「日本と朝鮮半島2000年」という番組を、昨年春からNHK教育テレビ開局50年の企画としてやっていた。何度か少し見ていたが、年末の深夜に再放送をやってくれた。1回の放送が90分である。9回となると13時間半にもなる。これをDVDに落としながら、ほとんど一気に見た。これまでの不勉強を自ら恥じ入ったが、高校で何を教えていたのか思いながら、歴史の面白さと深さを今更ながら、実感した。
高校ではいわゆる受験勉強として、歴史を学んだ。内容は歴史に名を借りた、パズルである。年号を丸暗記したり、人物を諳んじているだけだった。このシリーズの出来事はとほとんど学んで知ってはいたが、中身のない空虚なものであった。
大和朝廷の出先(日本府)と教えられた任那(伽那・かや)の実態や、大化の改新は乙巳(いっし)の乱といわれ背後に朝鮮半島を巡る大きな動きがあったことや、白村江(はくそんこう)の闘いは惨敗しただけでなく、の本各国からの寄せ集め立ったことや、秀吉の侵略で多くの朝鮮人を惨殺しその後の、家康の朝鮮通信使を用いた修復など知る由もなかった。
それにしても、国境を持たず国家を意識しなかった、古人がいかほど無欲でおおらかな人たちだったかと思う。人類は富を蓄え軍事力を備え、国家意識を人民に鼓舞することで多くのものを失ってきたのである。古代には国境の意識もなく、民族の意識もそれほど強いものがなかった。
秀吉による2度の朝鮮侵略は多くの朝鮮人を惨殺し、多量の技術者など数万人を日本に拉致した。イムジンワランと日本を恐れ、長く歴史に刻んだにもかかわらず、日本は再度20世紀になって朝鮮を侵略するのである。日本は、侵略者としての日本の歴史を最近の言い方として「屈辱史観}として排除し、徒に民族意識を鼓舞する人たちがいる。これでは、再度朝鮮を侵略することになりかねない。万世一系と天皇の存在を持ち上げる、皇国史観ではこの国は救えない。任那(伽那・かや)の存在についても、明治になって発見された広開土王の碑文を皇国史観として利用したのである。
今年は日韓併合から100年目の節目になる年です。いまだに慰安婦問題などなかったとする人たちがいることを、同じ国民として恥ずかしく思う。多くのことを学んだ「日本と朝鮮半島2000年」である。今月10回目が放送される。