今、懸命に福島県内では放射能の除染に必死である。政府は1ミリシーベル以上を、除染すると発言している。
政治家は、有権者に良い顔をしなければならない。多少の無理でも、通さなければ投票してくれない。そのため、故郷に戻りたいと願う人たちの感情に従ってしまう。そのことは解らなくもないが、放射能については純然たる科学的な判断を優先するべきである。
洗浄したり表面を削ることで多少で、政府の基準値を下回ったと喜ぶ気持ちは解らないではない。しかし、放射能に許容値などないことを思い起こすべきである。基準値とは、どうすれば、あるいはどの数字を出せば最小限の生活が出来るかという、いわば政治的な数字でしかない。
第一除染しても放射能はなくならない。それらを置いておく場所、保管するところが必要になる。その場所をどのようにするかも、検討されずに除染物質はたまる一方である。
見ることも感じることもできず、しかもその影響についても相応の時間経過が必要である。個体差も年齢差も品種間差もかなりある。放射能の怖さを判断する基準そのものが、単純ではない。
放射能の本質を理解した上での、政府の除染奨励であろうか。それよりも居住不能地域を特定することの方が、次への対策が可能になる現実的な対策にもなる。
福島原発の恩恵をたっぷり受けた、双葉や浪江地域とその周辺は、早々に居住不可能と判断されるべきではないか。そして相当の地域も同様に居住不能地域として、決定するべきである。
こうした無人地域を作ることで、のど元過ぎるとすぐに忘れてしまう国民に警告し、原発再稼働を目論む連中に休むことない圧力をかけ続けるべきである。
日本政府はとりあえず1ミリシーベル以上を除染する方針を固めたようです。どれだけ天文的な予算になろうとも、その目標に向かって全力で取り組むべきです。それが旧政権を含めた政治の責任の取り方だと思うからです。
除染物質を濃縮するか拡散するかという大きな問題は残っています。問題の残る人形峠製レンガの例もあります。政府が本気で原発終息に向かうのであれば、国民はその痛みを分け合う勇気はあると思います。
しかしチェノブイリの様に人が住めなくなって居るのは事実。農家なら先祖伝来の土地を無くすのは同業者として忍びない。
国はほとぼりが冷めるのを待っているのか。地元からの申し出を待っているのか。
海へ何百テラベクレル垂れ流したものが、当然陸地にも降り注いだはずで、何れにせよ除染という無駄な事は即刻止めることだ。これを除染するとなると数百兆円単位との試算がある。国が汚染区域を買い上げ管理すれば10兆円程で済むという。さて貴方ならどちらを選ぶ?。
あなたが誰なのかわかりませんが、仮に私だとすると間違いなく数百兆円あるいはそれ以上の計画を選択するでしょう。これは安く仕上げるという問題とは別次元です。核分裂の恐ろしさを知りながら催眠術にかかってしまった人間としての心からの反省です。
放置された放射性物質をスプレーで無毒化できるようなエネルギーレベルではないのはご存じの通りです。
Fukusima問題の解決に二択選択はありません。拡散された放射性物質に対応する人類の英知と挑戦が問われていると思うのです。
中国での毒ガス問題やフィリッピンの遺骨収集でも問題になっているように、国家がある限りその責任は政府すなわち国民が負の遺産も含めて引き継ぐ責任があると思うのですが。
コメントありがとうございます。
人々には感情も社会生活も未練もある。ここは無常であっても、科学的に考えて対策を練るべきというのが、私の趣旨です。
徒に希望をつなぐことは、かえって罪になります。