岸田文雄首相が立ち上げた新しい本主義は、命名に現代の資本主義が明らかに行き詰っていることを意識したものである。
資本主義が未だに生き残っていいるのは、民主主義という仮面制度をとりいれ、社会主義のもつ福祉体制などの導入を装うことで生き延びてきた。都合よく社会主義国が、権力に一極集中で権力者が死亡しなければ交代すらできない硬直化した体制を作り上げ崩壊した。
しかし資本主義の本質、絶え間ない成長は手放すことがなかった。手放さなかった。成長のエネルギーは欲望である。しかし無限の成長などありえない。地球はもちろん有限である。このことを経済学ではなく、地質学あるいは環境から説得力ある説明をしたのが、マルクスが指摘していたとベストセラーにもなった書で解説したのが斎藤幸平氏である。
岸田は当初口にしていた、分配が成長を抑制することを知らされたのである。
経済成長は奈落へ導く甘言である。民主主義はそれを留めることができない。
民主主義は目先の甘い話、成長を好む人類の要望に応えるように、ポピュリズム化してゆく。虚偽のデーターで粉飾したアベノミクスは論外であるが、当初はそれを否定するかに見えた岸田文雄も結局は、嘘を出鱈目で粉飾された経済対策を打ち出した。資産倍増計画であるが、資産が倍増されるのは投資可能な富裕層に限られる。多くの国民には投資する余裕すらない。更に博打と同じように、資産投資は儲かるのが保障されるわけではない。儲かるようにするには、現行政権の後ろ盾が欠かすことができない。
簡便な言い方をすれば、投資に余力のある非値は自民党を支持せよということである。
人類の最も誤った思い込みに愛国心がある。人間の存在を否定してまで、人間の尊厳さえまで否定して、時に愛国主義は権力者に粉飾されて歓喜の声で国民が迎える。ヒトラーがアーリア民族の優位性を掲げたように、日本帝国主義が皇国史観を元に世界に戦争を挑んだように、そして今プーチンがロシア民族の偉大性を掲げて同胞と言って憚らない国家を侵略する。
更には中国が漢民族が世界の中心であるとする中華思想を掲げて国民を鼓舞する。同様のことが、ウクライナ侵略を足場に日本でも台頭している。
現代社会を崩壊に導く資本主義の成長思想と愛国主義。現在その双方が同時進行する恐るべき時代なのである。