ペシャワール会の中村哲さんがアフガニスタンでの非業の死から今日で1年経った。早いものであるが、襲撃殺害されたからこそ、かえって現地ではぺしゃーる会の活動・中村哲さんの業績を称える事業が数多くおこなわれている。
例えばこのような中村哲さんの絵本を作ることであるが、アフガニスタンの人々の哲さんの業績を称え感謝する心がつとぁってくる。メモリアルパークも作られている。学校など授業でもペシャワール会の事業が紹介されている。カカ・ムラド(なかむら叔父さんという意味)と呼ばれていたが、子供にムラドと名付けたりもされている。
アフガニスタンの人々は中村哲さんが銃撃されたことを、いわば恥ずかしくさえ思っているようである。銃撃者はいまだに特定されていないし、今日も警告のようなものがあったらしく、追悼の会は流れたとのことである。国内事情は複雑である。
金を出すことしか考えない日本の官僚たちの貧相な発想の国際貢献は、多くは国内の業者が事業を請け負う形となて国内大企業に還元される仕組みになっている。中村哲さんのやったことは、基本的には現地で解決させるという方針である。貧困者に金を恵んだり、飢餓の人達に食料を与えたりしてもそれは一時のものでしかない。お金も食料も与えなければならない時はあるであろうが、基本的には自らが解決する道筋を作ってあげることが支援、国際支援の基本でなければならない。
中村哲さんが水路を地元の人達と汗を流して、水が流れてきたときには自分たちの達成感を享受し歓喜するのである。しかも工事費用は、先進国から腕の良い技術者が最新の機器で作られた時の、概ね10分の1程度である。自分たちで作れば、メインテナンスも利用方法も誰に頼ることなく、自らが行うのである。
芥子の栽培の方が金にはなるが、彼らはそれを望んでいるわけではない。銃より鍬を持つことを教えた中村哲さんの意思こそが、ノーベル平和賞に値しているのでないかと思うが、現実は佐藤栄作やオバマが騙しのテクニックに長けた人物が受賞している。それにしても一年経っても中村哲さんの死は悼ましく思われるのである。