そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

バカ検事3題話

2010-10-07 | 政治と金

このところ検事のまぬけ話が続いている。3件の検事のバカ話は当然のことながら、共通点が多い。というより同じ根を持っていると言える。だから時を同じくして発生、顕在化したのである。

最も内容的に深刻なのが、村木厚子厚生省元局長に係わる事件である。シナリオに沿わない資料が出ると、シナリオに沿って作りかえる。しかもこの前田なる検事は、改ざんした“証拠”を相手側に送りつけ、気がつかなければ資料として出てくるだろうという、2重に手の込んだことをやっている。それに、上司がこのことに関与していたらしいのである。要するに組織ぐるみの事件だったのである。リークされた内容だと、これまであったことが伺われる。

被疑者が優秀な人物であったおかげで、露呈しただけではないか。あるいは、非優秀な検事の杜撰な企みであったからばれただけかも知れない。巨悪を次々暴き社会正義を貫いてきた特捜とは何だったのか。

尖閣列島で日本の海上保安庁の船にぶつかった中国漁船の船長を、無罪放免した沖縄地検の検事は何を思ったのか、勘違いしたのか「日本国民のために」とかなんとか、その理由を説明していた。政府からの圧力は今のところ確認されていない。地検の検事は、国際情勢を判断して法を勝手に解釈するのである。彼の決定を止めるものがない。

昨日の繰り返しになるが、小沢一郎をしょっ引き巨悪をあぶり出すのに失敗した特捜も、何とも情けない話である。記載漏れを見つけやっと、秘書二人を起訴しただけである。小沢を立件できなかったので、平均年齢30歳の検察審査会からノーを突きつけられる始末である。検察は何のためにあるのか全く解らない。

これは氷山の一角かもしれない。特捜の検察官は起訴も捜査もできる。プレイヤーであると同時にアンパイヤーでもある。自らを律するものがある間は、社会の巨悪を暴いて大きな評価もされてきた。それが、より大きな事件を携わることで、成果を競うようになってきた。自らを律するものが何もなくなり、出世のための成果主義に走ってしまうと、このような身勝手なことを平気でやってのけるようになるのである。

法の番人が機能していないどころか、裁かれるような時代になった。何を信用していいのだろうか?

コメント (2)
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