東方のあけぼの

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安倍官邸の見当識喪失状態について

2017-06-16 07:45:19 | 加計問題

痴呆症の診断の一つとして見当識の喪失がある。自分の生年月日が思い出せない、自分の名前が書けない、今年の年号は?、今日が何日か、何曜日か言えない、などをチェックする。

 政治家の場合、国民の注視するなかでの(つまりテレビ視聴者の目を考えて)自分の立ち居振る舞いに気を配るということであろうか。安倍さんはもともとこう言う点では保守政治家としては珍しく目配り、気配りのきいているほうであった。

 しかし、森友、加計問題ではそのような見当識はまったく見られない。あれで強硬突破出来ると考えて少しも疑わなかったようである。簡単に言えば発狂した様に見えた。菅官房長官もいつもの無難な応対が出来なくなっている。彼の場合はなにか意識下で強いやましさがあったのかも知れない。官邸の最高レベルというのは彼のことだろう。

 森友問題では財務省幹部の反吐が出るような国会答弁をたしなめるのが首相、官房長官の役目だろうに。反吐発言の影に隠れては正体みたり、と言わざるをえない。

 菅氏が「官邸の最高レベル」が自分の事であることを反射的かつ断定的に(カテゴリカリーに)否定する理由がわからない。「ああ、私の意志ですよ」といって何の問題があるのか不思議でならない。なにかまだ隠された理由があると推測せざるをえない。(入札のはるか前に加計学園だけを予定してごり押ししたら経済犯罪になると自覚しているのか)。

 安倍首相の場合、この急変は薬害かもしれない。かれは前回の辞任理由となった難病の治療薬を常用しているというが、それが精神的な副作用をもたらしているのか、マスコミは取材すべきだろう。

 とにかく、安倍氏の人格が急変した様な印象を国民は受けている。あるいは安倍氏が官房スタッフのコントロールを失うほど見当識を喪失しているのか。これは119番ものである。

 


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