小沢一郎が浸新党を立ち上げた。どう見ても新鮮味がない。これで4度目だが、自民党離党からの議員は一人もいない。井沢が際立って高齢の当選14回だが、次が5回の二人だけである。
ほとんどが新人であり、党名もある意味ユニークである。本来ならとても新鮮な政党となるはずである。それを打ち消しているのが、小沢そのものの存在である。
小沢を支持するつもりがないが、この男はなんと多くの官僚をはじめとする関係者たちに嫌われてきたことであろうか?
というのも、離党問題が取りざたされるや、3年も前から別居中の夫人から離縁状が届いたという、奇怪なニュースである。
文春のすっぱ抜きというよりタレこみネタである。反論もあるようだが、筆跡も異なるこの離縁状事件。絶妙のタイミングである。嫌われ者の小沢の面目躍如とるところであろうか。
かつて総選挙の当日に起訴されたり、民主党党首選挙に合わせた起訴なども記憶に新しい。何よりも西松建設を巡る、贈収賄で3年も捜査して、検察が起訴できなかったこともである。今回の離婚騒動も、嫌われ一郎の政治人生の一ページであろうか。
離婚も離党も同時にやるなんて、並大抵の人間にできることではない。しかも、同時に新党も結党するのである。しかも70才になって刑事被告人のままである。
僅かに残された望みは、協調者をどれだけ結集できるかである。これも前途は明るくない。国会では少数党がついてくるくらいである。
減税、脱原発、地方自治の重視などとスローガンに挙げても、それは正しいのであろうが、小沢そのものがそれらの結集の阻害因子になっている。彼自身がそのことに気が付いていない。
今回救いがあるとすれば、これまでの政党の烏合集散は、政党のメンツあるいは好き嫌いの流れでやられてきている。しかし、今回は政策で集散する可能性があるということくらいであろうか。