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コメが店頭から消えている。購入制限のお願いや入庫の知らせや謝罪がスーパーになどに、ゾロゾロ並んでいる。昨年は前年比18万トンほど減少しているが、コメが不作というほどでもなく、食の傾向からすれば騒ぎが起きるほどでもない。
つまりコメ不足は流通の問題なのである。現実に価格が3割ほど上がっているのであるから、流通業者は先ずは目的が叶っているという所であろう。
こうして消費者価格が上昇するのは、コメ作るなと減反政策を続けた日本の政府が、食料の意味も問わない無策の結果といえる。
今回の出来事は農政の失敗、無策の一つである。備蓄米の出し惜しみをようやく解除し、どうやら政府は、放出量を21万トンにする方針を固めたとのことである。このうち初回に15万トン放出するというのである。前述のように、コメが足らないわけではない。政府のやるべきことは、コメ放出で価格を下げることである。手の内を公表などするべきではない。何なら、大量に放出すると大言豪語して、一粒も出さなくても良いのである。要するに市場に脅しをかければいいのであるが、消費者のことなど何も考えていないのである。何はともあれ業者の保護である。
日本の農政は1990年代から農業・食糧に、通常商品と同様に新自由主義、価格競争の波に晒し、農産物の流通を、企業の自由に任せてきた。
食べものは生きる上で必要欠かせないものであって、しかも一定量が不可欠で、一定量以下ではあってはならないものである。
市場原理、企業の自由に任せていたから、こんな世界でも恥ずかしい農業政策しかとれなのである。食料自給とはそういうことであるが、政府はまったく無関心で、ようやく今回自給率を上げるという文言を織り込んだ。実体のないものである。相変わらず海外依存で、有事には学校の校庭を耕せばいいと言うのである。
先進国はどこも、農家につまり食料生産者の直接払い、農家の戸別所得補償政策で、食料生産を促し担保している。日本は校庭や花壇を耕せばよい等という、目先のことしか考えていない。今回も同じである。
食料の海外依存の海外とは、アメリカのことである。その食料とはアメリカの余剰小麦のことである。コメ依存を脱却させ、小麦依存に転換させ、畜産製品の促進を制作的に進めてきたのである。畜産の推進にはこれまたアメリカのトウモロコシが大量に使われるようになった。
要するのアメリカ依存御食料形態を進めた結果、日本人の体質にも、日本独特の気候や地形にもぴったり合ったコメの放棄を促され、それに従ってきた日本農政の哀れな姿が今回、又々露呈したといえる。
今回のコメ価格の高騰の直接の原因は、投機的に動いている流通業者の買い占めなどに起因するのであろう。政府はコメの先物取引も、新自由主義の元認めてしまっている。そうしたことを考えると、備蓄米の放出の時期も量も前持って発表するのは、こうた業者を守るためであるともいえる。自民党がこうした業者に規制をかけるわけがない。企業献金や政治支援はそのために存在するのである。
食料の自給率は更に下がり、鈴木宣弘先生の指摘する、世界で最初に飢える国家日本が、次第に現実味を帯びてきている。