どころでなかったのである。また、70年代の国交回復後も経済政策の相次ぐ失敗で海外膨張など夢であった。東西冷戦下で日本と交流することなどあり得ないことだった。
おまけに同じ東側でチャイナはソ連と言う仮想敵国と対峙していた。
今は、ああ、アアである。こんなにチャイナを肥やしたのは誰だ。
歴史を鑑にするなら対中鎖国あるのみである。