24日に中国は、宇宙と深海での科学技術の発展を、いかんなく政治的に利用した。
宇宙では、神船9号が中国では初となる、手動での天宮1号とドッキングしたのである。
深海では、蚊竜がマリアナ海溝で、7,000メートルを超えて
潜水したのである。それぞれが3名の乗船で、新会頭中でお互いに褒め合っている。
何も同じ日にやらなくてもいいのではないかと思うが、そこが中国の中国たるところである。どちらも初の出来事なのであるが、この段階ではこうしたことも、国威の発揚にはなるであろう。
しかし、いつまでも技術がこのレベルに留まっているわけではない。経済的な意味づけが求められる時が来たり、目的が明確に示せなくなったり、あるいは失敗すると、国の全面的な支援での事業は必ず行き詰る。
自らに問題解決の能力がないからである。そうした設定がなく、ひたすら成功へ走ってきたからである。
これは中国の他の分野でも同じことが言える。特に経済発展が、人権や環境を破壊しながらも発展しているが、留まった時には彼らには解決するシステムを、暴力(軍事力)以外の方法を持ち合わせていない。
これはさらなる矛盾を生むことになることは、様々な国家の歴史が証明している。経済発展は国民を黙らせる甘味料であるが、一旦苦味を帯びるとそれは逆の作用を持つ。
その時が中国の新たな時代となるのだと思うが、いつのことになるのであろうか。