中学生の頃、京都の東映撮影所に来るときにのための美空ひばりの住宅が、中学校のグランドの道を隔てたところにあった。「ひばりちゃんが帰って来た!」と、授業中でも走って見に行ったものである。そのころにひばりは、20才前の一番生意気な時だったと、今では思う。
生徒たちがいくら騒いでも、ツンとしていて返事もしなければ、笑いもしなかった。特に女の子たちは、キャーキャー騒いだものであるが、彼女が反応した記憶がない。私たちはそんなひばりを見て「美空イバリ」だ、なんて言ったものである。大嫌いではなかったが、好きにはなれなかった。
ところが、ひばりが死んでからは時たま、彼女の歌を耳にするようになって、気がついたことがある。ほとんどの彼女の歌を、そらんじて歌えるのである。少なくとも、一番は大概は黙っていても歌えてしまう。しばし、この奇妙な現象に驚いたものである。
戦後の暗い時代の日本を、彼女の天才的な歌声が救ったのであろう。これこそ、真の意味での戦後レジュームである。少なくとも彼女の存在は、ある時代の象徴であったし、人々の中にしったりと根づいていた。
今日は美空ひばりの命日である。平成の始まった年に彼女は亡くなり、私の友人の奥さんがその60日後に死んだことと併せて、昭和の終わり平成の始まりから20年も経とうとしている。
時代は大きく変わったが、決して前進したとは思えない。それどころか、戦後レジュームをネタに更にその前の時代に憧れている、復古的国粋主義者の為政者がなにやら不穏なことを企んでいるように思えてならない。