東方のあけぼの

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加計疑惑は問題を分けて追及せよ

2017-06-14 08:54:38 | 加計問題

問題を適切に腑分けしないと、追及は空振りに終わる。官邸や文科大臣(その手下)はあいまいな質問にあいまいに答えられるから適当にやり過ごしているうちに問題はうやむやになる。

 加計問題のメールに関していえば、問題には三つの正面がある。

1:総理の問題

2:官邸(首相の取り巻き)の問題

3:文科省の担当官僚の問題

 いまはもっぱら3:だけに集中しているわけだ。問題の文書は官邸の人間が「総理の御威光もとえご意向だ」と脅迫したといっているわけで、2:の問題を同時並行的に追求しなければならない。官邸は3:の問題を解決しないうちはする必要がないというのだろう。しかも野党もちっともこの点を追求しない。

 今朝のテレビに竹中平蔵という小泉時代に踊ったピエロが出ていた。総理がこんなことを直接指示することはあり得ない、という。1:の問題だがこれが一番難しい。証明という観点からは。

 しかし、「あった」と「ない」の確率はフィフティフィフティだろう。証明はもっとも困難である。だから50・50というのだが。

 2:の問題、これは確率から言うと90対5パーセントだろう。5パーセントはどちらともいえないというものである。権力者にぶら下がる連中が「上」の意向だといって圧力をかけるのはよくありることで、そう理解するのが世間では普通である。無理がない。

 公明党の幹部も言っていたが、政府の強圧的で不誠実かつ乱暴な対応は国民の疑念を払拭するというよりも、むしろますます深めるものである。だれもが「なにかやましいことがある」と感じざるを得ない。もっとも「やましく」感じるのはまだ良心がすこしはあるということだが。

 今朝のテレビで義家とかいう副大臣が告発者は守秘義務違反の可能性があるといっていたが、これを見ていてやくざの弁護士が無理筋の弁護をするのと同じだと思った。もう彼らは法廷に刑事被告人として立っていて、なりふり構わず罪を逃れようとしているのと同じである。

 


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