北海道に空襲があったことは意外と知られていない。72年前の7月14、15日に主にアメリカのグラマンによるものである。最も何の防御も攻撃設備もない青函連絡船が撃沈され、最も多い被害者が出ている。室蘭はミズリー号の艦砲射撃で、甚大な被害が起きている。北海道空襲についてはこれまでに、2009年と、2013年と、二度書いている。たった二日で2000人の死者が出ている。グラマンといういわば軽飛行機でこれだけの被害である。ほとんどが民間施設への攻撃で、グラマン機の一方的な空襲であった。
最も市街地の多くを失ったのは根室である。北方の拠点であったが、二日にわたってグラマンの爆撃を受けている。市街地のほとんどが喪失した。しかも市街地だけである。周辺の農家は全く攻撃されていなかった。鉄道も動いていた。私が聞いた爺さんは、中学生であったが大人たちと一緒に動員され、市街地の復興に出かけた。
2045年7月14日と言えば、終戦まで一月である。5月にはドイツのヒトラーも自決終戦を迎えている。もはや終戦をどう迎えるかだけの問題であった。陸軍は本土決戦を言い出し敗戦の決断を遅らせ、鈴木貫太郎首相がソビエトに終戦の仲介を模索していたのを知りながら、ソビエトが不可侵条約を破棄し参戦することをヤルタ会談で決めていたことをひた隠しにしていた。徒に官僚のメンツと、国体護持しか念頭にしかなかった。敗戦を念頭に置いていなかったし、国民の存在も戦略にはなかったである。
国の戦闘方針に国民は累々と死体を並べるだけであった。少なくとも、同盟国のドイツの降伏に従っていれば、本土への無数の空襲もなかった。原爆投下もなかった。北方領土問題もなく樺太もそのままで、残留孤児問題もなく沖縄もあれほどにはならなかった。公式には、320万人が亡くなっているが、1945年(昭和20年)の8ヶ月で200万人も亡くなっているのである。
少なくとも、北海道の僅か二日の空襲で亡くなった2000人は無駄死以外の何物でもない。しかもほぼ全員が非戦闘員である。
戦争がいかに愚かか、国家は国民の犠牲などいかに厭わないか、二日間の北海道空襲がそれを物語っている。
最も市街地の多くを失ったのは根室である。北方の拠点であったが、二日にわたってグラマンの爆撃を受けている。市街地のほとんどが喪失した。しかも市街地だけである。周辺の農家は全く攻撃されていなかった。鉄道も動いていた。私が聞いた爺さんは、中学生であったが大人たちと一緒に動員され、市街地の復興に出かけた。
2045年7月14日と言えば、終戦まで一月である。5月にはドイツのヒトラーも自決終戦を迎えている。もはや終戦をどう迎えるかだけの問題であった。陸軍は本土決戦を言い出し敗戦の決断を遅らせ、鈴木貫太郎首相がソビエトに終戦の仲介を模索していたのを知りながら、ソビエトが不可侵条約を破棄し参戦することをヤルタ会談で決めていたことをひた隠しにしていた。徒に官僚のメンツと、国体護持しか念頭にしかなかった。敗戦を念頭に置いていなかったし、国民の存在も戦略にはなかったである。
国の戦闘方針に国民は累々と死体を並べるだけであった。少なくとも、同盟国のドイツの降伏に従っていれば、本土への無数の空襲もなかった。原爆投下もなかった。北方領土問題もなく樺太もそのままで、残留孤児問題もなく沖縄もあれほどにはならなかった。公式には、320万人が亡くなっているが、1945年(昭和20年)の8ヶ月で200万人も亡くなっているのである。
少なくとも、北海道の僅か二日の空襲で亡くなった2000人は無駄死以外の何物でもない。しかもほぼ全員が非戦闘員である。
戦争がいかに愚かか、国家は国民の犠牲などいかに厭わないか、二日間の北海道空襲がそれを物語っている。