6月17日に最高裁判所は4つの訴訟団体に対して、福島原発事故は想定外の津波であり、国に責任はなかったと判決を下した。即日本ブログで取り上げたが、いくら考えても気分が収まらない。
国が懸命になって推進した原発である。社会主義国はともかく、原発は電力会社が勧めるものである。被爆国の日本では湯川秀樹氏などが、懸命に反対運動を展開した。それを押さえ込んだ正力松太郎と中曽根康弘が、国家主導で展開されたのが、日本の原発である。一部の御用学者を取り込む、「太陽を地上に」の謳い文句が新聞紙面に踊った。最初の原発普及運動が行われたのは、広島原発記念館である。
国が推進したのであるから、他の事業同様に事故などあってはならないのである。日本のお役人の体質は封建時代と何ら変わるものではない。結局は無数の事故を現場は、隠ぺいすることになる。
今回の最高裁の判決が想定外とした津波と電源喪失の事故は、国会で質問されていた。事故の5年前に国会で共産党の吉井議員が質問している。津波の可能性と全電源喪失を想定していないかったのである。「そんな事故は起きません。起きませんから対策はしません。」と強く否定して取り合わなかったのが、安倍晋三である。
東海村に日本だ最初の原発ができた時に想定された事故の費用が、当時の国家予算のほぼ倍になった。これではかなわんとばかり、それ以降やられていない。原発事故は恣意的に想定外にすることで、最高裁は東電を守ったのである。アメリカやヨーロッパの原発は、地震帯から大きく外して設置している。
日本はそっくり地震帯であるが、なのに震災後の津波も電源喪失も想定外の枠に押し込めたのが国である。最高裁はそれをそっくり認めたのである。
国民のことなど考えず、自らの出世と権力への忖度判決を司法は出したのである。原発事故が想定外なら、廃炉しかないだろ。