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法的な根拠が失効したままで吉田茂の国葬は1967年に執り行われた。学校は祝日ではないお休みになったが、その日はテレビは賑やかな番組は放送せず静かななものであった。戦後は国葬といって良い大喪の儀が禎明皇后と昭和天皇で行われているが、民間の吉田茂の国葬は問題になった。
天皇が”国葬令”に基づいて発する国葬は、憲法の施行とともに法律がなくなっている。戦前は天皇が国民に強制的に喪に服させたのが、国葬儀である。26名執り行われていて、総理大臣経験者は4名であるが全て爵位を持つ人物で、国葬儀は皇室行事といって良い。
岸田文雄首相が、安倍晋三の国葬をすると誰に相談することなく、(多分うっかり)口にしてしまった。その後、今秋に「国葬(国葬儀)」として行うとし、国葬を行うことで、「我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示していく」と、明確に政治的位置づけを語った。内容は相当的外れであるが、皇室行事を政治的位置付けるのは憲法3条に抵触する。
岸田が安倍の国葬をすると言ったのは、弱小派閥の岸田派が領袖を失った最大派閥を取り込み、今後の政権運営を楽にするための自らの延命のための政治的判断でしかない。
世界から国葬に要人を招くことで、岸田の政治的パフォーマンスは頂点に達する。長期政権への箔が付くというものである。
国葬によって安倍晋三の数々の悪行が闇に葬られてしまうことが許されていいはずがない。
安倍晋三の国葬に反対する。
>26名執り行われていて、総理大臣経験者は4名であるが全て爵位を持つ人物で、国葬儀は皇室行事
マスコミの「安倍晋三の国葬」発表とは違い、日本国の岸田文雄首相が唐突に発表したのは「安倍晋三の国葬義」で、これは大日本帝国時代に、唯一の主権者だった天皇家の行事。
そして吉田茂元首相の方は「義」が無い「国葬」なのですから、
もし岸田文雄の言った(爵位が無い平民身分の)安倍晋三の「国葬義」を天皇家を無視して今後行うとすれば日本国としては初めての珍事中の大珍事ですね。
貴ブログで気になる部分が一つあります。安倍晋三の死ですが、銃弾は瞬時に多分右心室を破壊しています。だから銃創部分ですら出血がほとんどありません。出血は思ったよりも少量でしょうが、胸腔内にとどまっているはずです。
安倍晋三は銃撃された11時32分には死亡しています。蘇生などできる状況ではありません。
5時まで持たせたのは昭恵が来るまで待ったのかもしれませんが、病院の密室で何がったのか興味があります。
私も、
「安倍晋三は銃撃された11時32分には死亡しています。蘇生などできる状況ではありません。」
が事実だと思うが、
困ったことに、7月8日夜6時に記者会見した県立医大教授の発言では、蘇生的開胸手術を行ったと言っていて、銃弾が首の前側から入って、心臓に大きな穴を開けたと明確に断定していた。もちろん弾道も特定しているのですが、肝心の弾丸は未発見。
その翌日の司法解剖で致命傷である首の傷が県立医大とは前後は反対。しかも二つを一つに省略する手抜きに徹するが、やはり誰かが真っ赤な嘘を言っています。まさに病院の密室で何かの不正が行われ真相が封印されたのでしょう。まさに藪の中
は一番最初に銃撃現場に駆け付けた近くの内科クリニック院長も同じ見解で、もちろん、担ぎ込まれた県立医大教授も同じ見解なので、しかも色々な所見からも間違いなく事実であると推測できます。
ただし、安倍殺害現場には目立った血痕が何処にも残っていないのですよ。ですから「出血多量の失血死」は、あくまで体内限定(皮膚の中)の話であり、普通の殺傷事件事件とは大きく様相が違っていた。
首の傷も『間隔が5センチ』と発表されたが大きさの発表が無い。(検視報告では書いてあるはずだが、マスコミが発表しない)
大きさを発表しない原因とは、たぶん、間違いなく小さすぎて読者に不信感を与えるからだと思われるが、
大量出血の失血死なのに現場の血痕が見つからない原因は「傷が小さから」。銃創は弾丸の大きさに比例する
しかし、困ったことにマスコミとしては発表したくないのですよ。手製銃の弾丸は1センチだと発表したが警官の県銃弾は9ミリなので撃たれると大きな穴が開く
なんと世間に向かって、現場に血痕が無いのは水で洗い流したからだとの馬鹿馬鹿しい推測を平気で喋っていたメディアもあったが、現場検証の写真を撮る前に、だれかが勝手に血痕を洗い流したら証拠隠滅の犯罪行為。