新自由主義あるいは経済至上主義は、目の前の利益あるいは儲かることならすぐさま飛びつく。その後のことは特段気にかけるわけではない。
もっとも良い例が、小泉政権時代の非正規雇用を雇用者が自由にできたことである。安価な労働力を得られるために、企業はすぐさま飛びついた。
安価だけでない。いつでも首を切れる。労働組合とは無縁の職員はありがたい。文句など言わず、黙々と働く。
その結果、社会は購買力が著しく落ち、雇用不安による様々な社会的な問題が噴出した。雇用者にとっても、経験者がいなくなってしまった。
短期的な結果を求めたためといえる。
政治の世界でも、政治家の安易な大衆への迎合が目につく。少し話題になったことなら、すぐに飛びつく。誰かが指摘したことなら、内容にかまわずすぐさま訂正する。鉢路が良い例である。
今回の野田首相の、公務員宿舎建設の見直し、といっても先送りであるが、これも良い例である。自分が財務大臣の時に、宿舎を統合する形で認めたなら、根拠がるのだから通せば良い。
ところが、報道各社がこぞって批判すると、見直してしまった。典型的な大衆迎合、ポピュリズムである。
新自由主義にしても、ポピュリズムにしても、長期的な視点がない。安易に目先のことを優先させて、結論を出す。文化も育まれないし、歴史も積み重ねることがない。
私たちは文化を、効率優先の前にして放り出す時代にいつのかもしれない。