今日(3日)のNHKスペシャル『核を求めた日本』は、当時の政府高官たちの声を足でこまめに集めた優れた内容となっていた。日本が核兵器の開発を、具体的に検討していたこと。日米安保の核の傘の下にいて、核廃絶に非協力的に動いていとことが報告されていた。やっぱりそうだったのかと思う内容であった。
日本と西ドイツ高官は、1964年の中国の核実験を受けて会談を行った。そこで日本側は、西ドイツに対して核保有国が、5カ国に限定される不平等なNPT条約に参加すると、永久に2流国になってしまう。核保有の検討をするべきと提案している。西ドイツは国家が分裂状態にあり、東西に核弾頭を数多く配置している。日本と根本的に異なると反論したが、日本の提案に異様なものを感じ動揺したと、当時の高官は語っている。
「日本と西ドイツはアメリカから離れるべきである」、「日本と西ドイツは超大国へのなる道を探るべきである」と、かつての同盟国に提案している。10~20年の間に、中国に引き続きインドなどが核兵器を持ち、緊急事態が生じるようになる。このために日本は、短期的に核兵器の生産をするよう準備しなければならないと、結論付けている。
憲法9条のおかげで日本は平和利用の名目で、原子力発電の核を持つことが出来た。東海村の原子炉から純度の高いプルとニュームを取り出すと、100キロほど採れる。これは長崎型原爆の10発分に相当する。政府は技術者を集めこうした検討を行っていたが、原子力発電を管理する側は、全く知らされていなかった。当時の資料を見せられ、驚く姿が印象的だった。それに比して、検討を指示した高官は当然であると発言している。
結局佐藤栄作は、反核感情が強く国民的反発を恐れ、核を持たずにアメリカの核の傘の下に収まる道を選択することになる。そして彼が打ち出したのが、作らず使わず持ち込まずの非核三原則である。このうち持ち込ませずは、当時から疑われていたが嘘であったことがはっきりしている。このことで彼がノーベル平和賞を受賞することになるのは、なんとも皮肉なことである。受賞演説の中で、非核三原則を世界の広めようとする件(くだり)は、アメリカの圧力で演説草稿に記載されていたが、直前に削除された。
その後唯一の被爆国でありながら、日本は国連で反核決議の半分近くに反対投票するか棄権をしている。当時の世界の外交官は、真っ先に核廃絶に動きを見せるだろうと思っていた日本の動きに驚いている。これに比して、ドイツは反核の先頭に立っている。EUから核兵器の撤去を訴え、一つづつ行っている。ようやく今年、菅首相が唯一の被爆国として、非核の先頭に立つ道義的責任を訴えてる。しかし、その菅首相はアメリカの核の傘の必要性を認めている。何とも矛盾する姿勢である。その場しのぎの論議しかしない国になってしまったが、これこそ2流国と呼びたい。