現在日本は総選挙の真っ最中である。国家の行方を決めるべく大きな意味を持つ。所が民主主義を標榜する国家では、国民の声を聞くなどという姿勢は頂いた票数が全てとなって政治は動いている。
噂の類から見た目の感じや口先の巧みな人間が票を集める。中身のない人物でも票さえ獲得すれば、国会議員になれる。人気投票と変わらない。
現代の民主主義とは、こうしたポピュリズムによって集められた議員に対して、近視眼的な政策しか出てこない。その典型が農業政策である。
今日朝のワイドショウーで東大の鈴木宣弘先生が、食料自給の大切さと農家の実情を話されていた。選挙中でもどかしい説明しかできなったと、facebookで知らせが来た。
その各党の農業政策は貧相なものでしかない。コロナ禍で近未来の多くの危機が露わになってきた。その典型が食料問題である。
食料問題は、環境問題や人口問題や地球温暖化それに地域紛争などを包括した形で、巨大化することは明らかである。なのに、既存のどの政党も金を配ることしか考えていない。唯一国民民主党が、農業は有機に戻すことを掲げてはいる。日本のカロリー自給率はすでに37%になっている。しかしながら、家畜の飼料などを考慮した場合には、20%を切っているのが現状であろう。
コロナ禍で食糧輸出国は、自国の食料の輸出にストップをかけた国が数多くある。それが顕在化してじわじわと国内の物価を上げている。
農村は都会に多くの人的資源を送り出し、少子高齢化が始まっている。日本の農政は、食料はなくなれがあるところから、買えばよいという考えが底流にある。農業や地域経済や環境のことなど何も考えていない。それよりなにより農家の自主性を認めない、農民は愚民の前提の政策しかない。
その好例が今朝の番組に示された上の表である。コメが欧米とほぼ同額でも、日本は農水省の決めた枠の中での補助であり、市場にはその金額で消費者に示される。ところが欧米では農家に自由に作付けさせ、農家のコスト補償金に利益分が加算された金額が農家に還元される。
つまり市場には、日本では12,000円で出回るが、上の表では欧米では4,000円で消費者に示される。購買価格が断然に異なる。流通が全く異なるのである。日本のコメは高く、海外のコメは安いので輸入には高額の関税をかけることになる。
それに何よりも、欧米の農家は所得保障されているのである。日本農業は保護などされいない。補助にしても、多くの場合、周辺整備と称する土建屋の飯の種になるばかりである。田舎には、誰もいない巨大な孔民間や道路が、農業予算で作られる。欧米型の補助事業は、生産者と消費者にお金が出されていることになる。日本では生産者に支払われることになるが、現実は周辺産業にお金が落ちるばかりである。
あれ程日本人にとってコメは重要な主食であると言って、守ってきたのに今や一俵(60キロ)15,000円を切ってしまうさまである。農家は高齢化になっているからという論議は前後が逆である。高齢化が進むような農業政策を振興させておきながら、都会へ若者を引き付けておきながら、農業生産には未来がないとかいう論議など論外である。挙句の果てが、下駄をはかせた状態でも自給率37%という、海外依存度63%の食料依存率である。