この図は、幼いころ習った「新しい憲法のおはなし」の図である。日本は武器製造の代わりに電車や船をつくる、二度と戦争をしない国になりました、と教えられた小冊子である。
日本を見倣って憲法に戦争放棄を明文化したコスタリカの実情に詳しい、ジャーナリストの伊藤千尋さんが、「攻められたらどうする?」は、誘導尋問であると表現している。たったく同感である。
ロシアのウクライナ侵略後、戦争への不安感が拡大する現在、暴力行為が始まる所から論じるこの言葉は、平和への論議、戦争を回避するための厄介な交渉を放棄することを意味する。
論議としては武装論者の方が勢いがいい。机上論だからである。国を守れ、愛国心を喚起し、国民すべての目を戦争に向けさせることになる。開戦は意外と簡単であるが、終戦は極めて困難である。第二次世界大戦で ムッソリーニが吊るされされ、ヒトラーが自決遺骸も廃棄し、日本は天皇が終戦宣言たような明確な敗戦国は、その後出現していない。敗北さえあやふやである。そもそも宣戦布告さえなく、局地戦や大国の代理戦争に宗教戦争で、多くは紛争と呼ばれている。
ロシアのウクライナ侵略後、戦争への不安感が拡大する現在、暴力行為が始まる所から論じるこの言葉は、平和への論議、戦争を回避するための厄介な交渉を放棄することを意味する。
論議としては武装論者の方が勢いがいい。机上論だからである。国を守れ、愛国心を喚起し、国民すべての目を戦争に向けさせることになる。開戦は意外と簡単であるが、終戦は極めて困難である。第二次世界大戦で ムッソリーニが吊るされされ、ヒトラーが自決遺骸も廃棄し、日本は天皇が終戦宣言たような明確な敗戦国は、その後出現していない。敗北さえあやふやである。そもそも宣戦布告さえなく、局地戦や大国の代理戦争に宗教戦争で、多くは紛争と呼ばれている。
攻めてきたらどうするの候補第一は北朝鮮であろう。この国は暴発国家であるが侵略国家などではない。侵略思想も実力もない。ミサイルを打ち上げ核の脅しをするが、ほんの20年前には自ら原子力発電所さえ破壊したし、ミサイルなどなかった。この国が核やミサイルに手を出す口実を、アメリカや日本が与えたことを忘れてはならない。地道で根気強い交渉を放棄し、徒に煽り危険国家に仕立て上げたのである。
中国についてはもっと明確である。国際交渉すら念頭にない石原慎太郎の挑発である。大平と登小平が触れずに置いた知恵を踏みにじり挑発した日本は、時の民主党政権の対応も、その後の辺野古巨大基地建設などミサイル基地をドンドン築き挑発した日本は、国家間の交渉を放棄し非難して煽るばかりであった。
ロシアはプーチンの腹づもりも知らなないまま、本気で領土交渉をするかに見える安倍晋三を多くの国や人々は嘲笑さえしていた。現実的な対応すらできない日本を、プーチンは手玉に取った。そのことさえ気が付かない日本は、ロシアとの交渉さえ放棄したと同じかそれ以上である。
危機を煽り、軍事に特化して近隣諸国に存在感を示すことは、憲法に反し巨大な軍事予算を国民に押し付けることになる。
この2,3年自衛隊入隊志願者が激減している。これこそが国民の声である。世愛3位の軍事大国と言っても、アメリアから倍を超える金額で最新でない、兵器の購入の軍隊の実力など知れている。武力論争から入る、”攻めてきたら”という誘導尋問を拒否し平和論争から入るべきである。