イスラエルは1948年5月14日に独立を宣言した。が、そこに住んでいるパレスチナ人たちにしてみれば、自分たちが住処を追われることとなる。翌日の5月15日を、アラビア語で「大破局」や「大惨事」を意味する「ナクバの日」として記憶することにした。75万人が追い出され難民となり、517の村が消滅し、五千数百人が殺害された。
45年後の1993年に交わされたオスロ合意の2項は、それでも大幅にパレスチナは譲歩する形でのものであった。それすらもラビンが殺害される形とはいえ、一方的にイスラエル側が破棄した形になっている。イスラエルにはラビンを殺害した青年が掲げた、「神の律法によれば、ユダヤ人の土地を敵に渡してしまう者は殺すべきことになっている」 という思想がある。
他者を想わぬ傲慢な思想である。文化や文明は世界各地で均等に発展するものではない。ユダヤ民族とパレスチナ人では、文化も科学力も経済力でも比較にならないほどの格差がある。
かつてヨーロッパ諸国は、そうした地域に進出し植民地として取り込み、資源や富を収奪して栄えたものである。現代でも中国やロシアは隣接地域を国家として取り込み、国内問題にすり替えて類似の収奪を行っている。
イスラエルではそれらが、極めて短期間に暴力的におこなわれ、侵入者が世界各国から支援をもらっていることが極めて大きい。
建国当初は、大戦の直後でヒトラーのホロコーストへの同情もあり、国連が認めることとなった。
アラブ諸国の抵抗は激しく。30年の間に4度の中東戦争が起きている。ほとんどの戦争にイスラエルは圧倒的な軍事力で勝利している。そうした驕りからイスラエルは、パレスチナに人道的姿勢をとることもない。