一昨日NHK教育テレビの、土曜フォーラムは「なぜ農業で食べられないのか」というものであった。お米の農業者の平均収入は、120万円程度である。日本の主食を支える農業がこのざまでは、自給率が下がり後継者が育たないのは当然である。
価格競争の世界へと、お米を追い出したのは、減反政策によって生産量を減らし価格維持を試みてきた、農業政策に最大の問題がある。バリアーのない野菜はもっと悲惨である。中国などのアジアから、大手を振って国内に入ってくる。
たまたま、上手く商品化に成功した野菜を、マスコミは報道する。確かにブランド化や流通に成功した例も少なからずある。しかしそれも、ひと時のものでしかない。やがて、労働力の安い東南アジアや中国に追いつかれてしまう。
農産物を、価格競争に晒したのは、1961年の農業基本法以来、大型化すなわちコストダウンへと突っ走った結果である。農産物=食料は、人が生きていくために欠くことができないものである。工業製品のような大量生産はできないし、倍も消費できないし半分にすることもできない。
日本の農業政策は、商工業製品の大量生産と輸出の代償として位置づけられてきた。生産の現場に人を提供し、工業製品の輸出の代替に輸入される農産物の犠牲になったのである。
一般の消費者が、農業や田舎から離れることによって食べ物への関心、生産過程の重要性と生産基盤のもたらす環境保全など全く知らないままで来たことも、重要なことである。都会の消費者の多くは、日本の農業者は多くの補助を受け取っていると誤解している。
上の表は、この番組で鈴木宣弘東大教授が提示したものである。日本の農業政策は、基盤整備や周辺整備事業と言われるものが多く、農家に直接支払われるものは極めて少ないことが解る。民主党がどのような所得補償をやるのかは、いまだ明らかにされていな い。農業についてほとんど取り組んでこなかった、赤松大臣の手腕に期待したい。
食料を生産する農家が、食べられないのは異常である。コンビのおにぎりを思い浮かべてもらいたい。100円程度から250円くらいまでの幅がある。コメは20円にも満たない。価格差は食材の違いであって、コメの違いではない。農業者の受け取りは、年々少なくなっている。流通や商品化の過程に、消費者は対価を求めているのである。見た目がそれほど大切だろうか。食料が安いことが、何を意味するのか考えて頂きたい。