2019年に起きた、36人が死亡し32人が重軽傷を負った京都アニメーション放火殺人事件で殺人罪などに問われた青葉真司の裁判員裁判がきのう(5日)から京都地裁で始まった。
手塚治虫の漫画、「ブラックジャック」で殺人の限りを尽くした犯人の少年が追われてビルから落下します。犯人の命は誰も救うことができな。そこで呼ばれたのがブラックジャックである。ジャックは奇跡的な医療技術で犯人を救うことができたのです。
裁判で犯人は死刑判決が下されます。法廷でブラックジャックは大声で叫びます。「私は何のためにこの少年を救ったのだ!殺すなら救うことなどなかった!」
このブラックジャックの言葉は、この京アニ放火事件の犯人青葉真司と、4カ月間懸命の治療で彼を死の淵から救い上げた、近畿大学付属病院の上田敬博医師 に重ねることが出来る。
上田医師は何のために犯人の命を救ったのか?死刑は何のためにあるのかということである。
上田医師は、「死に逃げはさせたくない」、「犯行に向き合ってもらうため」などと述べ、「量刑は受け入れるべきと考えますが、そこに関してはせっかく助けたのにという葛藤は全くありません 」とも述べている。ブラックジャックとは異なる。技術者の側面と青葉に、事件をしっかり認識させたいという思いが強い。
青葉真司は、「こんなに多くの人が亡くなっているとは思わなかった。やり過ぎたと思っているが、あの時はあれしか方法はなかった」などと述べている。
裁判では事実関係では争われることがなく責任能力を問うことになるが、この発言を見ると、責任能力は十分ある。現行日本の法律では青葉には死刑しかないだろう。
しかし、青葉を死刑にして事件は終わるわるのだろうか。日本では量刑とくに重大犯罪では、報復意識が強い。命を奪うことで犯人は贖罪、罪を償うことになるのかということである。死にたくて自死できず、小学校に押し入り数人殺害して、希望通り死刑にしてもらった犯人もいた。死刑は何のためにあるかわからない。
青葉真司には、自らが奪った36人の命の重さとその事実と向き合い逃れるべきではない。死刑にしてはそれすらなくなる。量刑の持つ犯罪抑止を死刑に求るのは無責任である。社会がもたらした不幸な生い立ちや貧困なども、今回の青葉は無関係ではない。
冤罪の回復の機会を死刑は永遠に奪うことになる。死刑は犯罪者に人権すらないことを認め、国家が命を奪うのである。大量の死刑が執行されていると思われる中国や北朝鮮など見れば、明らかな人権侵害があり、政治的な背景も強いものがある。
京アニ放火事件が、死刑という量刑へ論議のきっかけになってくれればと願うものである。
司法側にも殺生与奪の権利義務は無いことを知るべき事だ。