そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

戦争は自衛目的に行われる

2022-06-22 | 平和憲法

「敵基地攻撃能力」つまり先制攻撃のことであるが、これを自民党は「反撃能力」と言い換えた。小手先のショボイやり方であるが、情けないことにそれが効果があるのだから、この国の民度がいかに低いかの証左に他ならない。
兵器や武器は、「防衛装備品」と政府が言い始めると、一斉に報道も防衛整備品と言い始める。それがどんなに攻撃的な兵器であっても、殺傷能力が高くても防衛整備品という言葉をマスコミは使う。
日本の報道が開かれていないのはこうした、政権提示の視点に直ぐに従うところにも確認することができる。
その、敵基地攻撃能力であるが、敵基地は素早く動くだろうし基地を持たない場合だってある。ロシア・ウクライナ戦争を見ればわかるが、何処でもお構いなく攻撃する。あるいは民家など一般の施設を利用したり偽装した場合など峻別などできるわけもない。
軍事力に対してより勝る軍事力を設けることが、安全や平和につながることはない。より大きな軍事力を持つなら脅威になり、それは想定した敵国も同じ理由で軍事力を巨大化することになるからに他ならない。これこそヤクザの論理に他ならない。
これを「軍事信仰」と表現し、それこそお花畑と表現した弁護士がいる。言い得て妙である。彼女は、日本国憲法の平和主義はお花畑と改憲派に揶揄されるが、これに対抗した彼女の表現、「軍事信仰こそがお花畑」は痛烈な反撃である。
戦争を国防としか思わない人たちを多く創り出すことが、改憲派の目論見である。この100年ほど、自衛のための戦争しか起きていない。自衛の理由がなければでっちあげるだけである。イラクに大量破壊兵器(核)があるとか、トンキン湾で北ベトナムに砲撃されたとか、柳条湖で中国に襲われたなど枚挙にいとまがない。国民を納得させるため、戦争は防衛するため、自衛のために止む無く行われることになる。嘘でも一向にかまわない。戦力を持つとはそういうことである。
「抑止力」は軍事信仰の虚栄でしかない。人類は何度も何度も繰り返してきた愚かな行為、戦争という名の殺人作戦を繰り返す。日本の憲法9条はそうした幾度も繰り返された人類への戒めであり、歯止めであって架空のお花畑ではない。そしてそれはいばらの道である。
211世紀もなって暴力的に領土を拡大するロシア内は驚かされたが、央したことを前例にさせないためにも、外交努力こそが最も求められることである。軍事信仰者の安倍晋三はそのため、北朝鮮を挑発し韓国と国家横断列のように扱い、中国には全く関心すらしない。北朝鮮が交渉のテーブルについていたころには、見せかけだけでも彼らは核を放棄しミサイルには手を出していない。
世界最貧国の北朝鮮は暴発国家ではあるが、侵略国家などではない。安倍晋三にとって、もってこいの危険国家でいてもらうために全く外交交渉などしない。
改憲派は、プーチンのように特別軍事作戦とか言い始めて、侵略でない派兵でないとして、国家最大の公共事業の戦争をしたいのだろう。本態は殺人行為なのであるが。
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