「私は軍国少女だった」と述べているのは、来月94才になるドキュメンタリー作家の澤地久枝さんである。12歳で終戦を日本の傀儡国家満州(現中国東北地方)で迎え、難民となって一年後帰国している。澤地さんの母の弟は軍人一家四人、終戦とともに満州で自決している。軍国少女の澤地さんはその当時は当然のことと受け止めていた。
その後戦争について考えることもなかった。自分を変えたのは、「聞け、わだつみの声」という映画を見たことである。その後多くの戦前戦後の戦争に関するドキュメンタリーを書くようになった。
国策に沿った報道を書かなければメディアは生き残れない。そうした戦前の姿に現在が重なる。業界がムラになってゆくのでないかと、歴史家保坂正康は私的する。
お二人とも戦争の実相を伝えることという。澤地久枝さんは九条の会を立ち上げた唯一の生存者である。しかし、20代の若者の6割は8月15日が何の日か知らないという。日本がアメリカと戦ったことも知らない若者は。「それでこっちが勝った?」と問いかけてきたという。
原発事故も類似したものがある。僅か12年前の事故でさえ、教訓化させることもなくベースロード電源として、新設も視野ない再稼働の道を大きく広げている。福島原発では一つの事故基でようやく、デブリのある場所にやっとたどり着いただけというのにである。
戦争は自然災害ではない。原発事故も同様に、人類が起こした人災である。そうしたことを隠そうとする動きは、また同じことを繰り返したいためである。戦争も同じである。美化したり封印したりするのは、現在を新たな戦前にしたいとするためである。巨大な軍事予算にさえ多くの人々は黙したままである。