東京移り、肩書を東京大学准教授、経済思想家と肩書を変えた、超ベストセラーとなった『「人新世の資本論」』の著者、斎藤幸平氏が新たな活動の場を持ち展開し始めている。上図『コモンの「自治」論』:集英社:1,700円+税、本書の出版はその一つでもある。オビに集英社シリーズ・コモン 創刊!とある。
コモンCommon とは、①共通の、共同の、②一般の、公共の、③普通の、平凡な、などという意味を辞書は解説する。
齊藤氏を含めて、同世代の気鋭6名の方が書かれている。中でも現在杉並区区長の、岸本聡子氏の、『<コモン>と<ケア>のミュニシパリズムへ』は秀逸である。「国家という権力は資本に近づいていく。・・国家の奉仕対象は、大企業や富裕層だけに傾いていき、99%の私たちは排除される」ようになり、コモンが国家と癒着した「儲け」の対象になってゆく。というのである。水道や郵便や石油など民営化する、新自由主義を強く否定する。
スペインやイタリアなどの実例を挙げ、地方自治体が地域と連携するなどし、グローバル資本のコモンへの参入を拒んでいます。このボトムアップ方式が、ミュニシパリズム(自治体主義、地域主権主義)と呼ばれるものである。
ミュニシパリズムは極右はもちろん、トップダウンの社会主義からも一世を画し、グローバル主義や競争の称賛とも与しないとしています。
「ここからなら変えられるかも」、という小さな自身の積み重ねがミュニシパリズムであるという。
社会学者の木村あや氏の「武器としての市民科学を」訴える。上からな科学称される専門家の基準や判断は、「無知」な市民に権威を持って説明されるが、我々は東電福島原発の事故で、科学者の虚言をまざまざと見せつけられた。
市民が自ら観察し、自らの手で可能な検査をすることで、科学を身近に置くことも出来るようになると、木村氏は説く。
藤原辰史氏の『食と農から始まる「自治」』は、戦前からの日本の産業、社会を論じた人物の自治論である。氏は後藤成卿の農本主義は大いに共感する。自然界の営みを重視したうえに、コモンとする食を中心とした社会の形成にあった。富の集中を非難する一方で、清貧主義ともとらえかねない部分もり、社会とのつながりを欠く面もあったとのことである。
斎藤幸平の著書が若い世代に驚異的に売れているのは、若者たちの近い未来への不安によるものと思われる。競争への不安、温暖化や自然破壊への不安、そして富の急速な偏在などである。加計学園など政権の不正行為に異議を持たない、政権に反発しないことで生き延びようとする若者たちの存在は、その一つの回答である。
基本であってもコモンを共有することで、新自由主義の波から救うことが出来るのではないかと、斎藤幸平は思想家の殻を破って、同世代の共感を受け活動を広げようとしているのである。本書のシリーズ化はその一つともいえる。