アメリカのロンドンオリンピックのユニフォームが、中国製であったことが明らかになって、アメリカは大騒ぎである。
ご丁寧に、一部のものだけではなく、上着やズボンだけでなく、シャツや靴下やスカーフさらにはベルトや靴までが、中国製であることが判った。もうすでに開催まで半月を切っている。いまさらどうしようもない。
オリンピックは典型的な、ナショナリズムの発揚の場になっている。参加することに意義があるとしながらも、勝利者や団体の国旗を掲げ国歌を歌う。国が主体になって競いあう競技スタイルである。
一つの方法ではあろうが、競技としては大いに疑問のある手法である。同じルールであるとしながらも、自国で選出されない選手は、国籍を移してまで出場権を獲得する。国家の威信は保たれているとは思えない事例も少なくない。
今回の事件は、アメリカにとってはASEANNで、せっかく周辺国を取り込み中国を追い詰めながらも、その裏で中国に、オリンピックの正式ユニフォームの制作が、中国というのでは様にならない。
アメリカメのディアは、恥とは表現してはいないが、一斉にこの問題を報じている。大いに騒げばいい。ナショナリズムなんてこの程度のものである。
国家の障壁を下げることが、今世紀の人類に課せられた課題だと思っている。スポーツも本来そうした働きをするべきであるが、オリンピックは競技とは裏腹に、国威を発揚することに為政者は躍起になっている。そういえば野田ドジョウ氏は、開会式に国会を放り投げても参加すると言っているらしい。