名護市長選挙で、普天間の辺野古移転を反対していた稲嶺進氏が勝利した。賛成派の、前職 の島袋氏を破っての勝利である。少なくとも、名護市民は辺野古移転に反対したのである。
条件付きとはいえ、基地の受け入れを表明していたた島袋氏は、産業振興の決め手に思っていたのであるが、名護市民はそれをも拒否したのである。基地の職員は、地域住民よりも2~3割も給与が高い。誰でもが嫌がる基地を受け入れることで、地域住民に落ちるものは少なくはない。雇用対策の決め手になっているようであるが、このことが逆に新たな産業の振興を抑制する結果になっていることも、忘れてはならない。稲嶺氏は、自然を主体にした産業振興を訴えていた。
沖縄は地上戦を戦った唯一のところである。県民の多くが戦死したし、土地も家屋も奪われた。日本軍は逃げるだけ逃げて、牛島中将は自決しながらも、部下には最後まで戦えと無責任であった。その沖縄は戦後20年以上にわたってアメリカの支配下に置かれた。そしてその後日本に返還になったものの、核兵器を隠し持たされながら日本駐留米軍の75%を受け入れてきたのである。しかも日本は、7割もの駐留負担をしているのである。
米軍も、治安が良く遊興施設もあり何不自由ない沖縄は、兵士にとって最も住み心地のいいところでもある。グアムに行きたくないのは、アメリカだけではなく兵士たちも同様なのである。
米軍施設が、沖縄にもたらす経済効果も大きいものがある。それらを全て容認しながらも、名護市民はジュゴンが棲み、垂直にサンゴが広がる貴重な自然の残る美しい辺野古への、基地移転を拒否したのである。鳩山由紀夫首相はこのことを肝に銘ずるべきである。