そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

補助金を考える

2010-01-29 | 政治と金

国や自治体は政策遂行のために、あるいは国民を誘導させるために補助金を出す。農業分野では嫌というほどの補助金が出てくる。目的は農業保護であろうが、現実には群がる業者に吸い取られてしまうことが少なくない。

現実としてこのようなことがある。例えば、トラクターを補助事業で買う場合、1000万円ほどだとする。これが業者の定価である。補助が防衛施設周辺整備事業(要するに自衛隊の騒音などの迷惑料として周辺の農家を対象にしたものである)だと、大体8割補助である。農家の手出しは、1000万のトラクターを買っても僅か、200万円支払うだけである。農家は潤い、農民はニコニコ顔である・・・というのは表面だけの話である。

返済する200万円は、5年から10年ほどで返済することになるが、なんだかんだと払い終わる頃には300万円ほどになっている。しかも、購入する機械などは決められたものしか買うことができない。使い勝手が悪くても規模や地形に合わなくて仕方ない。

それでは、お金持ちの農家が現金を持って同じトラクターを買いに行くとどうなるかというと、多分600万円ほどで同じ物を買うことができる。どこにでもある話であるが、定価は外向けの公式価格として幅を設けられ、農機具会社は高値に付けている。それでも手出しは半額で買えるではないかという思いはあるだろうが、国などの拘束を嫌がる人たちは多い。そして、そのような農家ほど経営は良いのである。

これが施設なら、固定資産税が定価で掛けられるし、第一大きさや企画などがんじがらめで、農家の自由になるものはほとんどないのである。いずれの場合でも、最も潤うのは納入する業者と金が通る農協である。

少しの内容は異なるが、家畜の診療を行っている農業共済制度も同じである。共済加入農家の診療はどうしても高額になってしまう。非加入の農家は、何とか診療価格を抑えるよう努力する。大きな診療内容の違いはない。何よりも、共済加入農家は総じて病牛を丁寧に扱わない。治らない時には、共済金が出るからである。非加入農家は、懸命の牛の面倒を見ようとする。

こうして見ると、補助金とはそれがあるとそれを良いことに、誰かのおこぼれを待つ、ドラ息子のようなものである。補助金がなければ、懸命に働き自己責任の回避を試みるのである。そしてそのような農家ほど概して経営は良いのである。

コメント (1)
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