前回紹介した民間航空機でも旅客の体重測定を要求したという故事、DC3という旅客機までだったらしい。該機はプロペラ双発機、旅客30人のり、製造は第二次大戦前。日本では全日空などの国内ローカル線で昭和40年代頃まで就役していたという。たしか当時フィリピン総督だったマッカーサーが日本軍の攻撃を逃れて命からがらオーストラリアに逃れたのはドアの壊れたDC3ではなかったか。I shall return と言って。だから彼は大統領や参謀本部の反対を押し切って直接日本に北上せずにフィリピンに寄り道をしたのである。
話がそれたが、NHKのニュースで重量の問題がチラホラ報道されている。死亡した同乗者に全日空の職員がいる。機長とおなじ36歳だそうだ。多分機長の隣に座っていて死亡したのだろう。この人の仕事が運航管理者という。この仕事はまさに昔であれば旅客の体重、荷物の重量、搭載燃料の重量などを詳細に記録して登場者の座席指定から荷物の積み込み場所や方法まで決める職務である。
勿論ジャンボで仕事のやり方は違うだろうが基本的なことは同じだろう。彼は私用で乗っていたのだろうし、運航管理者の具体的な仕事内容は昔と違うだろう。第一、36歳という年齢ではDC3華やかなりし頃のことを知っている筈もないが。
しかし、なんとなく皮肉なものを感じるのだ、もし重量超過の問題があったのなら。同乗者それぞれの搭乗目的は報道されていないが、事故調査ではそれらも調べているだろう。差し支えなければ報道もしてもらいたい。
多少の重量超過にはアローワンスがあるだろうが、それにバードストライクとか整備不良、酷暑、操縦ミス等の要因が加わると複合的な影響して来た可能性はある。