東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

私も浮かれてしまった、令和改元始末

2019-04-04 20:00:34 | 生前退位

 元号問題には特に興味があったわけではないのだが、世間やマスコミがものに憑かれたように騒ぐのでこちらまで浮かれて長々と書いてしまった。

  出典問題については漢籍であろうと日本の古典であろうと気にはならない。日本の教養人にとってシナの古典は欧米人にとってギリシャ・ラテンの古典と同様の関係にあり、国がどうだとかこうだとかいう問題とは関係がない。しかし、これまでの出典がほとんど(全部かな)漢籍からだし、選択の幅の厚さ(深さ)は漢籍のほうがはるかに豊富だから、漢籍のほうがいいかな、というくらい。ナショナリズムとは関係ない。この点では安倍首相や取り巻き似非右翼主義者の主張はピント外れである。

  古典時代(後漢までかな、歴史についての見識があるわけではないが)のシナ文化と現代大陸に蟠踞しているいわゆる中国人とは精神文化的には関係ないといってもいい。大体この二千年の間、シナ人がいわゆるシナ大陸全体を支配していた期間は千年にも満たない。唐、明,宋の三王朝くらいだろう、中国人の独立統一国家だったのは。残りの期間は外国人の支配下にあったか小国分裂の混乱時代である。いやらしい植民地根性に染まり古代とは精神的には全くの別人種になっているといっても過言ではない。

  ただ、これまでに書いたように、令和のようにむちゃくちゃなのはいけない。和書(国書)であれば何でもいいという乱暴な意見はいただけない。それも実は国書とは言えない性質の典拠を得意げにいうのは気持ちが悪いというだけのことだ。


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