これまで私は教育というものに本ブログで全く触れてこなかった。それは何といっても、自分自身が高度教育体制の中での落ちこぼれであったからである。高校の同級生たちはどんどん出世する一方で、自分は日本の最へき地の根釧原野で、乳牛の診療に取り組む、いわばドロップアウトの負い目の身であったからである。
フィンランドの教育が素晴らしい。デビー・ムーアのこの動画を見て教育とは何かを、大いに考えさせられた。
フィンランドでは、〇宿題がない。あっても最大10分程度で済ませる。〇選択式のテストがない。自分で考えて、正確に書く。〇統一テストがない。テストは点を取る訓練でしかなく、これは教育ではない。〇生徒が自分の脳の活性化する方法を考える。子供でいられる期間は短いのである。〇裕福になっても、他人を認めないようになってはならない。〇子供たちに希望を与える。〇日本では試験科目にない音楽や芸術なども、同じように教える等々である。
ざっとこんなところであるが、羨ましい限りといえる。現在の日本の教育者の頭では、こんなことすれば学力が一気に低下すると不安になることだろう。ところが現実は上のグラフのようである。半世紀前まではアメリカと同レベルだった学力は、一気に高まって世界一となっている。
日本はフィンランドの教育の現実から、多くのことを学ばなければならない。教育は学力を求めるものではないが、このような教育こそが結果的に学力を高めることになる。
日本では教育政策に力を入れるとなれば、巨大な学舎を建築し多種多様な教育資材しかも先端技術を導入したものが大量に用意される。児童のことなど考えていない。要するに教育の周辺産業が儲かるようになっているのである。
農業も同じである。現在酪農の現場では巨大な先端技術を駆使した、極めて高価な機械が導入される。農家の懐が潤うのではなく、周辺産業が儲かるばかりである。
防衛も同じである。「安全保障」という響きのいい言葉を使って、巨大な兵器を大量に購入する。何の役にも立たないことがはっきりしている、ミサイル防衛システムを導入する。その前にすることがある。
そうした日本は、先進国の中で教育にかける予算が最低となっている。大学の数だけは少子化の国をあざ笑うがごとく見事に乱立している。学校には金を出すからである。その一方で国立大学の研究予算を見事に減らしている。
日本の将来に暗澹たるものを感じざるを得ない。フィンランドの教育体制を見てつくづく思う。