そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

動き出した”培養肉”の恐ろしさ

2022-06-21 | 農業と食

動物から幹細胞を取り出して、人工容器即ち実際は上図のようなバイオリアクターと呼ばれる装置で、培養して肉にする技術の発展が著しい。”培養肉”と呼ばれているが、地球上で40億年にわたって繰り返され獲得された生命の営み、生態系とは無縁の方式で作られるのである。
培養肉は、生物を殺さなくて済む、気候変動やに影響がなく環境に優しい、広大な畑がいらない、SDGsを推進する、抗生物質など使わないので安全である。というのである。
結論から言えば、生物を殺さなくて済む以外は全部嘘である。一方的で偏狭な視点による判断である。
こうした考えの根底には、肉の生産が牛の生理を超える人と競合する穀類や大豆などを集約的に大量に給与する、工業的飼養形態がお行われて売ることに起因する。その指摘の多くは正しい。人類を食料的な危機に招き家畜に苦痛を与えるからである。飼料になる穀物の生産は、遺伝組み換え作物に大量の化学薬品を投与して、集約的に行われている。Co2の大地への固定を放棄する。これを培養肉を生産しようとする人たちは指摘する。それらは全く正しいことといえる。
だから培養肉ではなく、長年人類が行ってきた、人が食べることの出来ない草を主体にした飼料に戻すべきである。そうすることで健全で安全な肉を生産し、大気を汚すことなく、水を汚染することもない畜産に戻せば済むことである。
こうした牛の生理にあった飼養によって、健全で安全な肉や卵や乳が生産されるのである。アメリカなどの多国籍穀物メジャーによって指導された、大量の穀物給与による高度な生産の強要の苦痛から家畜を解放させ、環境に優しく家畜に優しい家族型農業、小農主体の農業に変換すれば済むことである。
肉生産に係わるエネルギーは電気で計算されて、牛よりCo2の排泄が少ないとされている。その計算は牛肉を比較したものであるが、牛は肉だけを生産するものではない。諸臓器も食べるし皮革の利用もなされている。一方的で恣意的な計算でしかない。
何より怖ろしいのは、地上でこれまで生産されたことのない様式を導入することである。科学の驕りであるが、ゲノム編集された生物より人類にとってはより恐ろしい、培養肉といえる。
更に、こうしたこと各企業が数多く参入していることである。相当な政治的な力学が働くことになる。農業に企業が参入してくるとろくなことがない。まるで明るい未来のように、培養肉にSuperMeatとかLaboMeatとか夢のようなネーミングを競っている。怖ろしいことである。

コメント (1)
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