お笑い芸人の生活保護の不正受給をきっかけに多くの論議がなされている。「何が悪い」といった感じの意見が目立つ。このお笑い芸人の姉などは、役場が認めたのだから不正ではないとか主張するのであるが、もらえるものは何でももらうといった類いの感覚である。
貰えるものは何でも戴くといった行為は、かつては「さもしい」という感覚が日本人にあった。品性がなく、卑しく意地汚いという意味である。
生活保護後制度は、日本が終戦まもなく作られた、世界に類例のないセフティーネットワークである。ここには家族が支え合う家庭があり、地域や社会が支え合う人々の交流があった。
何もせずに金を戴くことなどは、多くの人たちが「さもしい」行為とする考えがあった。高度成長は、社会に金儲けを促進させた。
市場経済と呼ばれ、市場が判断したことには、誰も口出せないシステムが市民権を得るようになってしまた。市場原理主義は、やがて金融資本主義の謳歌する現代と続く。
金融資本主義は、リーマンショックのような危機をこれから何度も起こすことになる。記者会見で「金儲けが悪いんですか?」といった男もいた。
額に汗して働かず、金を動かし株価を操作し大儲けする投資家連中。政治家を暗躍させ、不要な構造物を次々と作らせる金満家になる土建屋たち。それに群がる政治屋たち。彼らは「さもしい」と思う感覚を失ってしまっている。
金融資本主義の犠牲になったのが、障害者であり高齢者たちである。そして、農業者である。農村は放棄され、農産物・食糧は安価であれば、何処で誰がどんな方法で作ってもいいことになってしまった。
作り手も安ければいいように作るようになってしまった。そんなつくり方を、さもしいと思うことがなくなってしまった。
生活保護制度で救われる人たちもたくさんいる一方で、就労意欲を失い制度にすがる若い人たちもいる。死んだ親の年金で暮らしていた連中もいた。”さもしさ”が消えてしまったこの国の対策は、制度を締め付ける以外の方法がないのかもしれない。
左のフォトアルバムに日本で一番遅い桜<5月25日の桜>をアップしました。
矜持という言葉も廃れてしまいました。終戦直後の某検事の事件を想起します。今一度、人間社会のあり方を考え直すには遅すぎるのでしょうか。